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傳左衛門日記 アーカイブ

2007年10月09日

傳左衛門日記 10月8日

三響會版「一角仙人」の作調ができた。
近頃進んでJ-POPなどすっかり聴かないが、それでもTV等から時折流れ来る曲は詩もメロディも意味不明で、とても口ずさむ事など出来ない。この潮流は我々の邦楽界でも同じである。
しかし、「一角仙人」作曲の苫舟(藤間勘十郎)氏は本当にオーソドックスな、江戸期の曲と言っても通用する作品に仕上げる。
彼は囃子との合奏、舞踊にしたときの兼ね合い等、総合芸術としての"法則"を知っている。
勘十郎氏の振り付けに傳次郎の演出で、この音楽がどんな風に仕上がるのか、実に楽しみである。

2007年11月01日

傳左衛門日記 10月29日・名古屋

玉三郎舞踊公演の舞台稽古日。名古屋駅で偶々玉三郎丈本人に出会う。十二月歌舞伎座の新作『紅葉狩』の構成を伺いながら劇場に移動。
今回の演目は「阿国歌舞伎夢華」「鷺娘」の二本立て。「阿国」は三年前に作調した作品である。常の舞踊公演は丈のみだが、「阿国」は猿之助丈一門が多数出演しているので、楽屋も賑やか。御一門とは殆ど接点が無いのだが。傳次郎が彼等と大変に懇意にしている所為か、私も心易く接することが出来る。
今回傳次郎は同行していない。"初演"というのはその後の手本になるのだが、初演以来ずっと傳次郎の太鼓の流れで曲が乗っかる部分も有ったので、数ヶ所合わない。今回の方もよい勘をお持ちなので、スグに合わせてきたが。
舞台稽古も終わり、宿に荷物を置き、街へ。一人で食べられる店は実に限られている。焼肉屋などは絶対に行かれない。結局デパートの中華を食べ、珈琲を歃り部屋に引き籠もる。

傳左衛門日記 10月30日・名古屋

玉三郎舞踊公演初日。前夜何故か思索に耽けり、全く一睡も出来ず。早暁マリオットホテルで朝食。全国ツアーの愉しみの一つは各地の空気と宿、そして食に在る。此のホテルの朝食は種類も豊富で、天井も高く開放感に満ちている。快適な時間であった。
今回「鷺娘」が出ている。十五年前に玉三郎丈に抜擢していただき立鼓になったが、その同じ年に演奏して以来、既に三百数十回は演奏している。丈は五百回は越えた、と仰っているので、若輩の身乍ら半分以上は演奏させて頂いている事になる。
そもそも丈は決して二回公演をなさらない。以前坂田藤十郎丈に「曽根崎」の回数について伺ったら、”回数なんて二回公演を続ければ幾らでも稼げる。重要なのは如何に見物に支持をされているかだ”という金言を頂戴したが、演奏すればする程、洋の東西を問わず、何故玉三郎丈の「鷺娘」が斯様に愛されるのかが解る。完璧な照明、美術、不肖乍ら音楽、玉三郎丈そして後見、どのセクションのクオリティーが落ちてもあの世界観は成立しない。以前NYでMET(メトロポリタノペラハウス)の売店で、オペラやバレエに交じって玉三郎舞踊全集の英語版DVDが売られているのに驚き、誇りに思った。
一人を以て国興る。芸は一代。古来様々な言葉があるが、このような事か。
帰京後、家内と赤坂しゃぶ玄に。オーナーの息子が傳次郎と同級生という縁だが、偶々前日に両親、広忠、傳次郎家が来店したそうだ。食べたい物まで似るのか(笑)

2007年11月07日

傳左衛門日記 11月1日・下関

今日は仕込のみで公演は無い。朝から電車を乗継ぎ、山口に向かう。東京生まれの身には一両の単線が新鮮である。
自体列車の旅は愉しい思い出に満ち溢れている。原点は幼稚園の年長の頃。父の会が福岡で催された時、一家で当時のブルートレインに乗った事である。三つのベッドの上段に父、もう片方の上段に母と弟、下段に兄と二人が枕を並べて寝た。考えられない。そんなに小さかったのか。あの時も下関に降り立ち電車を乗換えた。関門トンネルを通過したときはいたく感動したものだ。成長し、電車に乗ることが単なる"移動"になったとき"旅"の感動は止まった。
さて、山口へ行く唯一の目的は臨済宗の古刹・常栄寺を訪れる事である。祖父十一世傳左衛門は実に信心深く、様々な御寺の住職や老師と親交が有ったが、画聖雪舟作の庭園が名高い當山は特に懇意で小さいころ祖父宅に老師や雲水が泊まりに来ていた事を思い出す。私は別段面識もないので寺にも特に名乗らず、一人で雪舟の世界を堪能した。
下関に戻り、夜は私社中の皆と会食。河豚や関鰺等の海の幸に舌鼓を打つ。それにしても皆良く飲む。

2007年11月08日

傳左衛門日記 11月4日・下関、京都

下関公演最終日。新幹線の時間の関係で、終演後は相当急がねばらならい。普段大変にグズだが、こういう時に不思議と力を発揮する。せっかちな亀井家の血か。次の公演場所は金沢だが、スタッフさん達全員の乗継の問題が有るそうで、泊まりは途中の京都である。
日曜の夜の京都は暗く人通りもなく、食べる場所がない。本来はこういう姿であろうし、あるべきだ。大体京都はいつも人が多過ぎる。十一月は紅葉シーズンとやらで特に混む。熱狂的に全国から人が来、未だ蒼々とした紅葉を観、それでも感動して帰る。最近は温暖化で、顔見世が始まる月末から十二月に入らないと真の紅葉は愉しむ事は出来ない。今年は来られないが、顔見世に出演するもう一つの喜びでもある。広忠氏日記に登場する武田誠氏の居るルプーという祇園のバーに行き、晩飯を頼む。

2007年11月09日

傳左衛門日記 11月5日・京都、金沢

今月は玉三郎舞踊巡業と、市川段四郎、亀治郎両丈を中心とした松竹大歌舞伎という二つのグループが全国を廻っている。丁度京都でもう片方の連中が公演しているので、顔を出してくる。こちらは大変ハードな移動と公演スケジュールで、今日休演日なのが申し訳無く思う。亀治郎丈も梅枝君もうちの皆も殊の外元気で、活気に充ちている。いいチームだ。
夜は京都ブライトンホテルの鉄板焼きを愉しみ、サンダーバード号で金沢に移動。

2007年11月12日

傳左衛門日記 11月7日・札幌

移動日、小松から新千歳に飛ぶ。気温差約10℃、頭痛がする。札幌へのバス、車窓からの景色に市川弘太郎君が声を弾ませる。それにしても猿之助丈一門皆個性が強い。笑三郎丈は物静か、猿弥丈は話しだすと止まらない。段治郎、春猿両丈は混み合うことを考え二人席に並んで座り、他の連中に配慮。この両丈常に折り目正しく、スター特有の傲慢さは微塵もない。只々感心。
JRタワー日航ホテルは便利で快適。早くに着いたので館内の大浴場で汗を流す。夜はすすきの”菊鮨”。北海道にも父のお弟子さんが大勢いらっしゃるお蔭で小さい頃から度々札幌を訪れている。就中楽しみは、此処での食事だった。今では自分で来られるようになったが、食後の支払いの度に当時の父の苦労を思い感謝、無論自分で来られる様に”してくれた”事にも感謝。子を授かり、連れて来る時が有れば尚一層思うだろう。

2007年11月20日

傳左衛門日記 11月8日・札幌

何の迷いもなく、札幌で必ず歌舞伎公演が催されるホールに向かう。普通に挨拶して楽屋に入るが、名札を見たら”クレージーケンバンド”、海上を間違えた。警備員「珍しく歌舞伎は斜向かいですよ」親切に教えられ、表に出る。すでにコートにマフラー、手袋が要る程で、たった一ブロックなのに耳が凍るようだ。
いつも乍ら丈の舞踊公演は他の巡業とは明らかに客層が違う。全ステージ必ずカーテンコールになって、”Bravo!!"と声がかかる歌舞伎役者など他にはいない。流石"世界の"玉三郎。

2007年11月21日

傳左衛門日記 11月11日・奈良

朝七時、朝焼けの京都から奈良の壺坂寺へ。予て親しくさせていただいている御縁で、新仏の開眼供養の奏納演奏をするのだが、この印度より渡来の新仏の巨大さに圧倒される。笛と小鼓のみで"獅子"。脇侍に計らずも巨大な文殊菩薩がおわし、曲目との合致に驚く。生憎の曇天どころか一ト村雨来そうな空、式典開始前に晴天となる。導師の東大寺の大老師が祖父十一世を御存じとの事承り、これも奇縁。

2007年11月22日

傳左衛門日記 11月12日

ここ数年母校学習院大の"日本の伝統芸能"という講義に呼ばれている。年に一度の目白、来る度に駅の周囲や学内も綺麗になり、学生たちもより若く感じる。浅学の上準備不足で毎度申し訳なく思うが、学生諸君とコーディネーターの先生の反応に上手く乗せられる。百人超の大講義、一年を通して雅楽から歌舞伎、落語に至る迄、広く浅く伝統芸能に触れられる。今回は敢えて専門的な話でなく、ひたすら今年のパリ公演と、NY公演について話す。狭い日本の狭い伝芸が広い世界に出た時に向こう側とこちら側、双方向からどう見えるか考えてもらいたかった。講義後に数名の学生が寄ってきた。三響會を観てくれたそうだ。中に、家内の宝塚歌劇団の後輩だという嬢がいて驚く。彼女は退団後この大学に入り、この講義を選択した。向学心のある人は実に良い表情をしている。
講義後、少し構内を歩く。数年後取り壊すらしいピラミッド校舎の写メールを撮り、同級生に送信。学習院生にとってこのピラミッドの形をした妙な建築物は、東大の安田、早稲田の大隈に並ぶような象徴である。無くなるのは悲しい。

2008年02月12日

傳左衛門日記 2月2日

久々の更新。三人寄れば人任せ。僕のは旅日記と勝手に考える。

今日一日だけ博多座にきた。「高坏」を客席から見るのは初めてで妙な感じ。当代中村屋に毎回実に勉強させていただいているが、今月の勘太郎丈はその風格、間、癖、よく映しながら自分の物にしている。継承された。
合い間に傳次郎と「高玉」で寿司を食べもう一本「蜘蛛絲」。亀治郎版初演を作調したのだが、更にパワーアップしている。幕切れて万雷の拍手鳴り止まず。急遽カーテンコール。お客様は正直だ。帰り際、各丈共、海老様に宜しく!と。気になる人なのだろう。
福岡は毎度グランド・ハイアット。特にリクエストせずとも毎回同じ部屋。同じしつらえが有難い。夜も寿司。

2008年02月13日

傳左衛門日記 2月3日

東京の大雪の影響がこんな遠くにも。到着機遅れで、大阪行きの便も一時間以上遅れ。待ち時間で岳父に「須弥山」の明太子を送る。粒がはっきりしていて好きだ。
大阪着、楽屋作り。

2008年02月14日

傳左衛門日記 2月4日

朝一からホテルのジムで一時間黙々と自転車をこぐ。別段ダイエットの意思はないが、只気持ち良いし非常に調子が良い。
楽屋で海老蔵丈に博多からの伝言を伝える。博多の熱狂を話すと発奮。彼程の人物でも同世代は気になるのか。舞台稽古の「二人道成寺」の「押戻」は正当な成田屋の"十八番"を見せつけた。

2008年02月16日

傳左衛門日記 2月5日

朝、御堂筋線。毎朝お世話になる喫茶店へ。松竹座開場の年に友人のミュージカル俳優岡幸二郎氏に連れて行ってもらって以来、大阪公演の時は毎朝通う。早や十一年。色々献立を考えてくれるママさんの情に毎度感謝。
終演後に、偶々朝食時にお知り合いになった土居裕子さんの舞台を拝見しにシアタードラマシティへ。ストーリーや演出も勿論的だが、何より土居さんの歌声にすっかり魅了された。場内で家内の先輩と同期に偶々お目にかかる。後輩の雪組生十名程に"皆さん、旦那さんですよ~"と紹介され、かなり照れる。帰路、土居さんのCDを探しにタワーレコードへ。

2008年03月17日

傳左衛門日記 3月11日

今月の歌舞伎座では昼の部の序幕「春の寿」を演奏している。"三段返し”という三本の舞踊を一幕で上演する形式で、曲も長唄、義太夫、長唄と変化する。その打ち分けも中々難しいのだが、難しい事が好きな捻くれた性分のお蔭で、日々楽しく演奏している。
今月は珍しく、というか久々に傳次郎と同じ舞台で演奏している。三響會を御贔屓の方々は不思議なコメントに思われるかも知れないが。
近年の歌舞伎人気で全国の劇場で歌舞伎が上演されるので、私と傳次郎はそれぞれの劇場に別れ、演奏を取りまとめている。お蔭で同じ舞台に出る機会が激減している。歌舞伎や伝統邦楽が評価されている証なので大変に嬉しく有難いのだが、手前味噌乍らやはり私の小鼓と傳次郎の太鼓が揃うと、実に演奏全体をまとめやすい。今年は少なくとも秋までは歌舞伎の本公演で組む機会は無い。"獅子虎傳"と同様に今月の歌舞伎座昼の部もぜひご覧頂きたい。

2008年03月18日

傳左衛門日記 3月15日

旅は趣味の一つである。仕事でもプライベートでも楽しい。ヨーロッパ就くロンドンには既に二十回程行き、毎度バレエやオペラ、芝居に音楽と様々な舞台芸術を満喫している。言語も殆んど不自由しない。
そんな僕を悩ませる唯一の敵、それは荷造りである。荷物を出すと先ず片付けが始まり、懐かしい本や原稿が出てくると読み始め、手附(譜面の事)が出てくれば整理し書き始め、音源が出てくれば聴き始め、じきにお茶を飲み始め面倒になり…と、とにかく集中力が持続しない。舞台の集中力とは全く別物だ(笑)
去年は團十郎さん親子のパリ・オペラ座と勘三郎さんのNY平成中村座と二度の海外公演に行った。海外公演の荷物は殆ど船便で先に送る。再来月勘三郎さんの海外公演に行くが、その荷出し期限が二日後に迫っている。にもかかわらず、現在茶を飲みマーラーを聴きながらブログ原稿を書いている。ま、パッキングの早さと荷物の少なさと、最後の追い込みはだれにも負けない(笑)いつか三響會も海外公演をしてみたいものだ。

2008年03月25日

傳左衛門日記 3月24日

久々に兄弟三人で演奏した。去年の三響會以来か。四月日生劇場、市川亀治郎さん主演の舞台「風林火山」の録音。我々は個性の違いを旨としている。別に”わざと”違えようというのではなく、各々の信じる道を只々淡々と歩んでいる。だが、一度演奏を始めると途端にバランスを保ち、重心を取りつつ一丸となって進む。今回も基本的な話し以外、押す所引く所、ガンガン攻める所守る所、瞬時に意思を疎通させる即興的な勢いを大事にした。指揮者不在の邦楽は文字通り"呼吸"の芸術である。ジャンルは違えど、同じ家に育ち同じ師に教わり、同じ"呼吸"をして来たんだと改めて思う。
来月「風林火山」をご覧になるなら、少し耳を傾けると、より様々な世界が広がるはずである。無論まずは二十七日の「獅子虎傳」をご覧いただき、我々の”呼吸”の秘密を探っていただきたい。

2008年04月04日

傳左衛門日記 3月27日

「獅子虎傳」公演。同世代の気の合った仲間がゲストに来て下さるのは毎度刺激的だ。今回は同じ年、月生まれの舞踊家尾上青楓、狂言の茂山逸平・童司、歌舞伎の中村梅枝の各氏。特に、小学校の頃から稽古に来ている梅枝さんが、こうやって僕らの仲間に入るようになったのが実に感慨深い。公演も楽屋ノリのゆるいトークと、真剣"勝負"の舞台のギャップがよく出ていたと思う。特に英哲風雲の会の皆さんの真剣さに皆刺激を受けた。
昼夜公演の間がかなり長かったので、広忠さんの誘いで出演者で食事に行く。
「何処に行くの?」「ギョーザ」何故ギョーザ…。
しかも広忠さんは本当に際限無く注文する。未だ夜公演有るんだけど、ね??
終演後”当然”深夜迄打ち上げ。

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2008年05月06日

傳左衛門日記 4月28日

三響會南座公演の記者取材会のため京都へ。
我ら三兄弟の性格の相違は自他ともに認めるところだが、私は二時間前に京都入りして近くの古道具屋で時間をつぶし、傳次郎は三十分前の丁度良い頃合い、広忠さんはギリギリで、南座のスタッフさんを慌てさせた。
去年は関西初演と鷹揚にご覧いただいた方もいらしたと思うが、今回は通用しない。今回こそ我々の勝負になる。それに相応しいプログラムを組み、出演者にもご協力いただく事が出来た。あとはそれを如何に大勢の皆様に知っていただくか、実に重要な取材会である。常にも増して熱っぽく、若き主張をぶつけていった。
終了後は解散。昔からよく行く、仁和寺門前の仏風京懐石「左近」へ立ち寄って帰京。

2008年05月08日

傳左衛門日記 4月29日

ベルリン公演稽古。再演を重ねている"夏祭浪花鑑"だが、今回は世界的な和太鼓奏者の林英哲さんの弟子で、3月に行われた世田谷パブリックシアターの"獅子虎傳阿吽堂"にも参加した上田秀一郎さんに加わってもらっている。勘三郎さんに英哲さんの曲を聴いて頂きお願いし、強引にプロデューサーに仰っていただいた。僕と勘三郎さんのイメージでは、既にシーンと音が合っていた。失敗するはずがない。
稽古開始前、皆さんへの紹介がてら、上田さんにソロを演奏してもらった。皆度肝を抜かれ、僕はしてやったり。
今回の音は相当良くできたと自画自賛。コクーン、松本もお楽しみに!

2008年05月09日

傳左衛門日記 5月9日

今からベルリンに行ってきます!
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2008年05月21日

傳左衛門日記 5月20日

既に伯林公演の盛況ぶりが日本にも伝わっている模様。今迄の「夏祭浪花鑑」とは全く違う物になった。
最大の違いは和太鼓の上田秀一郎君の演奏がよく填まってくれた事。
林英哲さんに、家元に全て預けるのでお願いしますと言われた手前、又彼をブッキングした僕の面子も有る。無責任な事はさせられない。
立ち回りには彼のソロを多用した。前に中村屋に聴かせた英哲さん作の「三つ舞」のウ゛ァリエーションと大太鼓ソロ。大太鼓は元々考えていたが、スペースの問題で諦めていたのを、勘三郎さんの熱望により、スタッフの方々が工夫してクリアしていただく事が出来た。
上田君も歌舞伎という慣れない環境の中、実に素晴らしい演奏をしてくれている。
今回は上田君と田中社中との合奏も有るため、開演前に毎日練習をしている。皆上手く打ち解け、刺激され、良いチームになってきた。
三響會の為、ルーマニア公演には参加しないが、安心して彼等に任せる事が出来そうだ。
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2008年05月22日

傳左衛門日記 5月22日

素晴らしい公演だった。ドイツ人は音楽が身近に有るので耳が肥えているし、ちゃんと音楽家を讃える土壌が有るからとの勘三郎さんのお言葉で、今回は音楽家全員、連日カーテンコールで盛大に讃えていただいた。千穐楽は感動して涙が出そうになった。残念ながら日本での歌舞伎公演では味わった事は無い。勘三郎さんや玉三郎さんは、心から音楽家を大事に思ってくれるので、本当に勤め甲斐がある。
囃子チーム皆で打ち上げをし、興奮したまま荷造りに入り朝を迎え、寝坊が怖いので散歩に出た。
宿泊は旧東ベルリン地区。統一ドイツの首都になって十数年だが、明らかに東西の街並が違う。東地区は工事中の建物も目立つ。昼過ぎの便でミュンヘンで乗り換えて日本へ。いよいよ三響會モードに突入する。
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2008年06月03日

傳左衛門日記 5月29日

今回の三響會は我々の正念場であったが、各演目が終わった後、就く夜の部の最後の歌舞伎の「安達原」の後の拍手の凄さ。今までの三響會の姿勢通り、素晴らしい出演者達と共に丁寧に創れば、京都のような厳しい眼を持った御見物にもフェアに評価していただけるのが判り、今後の作品創りの良い糧となった。

2008年06月04日

傳左衛門日記 5月30日

朝迎えの車。又成田に向かう。先週伯林から帰ったばかりだが、今回は倫敦。
15歳で玉三郎さんと勘三郎さんの公演に連れて頂いてハマり、以来20回近く行っているが、ウ゛ァージンアトランティック航空は初めて。
噂以上の快適さ。ご飯は大変に美味しいし、客室乗務員の方々の対応が素晴らしい。第一皆美人だ(笑)
到着後又ハイヤーに乗り、Hampsteadの友人宅へ。
Andrewさんとは去年の巴里公演以来お目にかかる。典型的な上流階級の綺麗な発音で、実に解りやすい。
街を歩き、時差を調整する。
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2008年06月05日

傳左衛門日記 5月31日

昨日渡英の理由を書いていなかった。
今回も勿論仕事だが、歌舞伎公演に関するものでは無い。
SOHO THEATREという小劇場で野田秀樹さん演出の「DIVER」という芝居の音を創れと野田さんから承った。昨夏のワークショップでは、僕が普段演奏している大太鼓の自然描写や鐘の音、勿論小鼓などを普段通りに演奏し、英国人俳優の演技に合わせ、又彼等が合わせるという作業をした。
地図を片手に稽古場へ。皆僕の到着を熱望していたと野田さんに伺っていたが、就くキャサリン・ハンターさんは誰よりお待ちかねで、熱烈な歓迎を受けた。今回も普段通りの超ド古典でという縛りも頂戴した。そこまでハードルを上げられたらやるしか無い(笑)
稽古後PUBで野田さんに麦酒を一杯ご馳走になってから、ロイヤルオペラハウスに行き「ロミオ&ジュリエット」を観る。有名なバルコニーのパドドゥが有る一幕目はともかく、中盤以降はストーリーを追うだけになる感が否めない。でもジュリエット役は可愛くて上手いし、マクミランの振付が芝居がかっていて如何にもロイヤルという風で、バレエファンとしてそこそこ楽しむ事が出来た。
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2008年06月06日

傳左衛門日記 6月1日

日曜日にはまず稽古をしないのが鉄則とは英国らしい。月月火水木金金の我が国、就く歌舞伎界では考えられない。
だが時間の制約の有る今回はそんな悠長な事は言っていられず、昼間に制作助手の人に来てもらい台本の変更部分と今迄の稽古の流れを解説して貰った。
後は又街歩き。革靴が痛い。スニーカー履けば良かった。
野田さんから電話。タイ料理をご馳走になる。実に美味しかったし、楽しかった。
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2008年06月07日

傳左衛門日記 6月4日

稽古が朝10時から18時迄みっちりなんて日本だったら帰ってるところだが、楽しくて長さを感じない。
野田さん、キャサリンさん始め、キャスト皆さんの身体能力の高さには毎日驚くばかり。音を出しても、その反応の早さ、理解度、そしてリスペクトは、今迄殆ど経験した事が無い。古典の囃子にだって国境は無いんだという良い証明になった。
稽古後野田さんにYoung Vicでのブレヒトの「セツアンの善人」を観に連れて行っていただいた。野田さんの「BEE」の美術担当の方の美術だそうだが、度肝を抜かれた。芝居は些かtoo muchか。
終演後は中華に行く。この三日間毎日ご馳走になっている。何だか申し訳ない。
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傳左衛門日記 6月4日

稽古が朝10時から18時迄みっちりなんて日本だったら帰ってるところだが、楽しくて長さを感じない。
野田さん、キャサリンさん始め、キャスト皆さんの身体能力の高さには毎日驚くばかり。音を出しても、その反応の早さ、理解度、そしてリスペクトは、今迄殆ど経験した事が無い。古典の囃子にだって国境は無いんだという良い証明になった。
稽古後野田さんにYoung Vicでのブレヒトの「セツアンの善人」を観に連れて行っていただいた。野田さんの「BEE」の美術担当の方の美術だそうだが、度肝を抜かれた。芝居は些かtoo muchか。
終演後は中華に行く。この三日間毎日ご馳走になっている。何だか申し訳ない。
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2008年06月23日

傳左衛門日記 6月22日

またまた成田。今月二度目のLONDON行きで、今回は三泊五日のスケジュールである。
今回の目的は、野田秀樹さんと逢って明日プレスナイトを迎える僕の作調作品「DIVER」を観る事、そして何より8月歌舞伎座「愛陀姫」の音楽打合せである。15日迄に録音は済ませた。ネタバレするので多くは語らないが、演奏家や音響技師達の素晴らしい仕事振りを、僕の音楽コンセプトと共にもう少ししたらひたすら語るつもりだ。
写真のスーツケースは長年愛用のグローブトロッターのミニトローリーで、世界中同行している。良い鞄は旅の友。ステッカーを眺める度に旅の思い出が蘇る。
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2008年06月24日

傳左衛門日記 6月22日(英国時間)

今回のフライトはいつものANA。やはり慣れた食事とサービスは良い。全く時間を感じなかった。
又もやHEATHROW空港に降り立つ。地下鉄といい、この街独特の埃臭さは何処から来るんだろうか…
今日はサッカーの欧州選手権イタリア対スペインで、中継しているPUBというPUBは大混雑だ。ENGLANDは残念ながら本戦に出場出来なかったが、出場していたらこんな騒ぎでは済まない…身の安全と街の治安の為には良かった(笑)
それにしても実に気候がよい。からっとしていて、気温も夕方以降は半袖では些か肌寒い程だ。夜22時を過ぎても明るく、滞在先のFLATに帰るのも怖くない。
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2008年06月25日

傳左衛門日記 6月23日

朝から頭が重い…完全な時差ボケだ。COVENT GARDEN近辺で適当なブランチを済ませSOHO THEATREに入る。
今日は「DIVER」のPRESS NIGHT。今日の劇評で明日以降の入りと今後の評価が決まる。
COMPANYが皆ピリピリしている。野田さんは誰とも口をきかず、台本に集中し、まさに取りつく島もない。反対にキャサリンは驚く程のハイテンション。片や「野田秀樹」、片やウエストエンドで引く手あまたのオリヴィエ賞女優、今夜が如何に重大かを本当に知り尽くしているからこそ緊張するんだなと改めて感じた。
初日過ぎてTICKETが動くウエストエンドでは珍しく、プレビュー期間中に相当売れたらしい。プレビューを観た客の口コミだそうだ。
初日の芝居が始まる。稽古を何度も観ているが、やはり本番のテンションは違う。STAFFも皆さん本当に素晴らしく、こんなCOMPANYに参加出来た事を嬉しく思う。
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2008年06月26日

傳左衛門日記 6月24日

昨日の初日を済ませ、今日は僕も、誰より野田さんもやっと八月歌舞伎座「愛陀姫」の打合せをする気になった。
この前の録音を聞かせる。少し音を聞いて直ぐにIMAGEが沸いてくる様は、流石は「野田秀樹」。凄い人だ。
音は全てOKどころか大絶賛していただいた。僕らKABUKI「AIDA」ORCHESTRAのMEMBERの苦労が少し報われた感じだ。
終演後は野田さん達と大使館の方絶賛の海老雲呑スープを食べる。おかわりする程美味しかった。

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2008年06月27日

傳左衛門日記 6月25日

帰国日。飛行機は夜なので、昼間は友人と、その友人のROYAL ACADEMY OF MUSICの講師とやらいう御仁と、その斜向かいに有る何とか大学の学生とLUNCHをする。彼等は、日本の古典邦楽の譜面に書けない口伝だらけの音楽論と、その為の徒弟(書生)制度による教育論に興味が有るそうだ。
この時期のEUROPEはムール貝が実に美味しい。SIMPLEな白ワイン蒸しを頼んだが、友人がめいめいに1POTも頼んだのには驚いた。彼らはその上山のようなポテトを頬張り、ジュースのようにワインをあおる。考えられない…
慌しいLONDON滞在だったが、たった三日でも日本の梅雨の湿気から逃れる事が出来たのは嬉しい。又明日から、あのうんざりする湿気と、それから訪れる暑い夏との格闘だ…あと一時間と少しで又々機上の旅人になる。
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2008年06月30日

傳左衛門日記 6月29日

基本的に音楽を聴くのが好きである。定期的に様々なジャンルに走ったり、一切聴かない「音抜き」生活になったりだが、クラシックは変わらず聴いている。といっても特定の贔屓が有る訳でなく、幅広く聴いている。
LONDONで友人等とムール貝を食した事は書いたと思うが、その時に一人の日本人女性ピアニストの話題が出た。お名前はMs.Yurie Miura。ROYAL ACADEMY OF MUSICの院生で、5月頭に学内でやったCONCERTが実に良かったとの事。ACADEMYのサマースケジュールの写真を観たら、凄く綺麗で二度驚いた(笑)
とにかく、友人がそこまで言うなら、音を聴いてみたい。こういった二物を持っている人が出てくるクラシック界は、やはり広い…。

2008年07月08日

傳左衛門日記 7月6日

今日、松本公演終了後、皆で頑張った八月歌舞伎座「野田版愛陀姫」の音楽を勘三郎さん以下主要キャストとスタッフ皆さんにお聴かせし、音楽コンセプトとLONDONでの野田さんとの打合せの報告をした。
録った音に合わせて勘三郎さん以下皆さん台本を読み始めた。終わった時には皆さん眼が真っ赤で、会議室でスタンディングオベーションで我々演奏家達の仕事を讃えて下さった。
毎度古典も新作も命懸けだが、今回は又勝手が違う。ある意味、これ程のめり込んだ仕事は無かった。
LONDONに行っている間に制作発表も行われたようだし、そろそろ可能な範囲で録音作業について紹介しようか、しまいか…悩む。

2008年08月13日

傳左衛門日記 8月9日

歌舞伎座初日を迎えた。
野田秀樹氏からご依頼を頂戴し、最初に愛陀姫の打合せをしたのは四月半ば。NODA MAPの事務所にLONDONの「DIVER」の打合せに行った時に、ちょっと先に愛陀姫をやりたいと仰り、急遽打合せを開始した。
野田さんの音楽コンセプトは、ヴェルディのアイーダの主要ナンバーと、古典っぽい音楽を和楽器で演奏する事であった。僕は大のクラシックオタクである。iPodに入っていたアイーダを聞きながら打合せを進行した。
そもそも和楽器は西洋音階を出しにくい。ことに転調に弱い。スコアを買って改めて分析すると、アイーダは転調だらけである。
そこで、先ずは古典の邦楽界のトップランナーに協力を依頼する事から始めた。特に能管の一噌幸弘さん、ZANというバンドで活躍中の琴の市川慎さんの協力を得られたのは大きい。

2008年08月14日

傳左衛門日記 8月6日

囃子の会は三響會と違い、両親兼師匠の会。又違う責任が有る。
会場は歌舞伎座。この18年余り、多分家より多くの時間を過ごしているホーム中のホーム。全ての事、特に音に関する事は把握しきっている。
そんな所での囃子の会。毎度能狂言、歌舞伎、舞踊の役者や演奏家の第一人者がGUESTで出演する。他ジャンルの出演者の方々に、気持ち良く歌舞伎座で至芸をお見せいただく、ホスト的な役割も有る。三響會以上に舞台上も楽屋も気を抜けなかった。
母佐太郎師の芸は無欲である。淡々と舞台を勤め、後継者を残そういう求道者精神のみを感ずる事が出来る。塵世俗土に塗れた身には常に反省させられ、勉強になる。

2008年08月15日

傳左衛門日記 8月10日

野田さんからの指示は、あくまで歌舞伎座で上演される「歌舞伎」だという事。役者さん達にもオペラのDVD等を必要以上に観ないようにお達しが出た。
その為には原曲をなぞりつつ、テイストを変える必要がある。歌唱でなく台詞に乗せるように速度も変更する必要がある。西洋音階と歌舞伎の台詞は基本的に合わない。ただ、和楽器はどんな一流の奏者でも、楽器自体が持つ音階のブレが有る。その点はクリア出来そうだ。原曲と違うという意見が必ず出てくるはずだが、原曲を聞きたければオペラを観れば良い。我々は相当熟知した上で変更している。
二つのジャンルの最小公倍数を探る遣り方は、普段の三響會での作品創りと同じ方法での作業である。三響會で能と歌舞伎を摺り合わせるように、伝統邦楽とオペラを擦り合わせていく。

2008年08月18日

傳左衛門日記 8月11日

音楽の構想はベルリンで練っていた。昼の公演前、ブランデンブルグ門の前のスタバのソファーが指定席。LONDONの野田さんとはメールでやり取りを進める。
スコア読みを進めていくうちに、やはり転調の問題に悩んだ。前述の通り、和楽器は転調に弱い。一小節ごとに切ってチューニングし直す必要が出てくる曲もある。特に凱旋行進曲以降は大変な多さだ。邦楽の古典曲を含め、色々な曲を考えねばならない。
本を繰り返し読み込んだ。オペラでは歌唱と音楽が主体であるが、演劇は台詞の意味が伝わらないと意味が無い。野田さんの言葉を聞かせないと意味が無い。オペラ曲は耳がメロディーを追うせいか、台詞が聞き取りにくくなる。
愛陀姫はオペラでは無い。歌舞伎であり演劇である。この芝居で重要なのはオペラ曲ではなく、実は邦楽の古典曲である。
今までの野田歌舞伎を思い起こすと、前半から中盤はずっと古典曲を用い、エンディング曲はクラシックの名曲を邦楽にアレンジしたものを用いていた。研辰は「カウ゛ァレリア・ルスティカーナ間奏曲」、鼠小僧は「ホワイトクリスマス」。今回の野田さんのエンディングの想定は伺っていないが、そんな感じなのだろうか。
本を読むと行列イコール葬送である事に気付く。ピンと閃いたのがマーラー五番第四楽章「アダージェット」。玉三郎さんが出演していらしたモーリス・ベジャール氏のバレエを観て以来、バレエに目覚め、順にクラシック全般、オペラと幅広く興味を持っていった。残念ながらジョルジュ・ドンの「アダージェット」を生で観る機会は無かったが、ジル・ロマンの「アダージェット」を観てからドンの「アダージェット」をビデオで観て、ずっと大好きだった曲である。曲を聞きながら台本を読んだら、実に合う。
ベルリンの劇場の楽屋で勘三郎さんにラストシーンの濃姫、愛陀姫、駄目助左衛門の本読みをしていただき時間を逆算した。基本的に邦楽の古典曲に野田さん指定のオペラ曲を幾つか挿み、エンディングはアダージェット。音楽コンセプトは決定した。野田さんにメールをしたら直ぐにゴーサインが出た。

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2008年08月19日

傳左衛門日記 8月14日

西洋の音楽には沢山の擦絃楽器があり、独特な音圧を出す。対して我が国の擦絃楽器は胡弓のみである。
また笙、篳篥、能管、篠笛、尺八など竹の響きは多いが、金管楽器は無い。
アイーダといえば凱旋行進曲のトランペット。野田さんは当初から法螺貝等日本的な物で無く、トランペットを使用する方向で考えていた。歌舞伎座でファンファーレも面白かろうと直ぐに同意。テイストは過去の野田歌舞伎と同じく箏曲中心だが、音程が不安定な胡弓でなく、ヴァイオリンを使用する事にした。
編成は早々と決めていた。傳次郎氏にブッキングを頼み、三味線の今藤長龍郎氏、篠笛の福原友裕各氏とどの楽器がどのPARTを担当するか決定していく。ベルリン、南座三響會、LONDONと不在続きだったので、このご両人で殆ど編曲作業を進行して下さり、大変に有難かった。餅屋は餅屋。実際に演奏する皆で演奏出来るPARTを選択し、研究し練習するに限る。
が、芝居のなかでヴェルディからの移植曲が多いと、結局言葉の邪魔になる。オペラ曲は耳に付きやすく、野田さんの台本の言葉の面白さや深さと喧嘩してしまう。
そこで古典音階のオリジナル曲を各楽器で補曲していく。市川慎さんの濃姫のテーマの十七絃ソロ、長龍郎さんの偽祈祷師のテーマ、琵琶の桜井さんと尺八の松崎さんには、合戦のテーマや祈祷師のテーマで、武満徹氏宜しくBATTLEをしていただいた。歌舞伎にもよく合う。
録音を進行する上で一つ問題は、制作側の都合上、各楽器一名の音楽家しかお願いする事が出来なかった事。通常少ない人数で音の厚みを出すためには、先ずベースを録り、和音や不足分を繰り返し重録していくのがBESTだが、野田さんから、生っぽい感じでというご注文が入った。
つまり重ね録りの小細工は出来ない。いるだけの人数で各楽器一斉合奏一発録りという事になった。

2008年08月21日

傳左衛門日記 8月18日

6月中旬。LONDONから帰った二日後、素晴らしい音楽家達との録音作業は長く辛くも楽しい時間であった。特に能管の一噌幸弘さんはバッハ等クラシックもレパートリーとされているだけに、初見演奏にもかかわらず素晴らしい対応を見せて下さった。凱旋行進曲とアダージェットは氏の超絶技巧抜きでは語れない。弦楽器のみのアダージェットを竹管楽器が多い和楽器に翻訳するのは一抹の不安が有ったが、一噌氏と篠笛の福原友裕氏、尺八の松崎氏、箏の市川さん山野さんに三味線の長龍郎さん弥宏次さん、ヴァイオリンの鈴木さんがそれぞれ見事な演奏を聞かせて下さり、過去二作の野田歌舞伎のラストシーンにも共通する箏曲形式の「アダージェット」が完成した。
凱旋行進曲はトランペットの松原さんが若さを発揮して頑張ってくださり、五分超の大作に仕上がった。
又、琵琶の桜井さんは筑前琵琶と薩摩琵琶を使い分けつつ、武満徹氏のノヴェンバーステップスの琵琶奏者鶴田師の御門下に相応しく、随所に妖しい音色を入れて下さり、傳次郎もほぼ即興で、持ち前の作調能力をいかんなく発揮してくれた。
古典曲はいつも通りに、オペラ曲は原譜を忠実にしつつ歌舞伎下座や箏曲の速度に直し、二日間で膨大な音源を録った。使い方は野田さんの範疇である。正直切り貼りしていただきたくないが…それとて演出の範疇なので、全て自由にご使用下さい、とお伝えした。野田演出でどのように芝居の一部に活かされるのか、楽しみにしている。
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2008年09月08日

傳左衛門日記 8月20日

あと一週間で千穐楽。早いものである。
初手裏手、三度目で馴染み。歌舞伎三作品目の今回で野田歌舞伎というものが確立されたと思う。野田歌舞伎の下座音楽で最も重要な事は作家の言葉を聞かせる事で、その為にテンポを出していく事であると思う。故に、今回の音楽の使い方は古典歌舞伎とは全く違う使い方である。
能も歌舞伎も、戯曲によっては台本が書かれた当時の上演時間は今より全然短く、スピーディーであったとの研究を聞き及んだ事がある。謡や台詞、演奏の運びが時代を経て延びてしまったそうだ。
なるほど合方を多用し、台詞を延ばしたり唄う事が歌舞伎でない。実に演劇的、下座音楽にしてみれば実験的で挑戦的でさえもある。野田さんと打合せすればするほど、大変良い勉強になった。「研辰の討たれ」「鼠小僧」、LONDONと今秋の世田谷パブリックでの「Diver」でも沢山の刺激を頂戴し、数多の恩人の一人となった。
愛陀姫はオペラ曲を沢山使用する指定で、それに基づいて創り始めたが、ラストシーンのアダージェットに出会う事で、ようやく歴代野田歌舞伎と同じ形式にする事が出来た。
制作側のご許可を頂戴出来れば、次回は是非是非生演奏でやりたいものである。音楽家の多くは三響會にも出演した事のある、大変に素晴らしい方々である。彼等とのライヴ演奏は、芝居に又一つ奥行きを与えてくれるだろう。

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2008年09月28日

傳左衛門日記 9月26日

世田谷シアタートラムの野田秀樹氏の「The Diver」初日。LONDONでの公演は僕の作調による録音を使用したが、今回は生演奏である。
今回野田さんからは、僕の担当箇所は全て完全な古典で頼む、と注文を受けた。邦楽の世界は狭いようで広いが、俳優の演技や表情を見計らいながら、当意即妙に音を附けて総合芸術に仕立てる事が出来るのは、歌舞伎座の座付の音楽家だけと自負している。ことに題材は能「海士」と源氏物語。うってつけだ。
ウェストエンドを代表する名女優キャサリン・ハンターさんとの仕事は本当に刺激的である。キャサリンが稽古中に歌舞伎座九月興行の玉三郎さんの「日本振袖始」を観に来た時、玉三郎さんの踊りと僕の小鼓がリンクして、同じ気持ちや呼吸で共に演じているのがよく解ったと仰っていた。歌舞伎でもそんな俳優は何人もいないよと笑っていたが、キャサリンとの仕事は、玉三郎さんや勘三郎さんから十数年かかって盗んだ呼吸と同じような感覚を与えてくれる。
役者としての野田さんとの仕事も初めてである。出演されてる舞台も「オイル」だけしか観た事が無かった。今回の作業で何故野田秀樹が「野田秀樹」であるか、あり続けられるか、理解出来た気がする。国の東西もジャンルも関係ない。凄い人は凄い。

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2008年10月11日

傳左衛門日記 10月10日

世田谷シアタートラムでの「The Diver」も残り四日間。あっという間である。連日の舞台から本当に多くを学んだ。
言葉と音の関係は歌舞伎のような古典演劇にとって最も重要である筈なのに、長きに渡って繰り返し上演するうちに、俳優音楽家双方が考証を怠っている作品もある事に気付いた。「The Diver」の舞台は日々緊張感を保ちつつ、大変こなれている。舞台に"こなれ"は重要だが"小慣れ"は怖い。改めて思い知らされた。
野田さんはつくづく不思議だ。小さな身体の何処にあの強さを秘めているのか。「The Diver」は舞台の下手に大太鼓やドラ等々の道具を置いているのだが、野田さんが声を張るとドラが共鳴する。野田さんに言ったら「それが本当のドラ声?」と余裕のオヤジギャグが返ってきたが、鍛練なさっている自信の表れだろう。

2008年10月12日

傳左衛門日記 10月11日

シアタートラム「The Diver」残り三日。英国人の皆さんは、もうすぐ終わる淋しさと、国に帰れる喜びとで結構テンションが上がっている。
昨日の晩御飯をご馳走になったキャサリンのお兄さん夫婦が今日も観にいらした。キャサリンの楽屋での表情も舞台での演技も程よくリラックスしている。皆さん本当に家族を大事にする。源氏役のハリーも家族が来日してから格段に上がった。
終演後はほぼ連日野田さんにご馳走になっている。LONDONの時もそうだった。一宿一飯の義理というが、しっかり義理を果たして行かねばならない(笑)
大体は誰か英国人がいるが、今晩は久々にALL日本人。いつも野田歌舞伎で衣裳を担当されるひびのさん、妻夫木聡さん、皆さん大変に気さくで野田さんのトークも冴え渡り、本当に楽しかった。

2008年10月17日

傳左衛門日記 10月13日

シアタートラム「The Diver」千穐楽。去年夏のワークショップから続いたカンパニーともお別れで、毎日の楽器チェックや皆さんのアップを見るのも、開演前に流れているBeatlesを聞いて「Yesterday」になったらスタンバイするのも最後である。
キャサリン・ハンターさんは僕との作業を「音楽家とここまでAct together(共に演じる)出来るのは世界にも例が無く、日本の伝統の底力を知って、本当に良い経験だった」と言ってくれた。
日々変わる俳優の心情に則して、或いは音や声によってそれらを引き出し、共に一つの芸術を創り上げる事が舞台音楽の役割だが、僕ら歌舞伎囃子は能ほど抽象的でもなく西洋の舞台芸術ほど音楽的でもない。毎月違うプロダクションで歌舞伎役者相手にライブで鍛え上げられ、抽象的だろうと音楽的だろうと、求められた音はどんな物でも全て出す「歌舞伎囃子方」の特色、野田さんが僕に着目して下さったのも、その点だったようだ。
反対に野田さんやキャサリンのように音楽家と呼吸をやり取り出来る俳優は歌舞伎でも一握りで、僕にとっても大変刺激的な仕事だった。
残念ながらスケジュールの都合上、LONDON公演では録音を使用したが、次回機会が有れば是非ライブでやってみたい。
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2008年10月20日

傳左衛門日記 10月18日

今月の平成中村座は仮名手本忠臣蔵の通しである。日によってプログラムは異なるが、大序は必ず演じられる。
歌舞伎に於いて忠臣蔵の大序は、能の「翁」に相当する。儀式であり、変えてはならないものの一つだ。
幕を開けるのに、「天王立下り端」という囃子を打つ。これは三段形式で、キザミという手法を各段毎に三つ、五つ、七つと所謂「七五三」に打っていく。
この囃子に合わせて、狂言作者さんは四十七士に合わせ析を四十七発打つという口伝が有る。それ以上打ってますよね、とよく突っ込まれるが、あれは天王立の囃子に合わせてゆっくり打つのが四十七発で、あとは幕に合わせて早めて打つのである。ちなみに天王立の中で析を打つ箇所も決まっている。
昨今の一座の中では、この幕開きが長過ぎるといって、七五三を省略し七三と二段形式にさせる所もあるが、少なくとも我が田中社中には絶対にそれをさせない。仮名手本忠臣蔵の大序を崩す事は歌舞伎囃子を崩す事である。歌舞伎も含め何でもテンポアップの時代だが、やはり守り伝える事も重要である。
さて、幕が開くと置鼓という小鼓を打つ。これは必ず家元か、一座の囃子の責任者、"立鼓"といわれる者が打つ。僕は若輩ながら、随分させていただいている。
これも七五三に打つのだが、ここでは細かい説明は控える。必ず紋付袴を着用する口伝が有る。確かに前方端のお客からは見切れるが、他の演目でもよく有る事だ。
これは儀式性を重んじる為と、出打ち、即ち出て演奏していた時代が長く有った為である。
ゆっくり幕が開くにつれ動かず、開くほんの瞬時だけ音を調節し、打つ。難しい。昔の方々はこの置鼓だけを打って帰ったというが、この緊張感、難しさ、なるほどと毎度思う。
「The Diver」に出ていたキャサリン等英国人キャストとスタッフが観に来た時、口を揃えて大序が素晴らしかったという。東洋趣味じゃなくて?って笑ったら、そんな事では無いと一喝された。幕開き、置鼓(僕の声が聞こえたと騒いでいた(笑))、東西声の儀式から義太夫の置き、魂が入って…義太夫や役者の台詞の意味は解らないが、一人一人のキャラクターがはっきり出る素晴らしい演出で、あの50分と解説書を読めばあとのドラマが容易に想像出来ると言っていた。
やはり大序はまだまだ奥深い…

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2008年11月21日

傳左衛門日記 11月16日

十日間続いた玉三郎さんの八千代座舞踊公演千穐楽。
こちらに来る度に、主催の八千代座倶楽部の方々をはじめ、熊本の山鹿という街を挙げて公演を盛り上げようという人情味溢れるもてなしを受ける。
旅館は朝晩毎日地元の食材を生かした献立を工夫して下さるし、昼は八千代座倶楽部の皆さんがおにぎりや味噌汁等炊き出しをして下さったり、近所の喫茶店のお姉さんがおにぎりを差し入れして下さったり、……。
温泉がまた素晴らしい。舞台で汗を出し、温泉で汗を流し、まさにスローライフである。
お客様も素晴らしい。皆さん心の底から楽しんでいらっしゃるし、玉三郎さん以下、板の上の我々もいつも以上に真剣勝負である。
玉三郎さんの一挙一動に万雷の拍手で、カーテンコールは平均四回。通常の歌舞伎公演では有り得ない。
帰京の日はいつも淋しいのと同時に、ここまで人々を魅了してやまない坂東玉三郎という役者の凄さ偉大さを感じる。
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2008年11月22日

傳左衛門日記 11月17日

朝から母校学習院大学での講義。
初等科から学習院なので、学習院以外の学校は知らない。中・高・大と、新たに入ってきた友人を通じて外部を知るのみである。ぎすぎすしていないこの校風が大好きだ。
高等科一年の時に一ヶ月間、玉三郎さん勘三郎さんのLONDON公演に参加させていただき、立鼓に抜擢していただいたのは高等科二年の時である。大学は余りに多忙過ぎて二年で中退した。学業との二足の草鞋を履いていたあの頃が最も大変だった。
さて、学習院にはある名物校舎が有る。ピラミッド型の大講堂、通称"ピラ校"。今年取り壊されると聞いたのだが、実際に取り壊され、工事の柵に囲まれた風景を見るのは、本当に淋しい。
周りをそぞろ歩くと、取り壊されたピラ校のてっぺんが資材と共に放置されていた。将来はモニュメント的に保存するのであろうが、今はただぽつねんと。長年の友の変わり果てた姿を見たようなショックを受け、テンションが一気に下がった。
講義は毎年歌舞伎囃子についてとお題を与えられているが、専門的な話を長々するのも如何なので、広く歌舞伎について話をする。テンションが下がったまま講義に突入したし、結構な人数の大講義だったが私語も無く、中途退席もいなかった。今時の大学生は素晴らしい。
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2008年12月02日

傳左衛門日記 11月18日

芝増上寺での「珠響」CONCERT。素晴らしい音楽家達との競演は楽しみでもありHARDでもある。
プログラムのトップバッターは英哲風雲の会。ベルリン公演に来て貰った上田君は僕ら古典の人間の希望や存念、つまり"言語"を理解出来るようになってくれたので、心強く思っていたが、今更ながら彼等は昨今増殖している和太鼓集団とは明らかに一線を画す。彼等の師匠、佐渡の鼓童創始者の一人の林英哲さんは姿を重んずる。他と比して、演奏に無駄が無い。
次に稲本響さん。愛用の100年前のPIANOから出てくる音の深み。聴いた事の無い種類で度肝を抜かれた。僕らの鼓もそうだが、古い名器の深みにはどんな作為も勝てない。勿論それを余す所無く引き出す演奏家がいてはじめて成立する。
続いて尺八の藤原道山さん。我々「珠響」メンバーの中では最年長。早速長老のあだ名を付ける。息が分散せず、音に芯が有る。故に強くて正確。改めて力を見せ付けた。
休憩を挿み、ギターの村治佳織さん。スタンバイしている後方からでは彼女の綺麗な顔かたちは拝せなかったが、彼女の音には何とも言えない風情が漂う。激しい曲でもバッハでも、共通してぎすぎすしていなくて品が良い。音がスッと何処かからやってきて何処かへ去る。そんな感じか。
さてどんじりに控えしは、とは白浪五人男だが我々三響會。今や主要なレパートリーの一つである「道成寺組曲」を演奏した。僕らの特色は声と、独特のリズム感、兄弟阿吽の呼吸であろうか。
「珠響」は弟傳次郎が発起人になってメンバーが集まった。手前味噌だが、共通して言えるのは全員舞台姿が良い事だと思う。良い音は良い姿と内面を両立させて初めて誕生する。
デジタルサウンド全盛の当節に、生の音の持つ力、心地よさをもっと大勢の方々にお届けしたいと思う。伝統音楽が廃れない理由もそこである。
このメンバーで先ずは還暦を目指そうと誓い合った。この先どう発展するか。僕も一演奏家として、歌舞伎の舞台と両輪で大切にしていきたい。

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2009年01月15日

傳左衛門日記 1月1日

カウントダウンの仕事が有るときを除けば、中学生の頃から20年ほど、年越しは同じパターンで過ごしている。
大晦日は赤坂の豊川稲荷に御礼参りに行き、上野の蓮玉庵で家族分の年越し蕎麦を買い、家で蕎麦を食べ、某国営放送の歌番組の終わりかけでテレビをつけ、全国各地のゆく年くる年を観て、豊川稲荷に初詣に行く。
とにかく毎年混んでいる上、芸能人が来るとかで、参拝者以外のファンの方々が多く、混雑に拍車をかけている。
元旦は家で雑煮を食べてから、毎年恒例のセルリアンタワー東急ホテルの能楽堂でのCONCERTがあり、年始まわりをしてから家で一門の新年会。一年で一番行事が多い日である。

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2009年02月09日

傳左衛門日記 2月8日

珠響まであと一週間。
今月は歌舞伎座昼の部の玉三郎さん菊之助さんの「京鹿子娘二人道成寺」と、夜の部の吉右衛門さんの「勧進帳」という、歌舞伎の中でダントツ一位二位の大曲を演奏している。
珠響当日はサントリーホールと歌舞伎座、二往復四ステージである。歌舞伎囃子の家元として大切な歌舞伎座さよなら公演、一演奏家として思う存分自分の音に特化した表現が出来る珠響CONCERT。これに三響會。一輪でも二輪でも倒れる。三輪が有るからバランスを保てる。
゛三゛という数には何かと縁が有るようだ。

2009年02月26日

傳左衛門日記 2月15日

珠響当日。
歌舞伎座の道成寺と勧進帳、それぞれ終了後、移動を含め30分でサントリーホールの舞台に上がらなければならない。
今日は演奏の出来不出来も重要ではあるが、とにかく舞台に穴を空けない事が何より重要である。
先ずは体力。朝一のサントリーホールの下見から始まるので、前日から隣のANAインターコンチネンタルに宿泊した。新設のクラブフロアに宿泊したが、対応の素晴らしさ、ラウンジの使い勝手の良さ、勿論部屋の素晴らしさ。良い英気を養う事が出来たし、合間の10分間だけの仮眠も上手く取れた。
次に移動の段取り。歌舞伎公演中なので、気の利いた弟子は皆出払っている。急ぎの移動で費やす気力はかなりのものである。要領を得ないTAXIの運転手に道を説明する苛々など精神的に一番負担になる。バイトの付き人では段取りも…と思案にくれたが、独りでは不可能なので、野田版愛陀姫でトランペットを吹いた音大生の松原さんに相談をしたら、本人が引き受けてくれた。存外にかなりてきぱきと動いてくれたので、移動その他身の回りも困る事は無かった。
朝の音合わせでちょっとだけ稲本さんと村治さんの演奏を聞けたが、本番では誰の演奏も聞けなかった。場当たりもリハーサルも出来ず、到着して鼓を微調整し、演出の傳次郎に詳細を聞いて慌しく本番。
終了後の打ち上げもそこそこに、ホテルに戻り休む。

2009年03月31日

傳左衛門日記 3月27日

京都。非常に寒いし花見には早過ぎるが、早咲の桜はちらほら咲き始め、見事な風景である。
囃子と古美術は密接に関わっている。残念ながら現代では、舞台で使用するLEVELの道具を新規製作する事は不可能である。
無論現代にも素晴らしい職人は大勢いらっしゃる。ただ革や漆など、材料の質は明治維新以前と以後では比べものにならない相違がある上、経年"良"化を待つ時間も無い。
故に明治以前の質の良い物を探し求める。人からも古美術商からも。限られた道具を、さながら椅子取りGAMEの如く求め合うのである。
さて、茶道に必要な物が茶を飲む茶碗だけでないのと同じように、我々の道具も単に楽器のみではない。
特に鼓を収める箱と鞄は、楽器と同じ位大切な道具である。良質の箱でなければ良好な保存が出来ず、良質の鞄でなければ事故無く外に持ち出して劇場に運び、演奏する事が出来ない。
箱もなるべく古い漆塗りの蒔絵の物を探す。鼓の胴には蒔絵が施されている。桜の木で出来た胴に漆をコーティングする事で、日本の四季の寒暖や湿度による劣化や狂いが生じないようにする為である。
故に、古い良質な漆塗りの箱に収める事により、保存効果が倍増する。
僕が捜し物をお願いしている古美術商は京都にある一軒だけである。他の店に陳列されているのが気に入った時にはたまに浮気をする事も有るが…自ら依頼をするのは一軒だけである。
ご迷惑になるので屋号は伏せるが、高等科の頃より17年程お世話になっている素晴らしいご主人で、京都中の他の古美術商に日頃どちらで?と聞かれ名前を出すと、あちらの旦那と昵懇やったら他の店の鼓なんてあほらしやろ、と言われるような目利きの、齢70を越えてもまだまだ元気な、界隈の名物的な御仁である。
現在手元に鼓の箱が不足しており、江戸期の塗りの箱を捜していただくようお願いをしてあった。
4~5年待って、ようやく御主人の納得いく物が見つかったらしく、拝見に伺ったが驚いた。10年以上前にこちらで求めた鼓の箱と蒔絵の構図、仕立て、細工、全て同じ物であった。同じ下絵、同じ職人の作であるという意味だ。
製作年代は江戸中~後期。普段から桃山時代の鼓の胴を使用している僕にとっては、比較的新しい時代の物である。とはいえ、大量生産されるような品物では無い。
実に不思議な縁である。

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2009年04月01日

傳左衛門日記 3月28日

昨日は京都に着いてから、大好きな「とり市」の直営店で早春の薫り漂う筍御飯を食べた。「とり市」はカテゴリーとしては八百屋だ。春は筍、夏は京野菜、秋は松茸、冬は漬物と、四季折々の旬の物を楽しむ事が出来る。
出たての筍は未だ味の深みや歯ごたえは無いが、柔らかく口当たりが良い。早速両実家に送る。
その後、日頃懇意にしている京都古門前てっさい堂という道具屋の若主人を尋ねて行った。
知識と拘りの有るユニークな御仁で、いつも茶をご馳走になり、若主人の話を聞くのを楽しみにしているのだが、偶々お店の常連で陶芸家の細川護煕氏がお見えになっていて、大女将が食事に誘って下さった。予てからファンだったので、大変嬉しかった。
細川氏が首相でいらした当時は高等科か大学におり、未だ選挙権を持っていなかったので、政治は身近なものでは無く、正直余り覚えがない。
ファンになったのは近年、氏の作品群、就中黒茶碗を拝見してからである。
細川氏の器には独特の佇まいがある。一国の内府、宰相まで勤められ、我々民草では想像する事すら出来ない様々な清濁を御覧になられ、又併せ呑まれたのだろう。それ故に身心脱落された、てらいの無い、格の高い作品を作陶出来るのかもしれない。氏の作品を拝見していると不思議な空気に支配される。

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2009年04月02日

傳左衛門日記 3月28日(2)

毎朝毎晩茶を点てる。あのさっぱりした苦みが好きなだけで、別に点前を習った事は無い。釜をかける訳でもなく、POTからジャーっと。点て方も我流自己流で、茶道をされる方が御覧になったらさぞ非難されるであろうが、茶碗をはじめ茶器は大好きである。普段家では母から貰った萩の現代物を愛用している。
今日から細川護煕氏のご子息で陶芸家の細川護光氏の作陶展が有るとの事で、てっさい堂の若旦那に連れていって貰った。
護光氏は1972年生まれとの事で、年齢は4つ、学年は3つ上で、親しみやすく大らかな内に、情熱の炎が静かに燃え盛るような御仁だ。
氏の作品は正統派だ。てらいの有る、作家の意図や技巧を押し付けるような器は嫌いなのだが、氏の作品にはそれが無い。何とも言えぬ爽やかな風情が漂う。お願いし、茶碗をお譲りいただいた。幸運な出逢いだ。今後も一ファンとして追い掛けて行きたい芸術家の一人である。
帰京後、中等科時代に在籍した古武道部の顧問の先生が退官なさるお祝いの会に参加する。
学習院は戦前の官立学校時代の名残で、退職とは言わない。他にも、僕らの時代位までは、先生が高等科生を"生徒"ではなく"学生"と呼んでいた。三島由紀夫氏の随筆でもそうだった。
初等科から大学二年で中退するまで14年間在籍したが、何とも大らかな学校であった。
古武道部は合気道と剣術を通じ心身を鍛練する事を主としていた。在学中の三年間齧っただけだが、ここで鍛練した気や呼吸の溜め方出し方が、現在大変に役立っている。
久々にお目にかかる顧問や師範の諸先生や諸先輩に後輩達と談笑し、楽しい時間を過ごした。
人にも物にも、様々な縁に恵まれた良い二日間であった。

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2009年04月07日

傳左衛門日記 4月4日

歌舞伎座昼の部終演後、国際フォーラムへ個展を観に行く。
画家の東園基昭氏は初等科からの同級生である。初等科の頃から趣味で能を習っている、歳の割には古典に親しんでいる人で、学習院から多摩美大に行ったのだが、実に独特な日本画を描く。
一見古典をモチーフにした前衛的作品に見えるが無駄なてらいが無く、本物の、明るく発色の良い作品群は、それぞれ古典に対する知識や造詣の深さが読み取れる。
能の装束なども、単に華やかな色づかいやパターン等表面的な部分を楽しむだけではなく、謡の詩章や、底本たる源氏物語等の世界観を奥底に秘めた装束の製作者やセレクトした演者の意図を読み取る面白さが有る。東園氏の作風はまさにそうである。
引き続き来週8日から数日、日本橋室町の三溪堂という画廊で個展を開催するとの事なので、もう少し深く観てみようと思う。

2009年06月24日

傳左衛門日記 6月23日

歌舞伎座の出番が終わり、シアターコクーンに「桜姫」の現代版を観に行く。別段来月の研究の為とかいういやらしい動機で無く、あくまで趣味で行ったのだが、久々に後頭部をバットで殴られたような芝居を観た。終わって勘三郎丈のもとに伺い「来月の歌舞伎版、しっかり作らせていただきます!」などと気丈に振る舞ったが、凄い本、凄いキャスト、凄い演出そして凄い芝居…如何しよう何も考えが浮かばない…渋谷を茫然と歩む。

2009年08月07日

傳左衛門日記 8月4日

南座三響會。
京都は世界中で最も好きな都市だが、夏の蒸し暑さは尋常でない。夏は蒸し暑く冬は芯から底冷え。よく斯様な地に永い間都が有ったものだと改めて思う。
今回ご出演賜った富十郎丈は終戦の時南座にご出演で、四条の交番の前を通られた時に玉音放送を聞かれたとの事。京都の暑さってホントこんな感じでしたね~とサラリと仰る言葉にも歴史の重みを感じる。
今年は祖父11世傳左衛門の13回忌とあって、三響會も追善と銘を打ち開催した。
祖父が早くに倒れたので、初等科の頃から「傳左衛門」という、子供が書くには些か難しい名跡を継承するプレッシャーと闘ってきた。何といっても、現存する江戸の邦楽囃子の中では最も古い名跡である。
しかも他の邦楽囃子の御流儀のように舞踊や長唄の演奏だけをするのと違い、「歌舞伎」という"演劇"と密接に関わっている。芝居の筋、脚本、約束事、役者の型や癖、美術、音響、照明等、演劇の要素を全て把握しつつ演奏しなくてはならない。覚える事が多すぎる。
が、それが楽しい。直ぐにクリア出来る課題などつまらない。ある意味ゲーム感覚なのかもしれない。
追善は先祖を祀ることにより、自身の決意を新たにする場である。13世を襲名して未だ5年。色んな意味で長過ぎるこの名跡が完全に自分のものになるには少々時間がかかるかもしれない。
鞄、家具、時計、ジーンズ、茶碗、楽器はじめ諸道具…使い続けて手脂が染み込み、自分好みの味わいが出てくる。名跡はその最たるものである。
これからも無駄に古びた加工などせず、じっくり自分のものになっていく過程を楽しみたい。

2009年09月14日

傳左衛門日記 9月11日

三響會増上寺公演。
今回の増上寺公演は祖父の追善で、なかなか渋い、内向きの演目が並んだ。
内向きの演奏は、獅子や三番叟など、声を張り上げ発散するような演奏より磨耗する。亡き8世銕之丞師が「(車の)ブレーキを踏みながらアクセルを全開にして、少しずつ進んで行くようなものだ」と仰っていたが、そんな境地であろうか。
最初の「若菜摘」は上品でどちらかと言えばマイナーな曲だが、佐太郎師は大好きだと仰る。小学生の頃稽古して以来だが、大人になって改めて曲を分析してみると、様々情景が浮かんでくる。初演は歌舞伎の興行との事で、大変納得させられた。
それにしても佐太郎師の太鼓は変わらない。ぶれない。女にも男にも出せないあの雰囲気と音は何だろう。我が師で母だが、謎な人である。

2009年09月18日

傳左衛門日記 9月12日

明日から成田屋さんのモナコ公演に参加する為、池袋の東京芸術劇場「THE DIVER」は20日の千穐楽まで一週間を残し、今日で失礼する。
終演後、出演者やスタッフの皆さんが送別会を開いて下さった。そこで大竹しのぶさんが見立てて下さったというネクタイを大竹さん、野田さん、渡辺さん、北村さんのキャスト四人から頂戴した。実はモナコ行きの荷物にネクタイだけ入れ忘れたので、成田で買わないと…と思っていたので有難かった。
2年前野田さんに英語版作成の為のワークショップに呼ばれ、歌舞伎下座音楽の法則に則って英語の源氏物語のテキストを使用した英国人の芝居に音を付けて行った事から始まった現代演劇とのコラボレーションだったが、細かい芝居への対応など実に勉強になった。
今回は大竹さんとの仕事が刺激的だった。あの小さな身体から爆発したような力を発し、自在な台詞を操る。初日などは本当に感動して、舞台で涙を流してしまった。
音響、証明、舞台、美術など、野田さんの芝居を長年支えているスタッフも素晴らしい。仕事は丁寧で失敗がなく、ああした方々がついてくる野田さんはやはり大した方だと改めて思う。

2009年09月19日

傳左衛門日記 9月13日

成田屋MONACO公演出発。
先ず巴里まで。機内では余り寝られなかったが、原稿を書いたりゲームをしたり、同じくずっと起きていた海老蔵さんと話し込んだり、割りとすんなり12時間の長旅をこなした。
巴里の空港で乗り換えの手荷物検査が厳重なのは仕方ないが、誘導等実に非能率的で腹立たしい。ここで一気に疲労した。
やっと乗り換えのロビーに着いてNICE行きの飛行機に乗る直前「タカ!」と声をかけられた。僕をそう呼ぶのは傳次郎と親戚の一部。声の主は従姉妹(父の兄の娘)二人だった。休暇で姉妹で旅行中で、同じくNICE行きの飛行機に乗るという。片方など15年以上は会っていない。不思議な事も有るものだ。
NICEに着いたのは夜10時。コートダジュール(紺碧海岸)と呼ばれる美しい海岸線を見る事も出来ず、長旅の疲労で盛り下がったままホテルに到着し、そのまま寝る。
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2009年09月24日

傳左衛門日記 9月14日

モナコ公演舞台稽古初日。
著名なグランカジノと同じ建物に劇場がある。狭いが豪華で、且つ品が良い。音も素晴らしい。
船便で送った荷物も全て到着していた。心置きなく「鏡獅子」に専念出来る。
舞台稽古終了後、胡蝶を踊る梅枝君、尾上右近君に團十郎丈から直しが出て、その部分を返す。丈の直しはきめ細かく、傍で伺う我々も改めて勉強になった。

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2009年09月25日

傳左衛門日記 9月16日

モナコ公演初日。
いつも海外公演中は、必ず開場前に一度舞台へ行き、劇場の"気"に慣れる事を習慣としている。同じ事をしているのが海老蔵丈。元々ストイックな漢だが、暫く一座しないうちに更にその度合いが増している。
三響會後初めての舞台。三響會をやる毎に新たな発見をするのだが、今回は「江口」という作品と増上寺という空間に、内面に向かう演奏の大切さを教わった。
「鏡獅子」は数百回立鼓を演奏している。ある方曰く"立鼓"としては既に現役最多だそうだ。分析しきったつもりだったが、三響會で得た内向きの演奏の感触をもとに、自分の中で演奏方法、表現方法を大幅に変更してみた。
すると新たな発見が有った。それが何か、ここでは秘したいが、ご覧になっていた松竹のゼネラルプロデューサーにも誉めていただいた。
さても"経験"の怖さよ。
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2009年09月26日

傳左衛門日記 9月17日

余り雨が降らない筈のコートダジュールだが、ずっと雨に降られている。
やっと快晴、また、初日が開き些か気が落ち着き、夜の舞台本番までモナコの街を散策する。
といっても皇居の二倍程の広さの国家。すぐに回れる上、特に観光スポットは無い。
ビーチは砂利だらけの人工的なものだが、海は綺麗だ。今日の快晴でクルージングを楽しんでいる団員もいる。泳がないのは勿体ない。十数年ぶりに海水浴を楽しんだ。

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2009年11月18日

傳左衛門日記 11月12日

熊本県山鹿市八千代座、坂東玉三郎舞踊公演。
残すところあと一回。毎回山鹿の皆さんに大変な歓待を受け感激しているが、今回は特に身に染みる。
旅館では朝晩素晴らしい献立を考えて下さり、また、仲居さんが自宅で作られた梅酒やジャム等を饗して下さる。
毎朝必ず立ち寄る珈琲屋のお兄さんお姉さんも優しく、八千代座のボランティアの方々も人情味溢れ、毎年本当に有難く舞台を勤められる。
終演後八千代座倶楽部さん主催の打ち上げが有り、地元の方々がカラオケの出し物をされた。返礼に玉三郎さんも唄われ、一同大いに盛り上がる。さすがは座頭の配慮、地元の方々や一座する我々の大いなる思い出となった。
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2009年11月19日

傳左衛門日記 11月13日

熊本県山鹿市八千代座、坂東玉三郎舞踊公演千穐楽。
今回の八千代座も様々な思い出が残った。陶芸家の細川護光氏が立ち寄って下さった事も非常に嬉しかった。以前氏の作品を求め、朝夕愛用しているが、銘が欲しくなり、かねがね作者に付けていただこうと思っていた。良い機会なのでお願いしたらご快諾下さり、お預けした。久々にお目にかかる氏は相変わらず精悍で、翌日から窯場に籠もられるとの事で、より眼光鋭かった。
さて、終演して楽屋棟に帰ると豪雨、嫌な予感がしたが、取り敢えず空港へ。
チェックインを済ませ、荷物検査を通った所で欠航のアナウンス。翌朝神奈川の座間で子供達の為のワークショップを依頼されている。何としても行かねばならない。
翌朝のワークショップを依頼している笛の福原友裕さんの判断は早かった。「今なら九州新幹線乗れます!」とTAXIに誘導してくれ、車内でパソコンを駆使して様々なルートを検索してくれた。
何とか熊本駅に辿り着き、発車ベルと同時に博多行きの特急に飛び乗って、乗り換えて最終の新幹線で新大阪へ。
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傳左衛門日記 11月14日

結局二時間うとうとしただけで始発の新幹線。新横浜で乗り換え、座間へ。
再来年開場予定の神奈川芸術劇場の活動の一環で、子供達の為に日本の音を使ったワークショップをする。
数年前から播磨屋さんが子供達の為に歌舞伎のワークショップをしていらっしゃる。歌舞伎を含めた伝統芸能の裾野を広げるにはこうした活動は大変重要で、ひいては劇場に足を運んで下さる観客や、将来舞台に立ってみたいと思う人が増えればと、いつかやってみたいと思っていた。
今回の対象は小学校一年~三年だが、大変に面白く出来た。今後も機会が有れば子供から老人まで、少人数のワークショップをやって行きたい。

2009年12月04日

傳左衛門日記 12月4日

世田谷パブリックシタアー「国盗人」稽古
初演に引き続き、「国盗人」の作調を仰せつかった。
再演というのは実に難しい。"前回はこうでした"という段取りに追われ、初演が果たして正しかったのか、中身の考察が疎かになる事もある。一度作った物を壊して作り直すにはかなりの勇気が必要である。
演出の野村萬斎氏には勇気がある。得てして初演は勢いが有って、再演は少し落ち着いてしまうものだが、今回は格段に全体のLEVELが上がっている。
初日は12月5日。もっと上がって、素晴らしい初日を迎えられそうである。

2009年12月08日

傳左衛門日記 12月5日

世田谷パブリックシアター「国盗人」初日
歌舞伎座の出番が終わり、至急三軒茶屋に移動、少し遅刻したが初日の舞台を観る。
前日のゲネプロから更に修正が加わり、レベルアップしていた。これほど整理された舞台の上演が短期なのは惜しい。
脚本の河合さんや美術の松井さんに混じって、急遽萬斎氏からカーテンコールにお呼びいただいた。洋服で舞台に上がるのは殆んどなく、気恥ずかしい思いだった。
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2009年12月14日

傳左衛門日記 12月12日

世田谷パブリックシアター「国盗人」千穐楽。
開演時間がいつもより早く、歌舞伎座から急いで駆け付けたものの既にクライマックスの場面。
その僅かでも、如何にこの芝居が積み上げられてきたかよく判る。
今日は無いだろうと思っていたが、また萬斎氏にカーテンコールにお呼びいただき、衣裳のコシノジュンコ、作者の河合祥一郎両氏と舞台に上がる。またもや洋装…来年1月28日の獅子虎傳の宣伝でもすれば良かったと悔やむ。
打ち上げ。萬斎、コシノ、白石各氏と同じテーブルに。白石佳代子さんは父と旧知で、活殺自在な台詞術と存在感に只々圧倒されるばかりだが、日頃は大変穏やかで丁寧で、舞台人の手本のような方である。
歌舞伎座の公演が有るので今回は作調のみの参加だったが、是非演奏家としても参加したいと思う芝居だった。

2009年12月16日

傳左衛門日記 12月15日

深更。新橋演舞場の正月興行で市川右近丈が「黒塚」を出されるので、平成12年7月の猿之助丈の「黒塚」のDVDを観る。
歌舞伎興行に出演する様になって来年で20年、立鼓になって18年経つ。様々忘れ得ぬ舞台が有るが、この平成12年の「黒塚」は特に思い出深い。
唄が故今藤長之師、笛が藤舎名生師、箏が尊敬する唯是震一師中島靖子師御夫妻に尺八が山本邦山師、名人達の中に僕の小鼓と傳次郎の太鼓。演奏家冥利、猿之助丈の思し召しと聞いた。
この時期、身の回りに様々変化が有った。平成9年に祖父が亡くなり、翌々年には小さい頃から我が家の稽古場の廊下に寝転び、三兄弟の成長を間近で見聞きしていた愛犬も死んだ。
この「黒塚」の最中には、恩師の8世観世銕之丞師が亡くなった。入院後一ヶ月で亡くなると伺っていたので稽古中は勿論、初日が開いてからも度々見舞に行った。弱りきった師の顔を観て傳次郎共々涙を流したら、小さな声で「泣くんじゃない」と怒られたのが最後。
亡くなった日も病院で奥様が死に水を取られるのを拝して青山の銕仙会に行った。我々は取り乱していたが暁夫(現銕之丞)先生の書生達への指示は冷静で的確で、自分もいずれこうならなければと感じた。
歌舞伎座に行き、「黒塚」を演奏し、青山の銕仙会に戻り、故観世榮夫師や現銕之丞師、片山清司師やお弟子さん方と語らいながら線香番。
師の葬儀、三兄弟も共に棺を担がせていただいた。夏の蒸し暑さ、立派な棺の大変な重さ、あのクールな広忠が棺を担ぎながら泣き叫ぶ。僕らの少年時代が終わる通過儀礼だった。
「黒塚」の第二景、"穂波年波寄る辺さへ、かかる浮き世に永らえて、作りし罪の身なりとも"という箇所が有り、様々な無常感に駆られ涙が出た。
この年の9月に唄の長之師が倒れられたので、この顔ぶれは最初で最後、本当に高みに到達した「黒塚」だった。
あれから約10年、ずっと演奏したかった。今回唯是先生が弾かれ、邦山師が吹かれるかは判らないが、あの時のイメージや様々な思いをそのまま持ち込むつもりである。

2010年04月19日

傳左衛門日記 4月18日

随想。
松竹の故永山会長夫人が亡くなられた。
会長夫人は明るい方で、体型物言い気質、祖母によく似ていらした。「お祖母ちゃんとは付き合い長いからね~」と尊顔を拝する度に仰る。源助の名を襲名してからは「源さま」。勿論ヨン様よりずっと昔の話。
芝居をご覧になっても囃子をよくお聞ききになり、好きが高じてご友人方とお袋に囃子を習われた。益々迂闊な演奏が出来ない。
永山会長は旧学習院出身。僕が高等科の頃、演劇関係者が集まるOB会を創られた。OB会での会長は、普段劇場でお見かけするのと違い随分リラックスされた感じ。詰襟の制服、現役生は他にいなく、会長はじめ諸先輩から珍しがられ懐かしがられた。祖父母のおかげもあり、大変心安くしていただいた。様々な場所でお目にかかり親しくお話下さった故高円宮殿下に初めて目通りしたのもこのOB会。
三響會は自分達で発足させた勉強会だが、今日のように新橋演舞場など松竹系の大劇場で公演させていただくきっかけは、最初の新橋演舞場での会の後、会長が「なかなか良い会だから、うちで続けてやりなさい」と仰って下さった事による。以降、大きな空間を無駄にしないよう、囃子だけでなく、立方や美術を交えた総合的な公演形態を模索して今日に至る。
会長夫婦の恩義に報いる為には、先ず良い作品を創り、たくさんのお客様に劇場に足を運んでいただかねばならない。継続は力、である。

2010年05月11日

傳左衛門日記 5月10日

汐留某歯科、親知らずを抜く。切開し云々と、説明を聞く時は恐怖だったが、上手い先生すんなり、もう終わりですかと逆に質問。
皆後が辛いと言う。まさかと思ったらやはり同じく。家内も傳次郎も如何したら楽か教えてくれる。弱っている時、人の体験談は金言だ。
痛い。演舞場の助六は声が殆んど出せず、皆で打つ箇所は社中皆が常より大きく出してくれ、助六の出の太鼓段切は独りなので頑張って出す。
腹は減るが口中に物を入れる勇気が起きない。何か食べねば演奏に支障をきたす程飢えたので、弟子にコンビニの小分けされ固まった蕎麦を買ってきて貰い、その塊を一個ずつ丸呑み、実に不自由。

2010年05月24日

傳左衛門日記 5月22日

歯の治りは遅いらしい。大声を出すな、血圧あがるような事するな等、我が生業には不可能。先週拙文をお読み下さったという方からゼリー飲料の差し入れ有、人の情けに感謝。
夕刻国技館に行く。祖父11世傳左衛門、父亀井忠雄の血は争われず。近頃幕内土俵入で花道で喋っている力士を見かけるようになり愕然、相撲の成立から勉強しては如何か。
審判交替で九重親方登場、場内アナウンスの「正面審判長九重、元横綱千代の富士」で場内から懐かしさや尊敬の念が籠もった万雷の拍手、今日これ以上の拍手を受けたのは横綱白鵬のみ。
さて横綱は違う境地に達した印象を受ける。勝つ為や、負けない為の相撲でなく、削ぎ落とされた、さながら合気道の達人の演武のような境地。相撲は格闘技ではない。
何故祖父や父が相撲を愛してやまないか、白鵬の姿に代々の名横綱が重なり、改めて確認出来た気がする。

2010年06月21日

傳左衛門日記 6月19日

梅雨の京都は実に蒸し暑い。風情も何もあったものではない。ただひたすら暑い。
サッカーワールドカップオランダ戦、街中にファン溢れ、四年に一度の大騒ぎ、彼ら普段Jリーグなど観、常日頃サッカーを贔屓にしているなら納得もするが間違いなく俄、只騒ぎたいだけ、如何なものか。
昔ACミランのファンバステンが贔屓だった。今まで唯一部屋に貼ったポスターもファンバステン。当時に比べ小粒感は否めないが、オランダサッカーはやはり強い。
さて、京都はやはり名品の宝庫。
過日、京都中の至るところに有る帆布鞄「伊兵衛」や手拭い「RAAK」でお馴染みの永楽屋十四代細辻伊兵衛氏から楽屋見舞いに鞄を頂戴した。
これが又大変使い勝手が良い。コンパクトながら長財布に鍵と携帯という必要最低限の物が入る。
旅先にはもってこいの逸品である。

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2010年07月05日

傳左衛門日記 7月4日

金沢に移動。飛行機は傳次郎と隣同士、気楽な旅。
金沢は久方ぶり。ニューグランドに宿し、辺りを散策。
夜は亀治郎氏と合流、やがて広忠もやってきて、寿司を食べに行く。
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2010年07月06日

傳左衛門日記 7月5日

伝統芸能の今」金沢公演。
美味しい朝御飯をと目論見、近江町市場に行くと亀治郎丈にばったり出逢う。今食べてきたけど美味しかったとのご推薦をいただき、白海老専門店で白海老、紅ずわい蟹、イクラの三色丼を食す。至福。
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食べ終わり、市場を散策していると再び亀治郎丈に出逢う。この店の魚を大量買いしたよ、と仰る。
フットワークが軽い。
昼夜の合間は大樋長左衛門美術館へ。ギャラリーに欲しい茶碗が有ったが我慢。
公演は回を増す毎に馴染み、クオリティが増す。
チャリティーの募金も確実に増え、お客様のご厚意に毎回感謝。
現在の日本では、恐らくほとんどの方々が、癌を患っている身内や友人がいる筈である。癌にかかったら必ず死と向き合うらしい。
分別弁えた大人ならまだ対処のしようがあるが、子供が死と向き合う気持ち、また助かってもそのトラウマは計り知れない。
今後も強い意思を持ってこの活動を続けたい。

2010年07月07日

傳左衛門日記 7月6日

朝金沢。八時に宿を出て、飛行機で福岡、バスで熊本県山鹿市の八千代座へ。
毎年玉三郎丈の舞踊公演でお邪魔させていただいているが、受け入れて下さる八千代座倶楽部の方々や、お客様の暖かいこと、広忠は一瞬で劇場の虜になったらしい。
今回は宿泊が無いのが残念、後ろ髪を引かれつつ八千代座を後にして、一路福岡へ。
今月は山笠。度々福岡に来ているが飾り山を見るのは初めて。
疲れた身を押して宿泊のハイアットホテルから博多座まで散歩する。
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2010年07月08日

傳左衛門日記 7月6日

続き。
八千代座を出るとき、楽屋口で車椅子の少年が麻痺の残る身体で亀治郎さん、傳
左衛門さん、有難うと声をかけてくれた。何と素晴らしい、無垢で神々しい笑顔
か。疲労など一瞬で吹き飛んだ。
神や仏が我々の諸国行脚の旅をご覧じて、応援してくれたんだよと亀治郎丈が言
われた。11月の玉三郎丈の舞踊公演でまた逢おうと約束し別れた。
今回の我々のツアーは、小児癌にかかった子供達の社会復帰を助けるゴールドリ
ボン基金の活動を啓蒙し、寄付をお願いする事が目的である。
うちは両祖母を癌で亡くしている。癌にかかった上は必ず死と向き合うものだと
、体験者の本を読んだ事がある。忠臣蔵七段目で「非業な死でもお年の上」とい
う一節があるが、分別弁えた大人なら、まだ死と向き合っても自分や周囲を納得
させる術を持っている。それでも死は怖い。
まして、子供が病を得て、死と向き合う気持ちを考えた時、その切なさはいかば
かりか。
その少年に改めて、今回のツアーの意義を教えられた。有難う有難うと言ってく
れた、こちらこそ有難い。長く長く、生きて貰いたい。

2010年07月09日

傳左衛門日記 7月7日

福岡公演。
枕が変わると眠れぬ質だが、連日の疲労か珍しく寝坊、朝、お気に入りのハイア
ットのジムで泳ぐつもりが駄目になった。
大濠能楽堂は初めての出演、昨日の八千代座と違い完全アウェー、今日は広忠、
坂口貴信両氏の日である。
終演後最終の新幹線で新大阪、明日一番で静岡乗り打ち。幸い共演者、スタッフ
皆さんも今回のチャリティーの意義を共有して下さり、過酷な移動に関わらず協
力して下さる。有難い。
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2010年07月14日

傳左衛門日記 7月11日

朝羽田、徳島に飛ぶ。隣席はまたもや傳次郎、当方幅取る、きついだろうに嫌な顔もせず。誠に申し訳ない。
座談会、各地でのお客様の反応、或いは募金額を伺う度、皆益々子供達を守る必要性を痛感。亀治郎丈も日に日に舌鋒鋭くなり、さながら預言者。鹿や牛馬の子供達は産まれながら自ら立ち、魚の子は自ら泳ぐ。人間の子供ほど大人の手を必要としている生き物は無い、との言葉に感銘。
終演後直ぐ広島までバス移動。我々歌舞伎の人間は巡業慣れして、連日の乗り打ちなど余り驚かないが、長唄連中や、まして能楽師の兄など大変だろう。皆さん有難い事である。徳島を出た頃は綺麗な夕日、高松から暗くなり、瀬戸大橋は真の闇、それから岡山福山と過ぎ、広島到着迄実に三時間半を要した。
着後、兄弟と今回のツアーを仕切って下さっている全栄企画さんの社長御推薦の焼肉屋へ。移動の疲労も一気に回復した。
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2010年07月15日

傳左衛門日記 7月15日

浅草公会堂、ツアー千穐楽。
此度のチャリティのツアーは誰に頼まれた訳でなく自らの意思で参加した。
また、小児癌の子供達を守るゴールドリボン基金の活動も、東京ワンハンドレッドライオンズクラブ会長の傳次郎から活動内容を聴き、自らの意思で賛同した。
おかげさまで超多忙な上、天の邪鬼な性分。昔から匿名の手紙、今ならパソコンでの書き込み、見向きもしない。もしゴールドリボン基金から直にそんな形で陳情でも有ろうものなら、これ程協力しない。残念ながらチャリティ団体は玉石混淆。自ら視、聴き、調べた上で、人からの願いでなく、自分から協力したいという気持ちが重要、まさに縁。
亀治郎丈や兄弟に感謝するのは勿論だが、過酷なスケジュールにもかかわらず弱音一つ吐かないスタッフ皆さん、終演後にロビーで募金活動までして下さった長唄さん、そして各地で主催して下さった皆様、誰よりご来場のお客様一人一人に感謝したい。
公演に携わった全ての大人の意思が子供達を守り、やがて彼等が未来の日本を創造してくれる事を切に希望する。更に伝統芸能にも眼を向けてくれる様になれば、こんな有難い事は無い。
只々感謝。

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2010年07月23日

傳左衛門日記 7月23日

今月は赤坂ACTシアターで「鷺娘」を演奏している。
言うまでも無く「鷺娘」は玉三郎丈の代表作である。初めて玉三郎丈の「鷺娘」の立鼓を演奏したのは17歳、高等科3年の頃。それまでロンドンや歌舞伎座の諸公演で数度並んでいたが、我々の世界は「立(たて)」とそれ以下は雲泥の差である。
幕が開いて最初に「控え」といって、一発だけチという高い音を出してからヨーと声を出す。丈の直しはそこから、高い、浅い、早い、遅い…さながら「芸阿呆」の世界、以来演奏する事数百回、徹底的に鍛え上げられた。
丈はもう踊る事は無いだろうと公表されたそうだ。だが、曲の解釈や演奏方法はしっかり伝授されたつもりである。
過日の「伝統芸能の今」の座談会で亀治郎丈も仰ったが、30代も半ばになったら、そろそろ先輩から受け継いだ教えを後輩に伝える事を考えなければならない。
両親、先代銕之丞、伊十郎の各師、歌舞伎の舞台に出るようになってから玉三郎丈はじめ抜擢して下さった全ての幹部俳優、皆必死に教えて下さり、自分も必死にぶつかった。後輩に必死に伝える為には泰然と胸を貸す事、白鵬が大鵬の記録に並んだとの報せを聞き、思いを強くする。
注:写真は「鷺娘」がある毎に使用している小鼓の革である。修繕を重ね、もはや限界に近いので、玉三郎丈の一世一代で退役させるつもりだった。が、今回も使用している。戦友とはなかなか別れられない。
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2010年07月26日

傳左衛門日記 7月26日

赤坂歌舞伎もあと数日。
今日は土用の丑の日である。前のスケジュールが早く終わり時間が取れたので、鰻ではなく、
赤坂見附駅至近のしゃぶしゃぶ屋「しゃぶ玄」でランチ。
単に天の邪鬼な性分からでもなく、丑の日に牛を食すなどという語呂合わせでもない。玉三郎丈からの受け売りだが、
声帯には牛の脂が非常に良いそうだ。この店は漬けタレが大層美味しく、鍋も一人鍋、誰にも気兼ね無い。
そもそも土用鰻は江戸時代、かの平賀源内が「この日に鰻を食すと夏バテをしない」とキャンペーンを張ったことから流行した、というのが定説である。なるほどこの暑さには効きそう、キャンペーンとしては上出来だ。
バレンタインデーのチョコ、ホワイトデーの飴は言うに及ばず、近頃は敬老の日に対して孫の日まであるそうだ。内需拡大のためのキャンペーンは大いに結構だが、魂胆が見え見えなものもかなり多い。
どうせなら源内ばりに、いかにも効果が有りそうな、誰もが納得して乗せられて、いつしか文化として定着するようなキャンペーンを張って貰いたい。

2010年07月30日

傳左衛門日記 7月29日

赤坂千穐楽。
七之助丈の「鷺娘」がこの二日間で素晴らしく変化した。何故かと問えば一昨日玉三郎丈から懇切な指導が有ったとの事。風情が有り、音楽にも乗り、大変見事な「鷺娘」になって千穐楽を迎えた。
終演後は芝のプリンスパークタワーに移動、海老蔵丈夫婦の披露宴である。席は大分ご年配の地方の"巨匠"方とテレビ局の方々に囲まれる、片や傳次郎は若手の役者達も近く賑やか、見るにつけ大いなる孤独感。
だが、テレビ局の皆様殊の外優しく接して下さり寂しさも無くなる。皆さん日テレで奥方のニュース番組を担当されていたスタッフさん達との事。口々に「麻央ちゃん本当に良い子だし、普通のお嬢さんなんで、色々宜しくお願いします」と親身に仰る。
まだ奥方の事はよく存じ上げないが、長年同じ釜の飯を食したスタッフさん達の言葉は何にも代えがたい重さがある。海老蔵丈は佳い人をめとられたようだ。
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2010年08月01日

傳左衛門日記 7月31日

珠響ツアー大阪公演、初日。
ニューオータニで朝食、傳次郎、村治、亀治郎各氏と出会う、皆さん早起きである。
珠響の良さは様々なジャンルを一度に楽しめる事にある。大体古典芸能は演者も愛好家も、他は観聴きしようとしない、ある種の原理主義に陥る。
だが我々も普段は洋服を着、イタリアンやフレンチを嬉々として食べる、片や珠響メンバーの洋楽の演奏家も日本語を母国語とした純日本人である。
大体我々日本人は初詣に行きバレンタインデーにチョコを渡し、花祭りに釈迦を祝い、クリスマスにキリストを祝う。多ジャンルがミックスされたこのコンサートは現代日本の縮図である。
何より参加アーティスト全てが自分のコンサートで大勢のお客様を呼べるレベルである。連日各アーティスト達の高いレベルの演奏を聴ける事は大変に意義が深い。8/28のサントリーホールは特別プログラムとの事、楽しみである。
さて、今日楽屋で亀治郎丈が過日の「伝統芸能の今」の金沢公演で求めた大樋焼の杯を下さった。大変欲しかった物だし、
求めなかった事を後悔していた。何より丈の情が只々嬉しい。生涯の家宝がまた一つ増えた。
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2010年08月03日

傳左衛門日記 8月2日

中村屋薬師寺公演。
昨日珠響茨城公演終了後、そのまま京都へ。
朝グランヴィアで朝食、部屋に帰り小一時間、恐らく数年ぶりに二度寝の快楽を貪る。
毎夏、京都の蒸し暑さは異常だが、京都人は夏の蒸し暑さ、冬の底冷えを心底誇らしげに語る。この大いなる郷土愛によって千年の永きにわたり都が存続したのか。
昼過ぎに奈良へ。薬師寺の講堂の前に2600席を並べた圧巻の舞台。流石は中村屋。
日が落ち19時開演。舞台上の暑さはなかなかだが存外に湿度は無く、楽器にとっては大助かりである。
終了後京都に戻り、洗濯、就寝。
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2010年08月08日

傳左衛門日記 8月7日

珠響ツアーを終えて。
非常に刺激的なツアーだった。今回は歌舞伎囃子方でなく、一邦楽演奏家として参加した。
当家は私で十三世、囃子方では最も古い家であるが、残念ながら歌舞伎での音楽家の扱いは居て当たり前な、バックグラウンドミュージシャンの域を出ない。
といって別段目立ちたい訳でも無いが、今後はこうした演奏会や、特に邦楽に興味を持っていただいた方にお教えするなど、邦楽演奏家としての活動も積極的に行いたい。
音楽の力は偉大である、改めて感じる事が出来た。

2010年08月22日

傳左衛門日記 8月22日

「第八回亀治郎の会」千穐楽。
連名には記載していないが、実は飛び入り参加で千本櫻のみ連日演奏させていただいていた。
さて、待望の亀治郎丈の忠信である。
門前の小僧習わぬ経を読むの喩、小さい頃から極めて自然に、その世界観と共に暮らす意義を改めて感じた。尤も、家の芸とはそうしたものである。
第二に感心したのは、亀治郎丈が忠信を自分の主催の"会"で実現させた事である。
我々演奏家は小さい頃から自分の家の会に出演して経験を積む。我が三響會もその範疇を出ない。自分の会を催し、人様の会に出させていただく事が、常磐津文字兵衛師の表現を拝借すれば「街のお師匠さん」の本来的習慣である。
対して歌舞伎には興行主が存在し、俳優は小さい頃から歌舞伎興行というものに出る事が出来る。個人の会に出演する、或いは主催をする苦労と喜びは、余程何かを求める姿勢が無ければ得る事が出来ない。気の毒にさえ思う。
会を主催する事は確かに大変である。出演者との交渉から会場確保、当日のスタッフさんから出演者の弁当の個数まで把握しなければならないし、当然自分の舞台も勤めなければならない。
だが、終わったあとには素晴らしい充実感が待っている。自分のやりたい舞台が出来る事も勿論だが、出演者、スタッフさん、来場者一人一人全てに対して心底感謝する事が出来る。この感情は何物に代え難い。
現在の彼ほどの人気なら、通常の歌舞伎公演でも希望すれば通るであろう。
それを敢えて自分の会にかける事に意義がある。
古は六世歌右衛門丈の莟会、猿之助丈の春秋会、成田屋の荒磯会、高麗屋播磨屋ご兄弟、勘三郎丈も染五郎丈も御自身の会を催していた。会を主催してきた俳優の目線は何か違うし、仰る事も的確である。
「亀治郎の会」はあと二回で終了との事、どのような世界観を共有させてくれるか、次回以降も参加させていただくのを楽しみにしている。
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2010年09月18日

傳左衛門日記 9月17日

京都、今月は南座で海老蔵丈の義経千本櫻の通し。
今日は昼一回公演。夜は建仁寺で、日頃三響會と御縁が深いMHD主催の「オールドパー・伝承の饗宴」。
珠響メンバーで尺八奏者の藤原道山氏とマリンバ奏者のSHINSKE氏による「ボレロ」等の名演のあと、同じくMHDに御縁が有る尾上菊之助丈が立方で長唄「島の千歳」を演奏する。建仁寺の伽藍は素晴らしい音響効果。古い日本建築は邦楽器に実に最適である。
終演後は吉兆の料理にオールドパーの至高の組合せの宴。
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2010年10月04日

傳左衛門日記 10月3日

平成中村座・大阪公演初日。
毎回勘三郎丈の企画力実行力は絶大だが、今回は大阪城に劇場を建てられた。天守閣を借景に、回りは広い芝生の公園。我々が幾ら音を出しても全く迷惑はかからない。
さて、勘三郎丈が平成中村座を復活されて早10年が経つ。その時に、江戸時代に中村座座元の勘三郎家と囃子頭の傳左衛門家で執り行っていた「一番太鼓」の初日の儀式を復活した。
それまで「一番太鼓」の演奏方法自体は残っていたが、正確な儀式の遣り方や作法は唯一祖父の故11世傳左衛門が知るのみだった。
祖父から直に稽古を受けたのは数えの6歳6月6日位なもので、実技は全て母から習った。
祖父は脳溢血の後遺症で言葉が不自由だったが、幸い頭の中身は死ぬまでしっかりしていたので、立鼓になった高校生から祖父が死ぬ二十歳過ぎまで、聞きたい事、疑問に思った事を様々ぶつけては聞き齧った。その時偶々「一番太鼓」の儀式の遣り方や作法を聞いていた。
聞いていなければ完全に絶えてしまっていた。遣り方自体は単純な事だが、それを守る事も伝統である。今は僕の振舞いや打ち方を弟子達皆が見られるようになった。
斯くして伝統は続く。
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2010年10月07日

傳左衛門日記 10月7日

名古屋御園座。
「伝統芸能の今」の公演中に、亀治郎丈から大樋焼の盃をいただいた事は以前記した。
互いに陶器を愛好する共通点有り。以前からお世話になった方々に陶器を贈るのだが、亀治郎丈には最も愛好する細川護光氏の作品を贈りたいと考え、氏の作品を常設で購入出来る所を伺おうと、氏に直にメールをした。
残念ながら、左様な所は無いとのご返事、大いに落胆する。
が、氏から「作成しましょうか」と望外のメール、二つ返事でお願いし、世に二つしかない粉引の盃を作成していただいた。
一つは亀治郎丈に贈り、一つは旅の友、名古屋に持参している。
普段晩酌などしないのだが、毎日必ず一杯だけ呑み、磨き育てている。枕が代わると眠れぬ質だが、今月は実によく眠れる。
数十年後、互いの盃がどのように育っているか、亀治郎丈と細川氏と見せあいたいものである。
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2010年10月13日

傳左衛門日記 10月13日

名古屋御園座。
18歳から旅公演ばかり、ホテル暮らしは手慣れたものである。
御園座公演の常宿は名古屋観光ホテルである。部屋に季節の花、今は藤袴を活け、朝は茶を点て、音楽を聴く習慣、一昨日CD屋を巡っていたら、珠響仲間のギタリスト村治佳織さんの新作が出たとコーナーを設けて大きく宣伝、勿論それを購い、部屋に帰り早速聞いてみる。
朝聴く音楽と夜聴く音楽ははっきり大別される。今回のアルバムは朝、目覚めの茶を点てる時に合う感である。
珠響ツアーの時、先月ロンドンにレコーディングに行ってたと村治さんが話していた事を段々思い出した。
ロンドンは大好きで、34年の人生で20回は行っている。毎度ヒースロー空港に降り立った時の何とも言えない、独特の匂いを感じる度に旅の始まりを告げられたように心が躍る。
録音とは不思議なもので、音だけでなく、その場のシチュエーションや土地の空気感迄も共に封じ込める。今回の村治さんのアルバムには英国独特の薫りが音に封じ込められていて、開封した瞬間あの匂いを感じ、自分も旅に行ったような感。
充実した朝の目覚めである。
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2010年10月16日

傳左衛門日記 10月16日 

名古屋御園座。
今月は随分東京と往復している。近くて有難い。それにしても随分新幹線に乗っている。生涯では間違いなく山手線より新幹線の方が多い。飛行機のマイレージみたいに手軽に貯められないものか。
さて、過日取材で歌舞伎音楽の特色について尋ねられた。
歌舞伎のキーワードは「模倣」「らしさ」「本歌取り」の芸術である。
雅楽、神楽、猿楽、能楽、浄瑠璃…様々な前代の芸術から様々な要素を上手く取り入れている。
本屋でムック本を見つけ、名古屋のホテル暮らしの友となっているが、やはり世阿弥は深い。
能は五番立と言う五つの内容で大別され、五番を全て上演することが正式だそうだ。
歌舞伎も昔は一番狂言から大喜利と、朝から晩まで上演されていた。
尤も昔は能楽も歌舞伎も、もっとスピーディーだったそうなので、鑑賞するのに苦痛では無かっただろう。
11/25と26の日経ホールの広忠の公演は略式五番立という形式だそうだ。歌舞伎に例えれば「見取り」、つまりハイライトのガラみたいなものなのか。
愛好者にも入門用にも、それくらい見易い物の方が良かろう。
歌舞伎の演者や愛好者の中には、本歌を知らない方が良い、などと言う人もいるが、そんなのは無知者の僻みである。
本歌に触れてこそ、初めて離れる事が出来るし、そもそも表現力は自分の手持ちの引き出しの数で決まる。
三響會はそれを勉強する場である。
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2010年10月26日

傳左衛門日記 10月26日

名古屋御園座千穐楽。
昨日は東京~名古屋で舞台~大阪中村座。
朝一で大阪~名古屋に戻る。新幹線は便利だが、スケジュールが詰め込めるので却って身体には良くない。更に速いリニアが出来るらしいが、35年後との事、70の賀の祝、父のように元気に舞台に立てているだろうか。
今月の宿泊は名古屋観光ホテル、国内外あらゆるホテルに泊まったが、ここのフロントレベル程過不足無いスタッフはいない。朝掃除係に起こされたのには閉口したが、押し並べて流石名古屋随一のホテルと思わせる。
COP10の国際会議の影響か、街も活気を取り戻しつつある。今月の殺人的スケジュールで解ったが、東京にも大阪にも近いこの地は案外便利である。
終演後再び新幹線、帰京。
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2010年10月31日

傳左衛門日記 10月30日

朝新幹線、新大阪に向かう。駅でばったり勘太郎丈に遇い、共に中村座へ。
来月の平成中村座は「法界坊」「夏祭」の二本立てである。
「夏祭」にはベルリン公演に引き続き、再び和太鼓の林英哲氏にお願いし、弟子の上田君をお預りさせていただいた。
今回は左程変更しないつもりだったが、今回は再びご当地の福島天満宮の地車講の方々がいらっしゃるので、彼らへのリスペクトもあり、なるべくだんじり囃子を避けるべく、繋ぎの音楽の編成を変え、上田君の和太鼓と門弟の傳十郎の笛だけとし、シンプルで小回りが利くようにした。
「夏祭」の音楽といえば派手なだんじり囃子、或いは江戸の祭り囃子、立ち回りの囃子に気をとられ勝ちであるが、中村屋型に限らず、江戸の型の「夏祭」の音楽で最も重要なのは、通称「泥場」と言われる舅義平次殺しの場面の、団七とのやり取りの静かな笛と大太鼓の"鎌倉"という囃子である。一見(一聴か)地味だが、遠景のような風情、凄惨な殺しの前の義平次と団七の心情を表現している。簡単に聞こえるが、俳優の心情、呼吸、台詞の音量、義太夫三味線、全てを理解出来ないと不可能である。
和太鼓と笛だけにした事により、音楽の流れがこの「泥場」に集中した。上田君と傳十郎はベルリン以来度々ジョイントライヴをやっている様で、呼吸もぴったりであった。
存外に稽古が早く終わり、最終の新幹線に間に合いそうだったので、博多に移動、泊。明日から熊本の八千代座で玉三郎丈の舞踊公演。
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2010年11月19日

傳左衛門日記 11月18日

朝成田、廿数回目の訪英だか、初めてブリティッシュエアウェイズに乗る。進行方向反対向きの座席の存在には驚いたが、慣れてしまえば問題無く、サービスも過剰過ぎず良い。
荷物を上の棚に乗せろと言う我儘な日本人の客にも毅然として御自分で、という英国人CAの小気味の良さ。普段日系航空会社でスーツを召した紳士方がふんぞり返り、若いCAに荷物を上げろというのが実に嫌なので、内心拍手喝采。
女性に重い荷物持たせるなど有り得ないし、持つ方も個人で守れない事案は企業がルール作りしないといけない。
昨今アジアの某大国の人々のマナーの悪さが取り沙汰されているが、残念ながら我国もまだまだ負けていない。
さてヒースロー到着。世界有数のロストバゲージ多発空港で有るが、ブリティッシュエアウェイズのターンテーブルにほぼ同時刻に到着しているANAのタグが付いた荷物が回っていたのには目を疑った。成田から来た荷物は何でも良いのか。我が荷物は無事だったが、他ターミナルのANA便の方々の混乱と焦燥を思うと気の毒に思う。
どんより曇った空もたまに降りだす雨も慣れた景色である。
様々なイギリス人気質を体感出来た日であった。
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2010年11月22日

傳左衛門日記 11月20日

昼ポーランドのワルシャワに飛ぶ。バスのような機体、ラジコン飛行機のようなエンジン音、哀れドーヴァー海峡の藻屑と消えぬと覚悟したが、そこは大英帝国の旗艦航空会社、抜かりはない。
英、仏、蘭、独と過ぎるが、不景気なEUを丸ごと呑み込むかのような一面の雲海。やがてそこに突っ込み、ワルシャワに着く。
綺麗ではあるが、東欧独特のどんより暗く、広く、淋しい空港、荷物もなかなか出ず、ポーランド語もさっぱり解らず暗い気持ちが更に暗くなる。
外に出ると英語堪能な格好良いドライバーが迎えに来て、格好良いBMWに乗り、社会主義時代を思わせる広い道を颯爽と走る。ドライバーにワルシャワの事を質問責め。段々気分が明るくなる。
ワルシャワ随一というブリストルホテルに到着する。ドアマンやベルボーイは親切、レセプションや土産物屋のお姉さんは大変な美人、レストランも美味しい。最初の期待値の低さから一気にかけ上がった。
近所を散歩するも、余りの寒さに直ぐ断念、部屋で寛ぐ。
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傳左衛門日記 11月21日

早朝、ワルシャワから400キロ離れたヴロツワフという都市に陸路で移動。ポーランドの閑かな田舎にもマクドナルド。携帯も世界中繋がるし、英語も世界中で通じる。アメリカンスタンダードは強い。
今回の訪欧の主たる目的の一つは、ジャズピアニストの小曽根真氏のポーランドツアーの作曲協力をする事である。「道成寺」の鐘入り迄を定本にアイデアを提供し、それを基に小曽根氏がジャズに創りあげる。
今回は笛の福原友裕さんにツアーに同行して貰い、大小鼓役のピアノと、古典的な笛のコラボレーションとなった。僅か五分の間に凝縮された緊張感。小曽根氏が柔軟に邦楽独特の「間」を掴んで下さり、素晴らしい仕上がりになった。
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2010年11月25日

傳左衛門日記 11月22日

早朝、暗い雨の中ヴロツワフ空港へ。バス停のような小さな空港。
空路ワルシャワで乗り換え、ロンドンへ、分厚い雲を突き破り、輝かしい日輪と暫し再開の後、また分厚い雲の中に突入。斯様に曇りばかりでは精神が鬱屈する。我が国の抜けるような蒼空が有難い。
明日は帰国日、たった一日のトランジットだが、完全なOFF。帰国後の慌ただしい生活の再来を思うとうんざりだが、慣れたロンドンの街を効率的に廻り土産物整え、夜はENOでCOMPLICITEとの共同企画のOPERA「A DOG'S HEART」を観る。ソ連の博士が犬に人間の心臓を移植したら犬が段々進化し人間になったが、手におえない行動を繰り返したので又犬に戻す、という実に単純な物語。
演出の面白さ、役者達の高い身体能力の素晴らしさも、OPERAかと言われれば疑問。演出のSIMON McBURNEYのNAME BRANDで「音楽にも合った素晴らしい演出」位の評論が書かれるだろうが、物凄い数のキッカケ、指揮者と音楽家達の高い技術が合わせ、初めてOPERAの体裁。
劇場の音楽家は所詮縁の下の力持ちというのは東西共通だが、まぁ解る人だけに解って貰えれば良い。
ともあれ、舞台としての出来は最高であった。
宿は再びHER MAJESTY'S THEATREを見下ろすHAYMARKET HOTEL401号室。快適に過ごす。
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2011年02月23日

傳左衛門日記 2月23日

博多座玉三郎特別公演。
いつも博多座から少し遠いホテルを常宿にしているが、今回は気分転換に博多座至近のホテルに変えたが大失敗。チェックインしてから六日間連続でベルのスタッフに「チェックインですか」と言われたのには閉口、客を見ず取り敢えず声をかけるマニュアル通りの流れ作業感、その他様々枚挙に暇が無い。ホテルは名前ではないと痛感する。
地方公演に行くと門弟達の中にはウィークリーマンションを取る者も多い。一度見てみたかったが、楽屋以外で気を遣わせるのも申し訳なく、見られずにいたが、今回傳次郎がウィークリーマンションだったので、初めて内見した。掃除がマメに出来る人には良いだろうが、自分には不向きと心得る。
普段地方公演中は殆んど引きこもり生活だが、今回はホテルの問題も有り出掛けまくった。傳次郎や友人達とモツ鍋や寿司を食べに行ったり、楽しく過ごした。
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2011年02月25日

傳左衛門日記 2月24日

博多座玉三郎特別公演。
過日一回公演の時、久々に大宰府天満宮に詣でた。
数年前の二月玉三郎特別公演の時にも時間が有ったので、勘太郎丈と二人で天満宮のみならず、神社仏閣マニアの亀治郎丈推薦のマイナーな寺々にも参詣した。
その時天満宮参道の梅ヶ枝餅屋の呼び込みで入った店が「松嶋屋」、食べ終わり出た正面の店が「中村屋」という屋号だったので、勘太郎丈と「中村屋」の梅ヶ枝餅を買って帰った覚えがある。
天満宮はさすがに荘厳で、梅見や受験の参拝客も多く賑やかだった。
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2011年03月02日

傳左衛門日記 3月1日

朝演舞場「吉原雀」舞台稽古、終わって福岡に飛び、博多座三月公演舞台稽古の音をチェックする。
「棒しばり」も「夏祭浪花鑑」も常は舞台上、客席からの眺めは新鮮である。
勘太郎丈初役の団七がとにかく素晴らしい。コクーン版初演の時、彼は何歳だったか。芸の継承を眼前にするのは、古典芸能に携わる全ての者にとって大きな喜びである。
「夏祭浪花鑑」の音は初演以来随分進化させてきた。今回はからずも主役が代わったことで、また新たな化学反応が生まれそうな気がする。
初役のエネルギー、必死さ懸命さは再演以降には味わえない。全ての歌舞伎愛好家は、福岡に飛ぶべきである。
様々手直しが有って、稽古終了は23時半。ホテルにチェックインすると同時に35歳を迎える。
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2011年03月07日

傳左衛門日記 3月7日

三響會の本公演を毎年定期的に、という声を頂戴しているのは承知している。昨今舞台芸術、特に伝統芸能離れが進行している現代社会に於いて、お客様側から開催を求められるのは、大変な名誉である。
兄弟の考えは知らないが、三響會はあくまで研究・創造・実践の結果を発表する場と考えている。やりたい事、ご一緒したい出演者、発表に値する場所が揃って初めて開催する、勉強会としてのスタンスは守りたい。
そんな不定期開催にもかかわらず、常日頃我々を後援して下さる方々の存在は実に有難い。
三響會には「三響會倶楽部」という後援会が有るが、このほど事務所が会員限定タンブラーを作成して会員の皆様にお配りしたとの事で、サンプルをいただいた。
有名なベルリンの信号機のキャラ「アンペルマン」のようにシンプルだが特徴有るデザインが気に入った。家紋でも入っていようものなら困ったが、これなら一見して誰だか判らない分、照れる事無く使いやすい。
連日楽屋では珈琲を飲むが、マイタンブラーはエコロジーにもエコノミーにも良いと改めて実感する。
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2011年03月12日

傳左衛門日記 3月12日

東北大地震。先ずは三響會を御愛顧の皆様、並びにご家族関係者皆様のご無事を願うばかりである。
昨晩は演舞場公演は中止となり、帰宅しようと取り敢えず歩いたが、朝のラッシュのような人だかりなのと、翌朝の演舞場が心配なので桜田門辺りで引き返す。
長岡ナンバーのバイクに乗った、フルフェイスに目出し帽風の若い男が二人、事務所界隈のマンションを指差していた。火事場泥棒の類いか、近付いてブツブツ言いながら携帯の写メのシャッター音を何度かさせたら退散した。
銀座の三響會事務所で夜を明かすが殆ど眠れず。朝演舞場休演の報せ、劇場に向かい確認。都内殆どの劇場が休みになったそうだ。
夜の三響會倶楽部会員限定の食事会も中止。せっかく申し込んで下さった方々には申し訳無いが、やはり安全第一である。
実家稽古場の玄関の壁と瓦が損傷したと母から報せ、急ぎ実家に向かう。古いものは大事にしたいが、寺社でも無いのに瓦はそろそろ限界か。

2011年03月14日

傳左衛門日記 3月13日 

演舞場再開。朝一で劇場に向かう。
災害の映像を視るにつけ、我々が先ず出来る最低限の救援は寄付と節電と痛感。
寄付は斯様な御時世、詐欺、紛い物が横行する。よくよく精査せねばならない。
節電は政府も呼び掛けているが、繁華街の無駄な明るさ、殊にゲーセン・パチンコの類いなど実に無駄で、腹が立ってくる。機械相手の娯楽で心が充たされるなら本や音楽や、ショービジネスなど、不要。取り急ぎ使用してない電化製品のコンセントを抜いたり、昼は照明を点けないなど、一人一人の心掛けが肝要である。

2011年03月15日

傳左衛門日記 3月14日

大地震発生三日後。
杉並の端に住む身に通勤は応える。渋滞の恐怖からタクシーは駄目、計画停電の影響で電車も大混雑。
ようよう都心に着き喫茶店に入ると煌々と電気を点け、無駄な音楽が流れている。斯様な連中の通常営業に我々郊外の人間の節電した電気が使われていると思うと本当に腹立たしい。
昨日から新橋演舞場をはじめ、都内各劇場がほぼ再開したようである。
昨日は演舞場を開けてから、渋谷の東急文化村に行き、邦楽監修をさせていただく五月シアターコクーン「たいこどんどん」の、古田新太氏の三味線の稽古に立ち会う。
三味線を触るのは初めてとの事だが、上手の人は何をさせても上手である。数回の稽古で素晴らしい進歩、指導の杵屋勝松氏のスパルタながら丁寧な指導方法にも感心する。
夜演舞場、こんな非常時にも来て下さるお客様は本当に有難い。常に増した演技、演奏、質の高い舞台。
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2011年03月18日

傳左衛門日記 3月17日

大震災発生六日後。

何処に行っても、もはや東京名物の買い占め禍。
勿論、家族の命を預かる家長として、当面必要な備蓄はすべきと思うが、"買い出し"と"買い占め"は違う。
デパ地下などは惣菜やデザートに溢れ、営業している店は、ほぼ通常のものが食べられる。
大人なら、別段米が無くとも、何かしら他の炭水化物は摂取出来る。
米や牛乳その他、子供の食べる物を買い占めるのが分別有る大人の仕業か。何か起きる度にティッシュが無くなるのは、滑稽でさえある。
高利での転売目的で購入している人間もいるようだが、ろくな事はない。
昔中等科の頃、広忠さんが聞いていたRCサクセションの歌で「放射能はいらねぇ~牛乳が飲みてぇ」と、プレスリーの替歌で原発風刺をした歌が有ったのを思い出したが、天の忌野清志郎氏はこの騒ぎを如何思っているだろう。

さて、新橋演舞場は今日から二日間休演。
演劇の上演に関しては様々な意見が有るが、戦時統制下でも能や歌舞伎や宝塚等はギリギリまで公演をしていた。
当時の社会と現在は民度が違うが、人々が集い、人の演技や演奏に喝采し涙し、励まし合い助け合う事を共有出来る劇場とは、素晴らしい場所である筈だ。
是非劇場文化の灯は消さないで頂きたいし、皆様には能や歌舞伎のみならず、演劇や音楽等、全ての芸術を愛護して頂きたいと思う。
少しだけ携わった野田秀樹さんの池袋の東京芸術劇場の「南へ」も再開したそうだが、チャリティをしているとの旨を伺った。
昨年三響會と亀治郎さんとの「伝統芸能の今」のツアーは小児癌の子供達の社会復帰を手伝うチャリティが目的であった。
昨日所属する東京ワンハンドレッドライオンズクラブの会合に出席し、改めてチャリティとはなにかを考える事が出来た。

また、やはり義援金詐欺が横行している。
我々はライオンズクラブを通じて寄付や援助が出来、被災地復興への一助となるのが有難い。
そして、三響會で出来る事は何かを考えたい。
先ずは被災地、我々は狼狽せず粛々と節電。
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2011年03月28日

傳左衛門日記 3月24日

朝渋谷駅。
所属する東京ワンハンドレッドライオンズクラブの主催する、東日本大震災の義援金を募る呼び掛けに参加する。
地下鉄なかなか来ず、集合時間に少々遅れた。
到着すると前会長の傳次郎や村治佳織さん等メンバーに混じって、片岡愛之助丈の姿。「仕事有るけど、一時間だけ飛び入りさせて貰うよ」との男気溢れる言葉。
募金開始。
殆どの募金活動がゲリラ的との事だが、あとで始末書を書いたり、このご時世に警察の手を煩わせてしまうのは忍びなく、我がクラブは「許可を取る」事に拘ったそうだ。
呼び掛けてもなかなか募金者来ず。「伝統芸能の今」とは全く違う完全アウェー感。
と、幾人かの子供達が村治さんの募金箱へ。まさに浄財。一同感動した。
やがてシアターコクーンで公演中のピアニスト小曽根真氏、片岡孝太郎丈・千之助君父子来。父子はその後共に街頭に立って呼び掛けてくださる。只々嬉しく、残寒厳しき中にも笑顔が戻る。
午後広忠氏来、また、同じクラブの田子ノ浦親方が、大関把瑠都や日馬富士等人気力士を連れてきた。スポーツマスコミが押し寄せての大混乱に些か面喰らう。さながら現在上演中の野田秀樹氏の「南へ」のワンシーンのよう。
朝から休憩無しで四時間弱叫び続ける。疲労は無い、などと強がれない程の疲労感だが、大勢の方々の協力により、被災地支援の一助となる事が出来たであろうか。
阪神淡路大震災の時は、継続的な支援が復興を早めたそうだ。此度も一度のみならず、継続的に長い期間、支援を続ける所存である。
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2011年04月01日

傳左衛門日記 4月1日

朝、大阪の某喫茶店で朝食。
平成九年松竹座開場の数ヶ月後、友人のミュージカル俳優岡幸二郎氏に連れられて以来、関西に行くと必ず顔を出す。「お母ちゃん」の飾らない、世話好きな人柄に惹かれ、多くのミュージカル俳優が来店するそうだが、ここに来ると本当に息が抜けて良い。
大阪は活気に溢れている。灯と人が消えた銀座とは対象的、北新地が関東からの疎開セレブにより大変な賑わいだそうだ。
様々意見もあろうが、東日本が大変な今、西日本が活性せねば我等が瑞穂國は停滞する。江戸時代は政治の江戸に対して経済の大阪、故に独特の文化、芝居。西日本は頑張ってもらいたい。
梅田駅で家内の好きな宝塚ホテルのカレーを送り、阪急で京都へ。
京都は暖かく桜も咲き初め、先月起きた様々なことが夢のようである。現実を見つめること、時には忘れること、表裏必要と改めて感じる。
我々の仕事は、明らかに後者に属する。表裏それぞれの感情を持ちつつ、邁進したい。
さて、南座での坂東玉三郎丈舞踊公演。稽古前にちょうど京都で開催中の細川護光氏の個展へ。いつ拝見しても端正で美しい作品に暫し現実を忘れ、更にお客様に現実を忘れていただくべく稽古の為、楽屋入りする。
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2011年07月14日

傳左衛門日記 7月5日

演舞場「鏡獅子」終了後、ジャズピアニストの小曽根真氏にご招待いただき、東京フィルの定演を聴きにサントリーホールに向かう。
着物のまま行ったので、物珍しいのか判りやすいのか、色々な方々にジロジロ見られ、会釈され、声をおかけいただいた(が、人の顔と名前を一致させるのが生来大変に不得意である。もし非礼が有ったならこの場で詫びる)。
小曽根氏はモーツァルトのピアノコンチェルトを弾いた。氏のジャズピアニストとしての強い矜持が感じられる演奏だった。
ソロパートの時と、アンコールのジャズ曲の時の、オーケストラの皆さんの楽しそうな、嬉しそうな表情が実に印象的で、客席のクラシック愛好家も斜に構えず、舞台の上も下も純粋に「音楽」を楽しんでいた。
氏に左様伝えると「サントリーホールで東フィル相手に僕みたいなモーツァルト弾いたら、本来打ち首ものですよ(笑)」と常の屈託無い関西弁で笑った。

実は三響會で能の曲を演奏するとき、全く同じ心境である。毎度能の形式を尊重しつつも、歌舞伎囃子の矜持を強く持ち演奏している。歌舞伎囃子方である以上は、自ずと歌舞伎らしい明るさ、軽み、躍動感が滲み出てくる。
舞台上の能楽師も見所の愛好家も、今日のサントリーホールのように違いを楽しんで貰えれば幸いである。
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2012年03月07日

傳左衛門日記 3月7日・京都

ブログはもう書かないのか、と友人からメールが有った。
書かなくなった理由は様々だが、携帯の機種変更もその一つである。流行に乗り、スマートフォンにしたのだが、実に文字を打つのが面倒くさい。
さて、先月は演舞場で勘九郎襲名興行があった。鏡獅子もさることながら、土蜘は実に素晴らしかった。
「幼少から正直に、厳しい稽古を積み重ねた者のみが一人前の舞台人になることが出来る。付け焼き刃は必ず落剥する」とは祖父11世傳左衛門の言である。
勘九郎丈は、役者では最早少数派になりつつある、幼少より厳しい稽古を積み重ね続けた舞台人である。
テープやビデオ(現在両方死語になりつつあるが)でしか勉強しない者に深みのある演奏は出来ない、と小さい頃常々叱られてきた。付け焼き刃は必ず落剥する。
本当に素晴らしい襲名興行だった。
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2012年03月21日

傳左衛門日記 3月16日・京都

京都南座。
今日は祖父11世傳左衛門の命日である。
松竹座の開場、祖父の死、三響會の発足、早15年経つ。
今月は秀山祭興行。曾祖父が初代吉右衛門丈の座付だったこともあり、逸話は当家にも数多く遺る。中でも「松浦の太鼓」の陣太鼓の件は、二人で相談して現行の型に練り上げたという。忠臣蔵でも、様々な型と囃子の約束事が遺るが、それらを研究・実践しようと言ってくれる研究熱心な俳優が現れるのを願うばかりである。
今月は「熊谷陣屋」の幕外の遠寄せを打っている。連日音出しのキッカケの前に暫し瞑目し、初代当代の播磨屋の演奏をした曾祖父や祖父、祖父の高弟の傳兵衛等、様々な先人達の事を思う。
祖父は脳溢血で10年間舞台から遠ざかり、特に亡くなるまでの一年間は病院だったが、折々病室で帝劇開場の、当代播磨屋襲名狂言の「積恋雪関扉」のテープ等を聞かせると、後遺症の麻痺が残る不自由な言語ながら、長々と初代播磨屋や、六世成駒屋の思い出や芸談など語っていた。
終演後、吉右衛門丈の御招待で鳥彌三へ、総勢数十人、並の宴会の規模ではない。まことに親分肌である。
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2012年03月26日

傳左衛門日記 3月24日・京都

京都南座。
三響會の15周年を記念した手拭いを、京都の老舗手拭い屋の永楽屋細辻伊兵衛商店さんが作ってくれた。
シンプルな色使いとデザインが素晴らしい。
南座近くにある永楽屋さんの店頭で実際に販売されていたのには驚いたと同時に、嬉しく思った。
思わず購入してしまった。
京都は素晴らしい物に囲まれているが、古裂を貼った面白い葉書を発見し、購入した。
昨年末多忙で友人知人に年賀状を殆ど書いておらず、些か心苦しく思っていたので、便りを書く。
夜、再び鳥彌三へ。
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2012年03月29日

傳左衛門日記・3月28日

昨日南座千穐楽。桜の蕾もだいぶ膨らんできた。
最後に顔を出した知人の古美術商で、震災で被災し、海水に浸かった江戸初期の某高僧の書が見事に修復されていたのを拝見して、感動した。一年がかりで洗い、表具し直したとの事。
幾多の天災戦災を乗り越え、復興と成長を遂げた我が国を見て来た古い物には、特別な力が宿っているのだと、改めて思う。小鼓大鼓等、我々の道具も同じ、大切に敬わねばならぬ。
四月演舞場の忠臣蔵の稽古の後、藤間宗家の結婚式。母と家内と同じテーブルで、美味しい食事を楽しんでいたが、友人代表で、新郎のほぼ全てを知り尽くした傳次郎がスピーチと聞く。彼は相当出来上がっていたので気楽だったが、こちらは緊張。
良いスピーチで安心した。
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2012年04月02日

傳左衛門日記 4月1日

新橋演舞場初日、「仮名手本忠臣蔵」の通し公演。
初日の挨拶廻り中、福助丈が「君らの世代になったね~」と仰った。
若輩乍、忠臣蔵は随分演奏させていただいている、が、通し公演といえば、遥か年上の大名優ばかりの一座である。
10代20代の頃の自分に大名優達が出囃子蔭囃子共、様々な大役を演奏させてくださったのも、同世代以下の俳優、演奏家、スタッフにその経験を伝えよ、との有難い思し召しによる。
今月は花形歌舞伎は、少しは同世代の俳優達に、培った経験を生かせる場となるかと思う。
大序の幕明きは以前(2008年10月頃の日記か)触れたが、歌舞伎の「翁」のようなものである。
幕明きの「天王立下り端」の太鼓も完全版は七・五・三に打つ。
完全版は長い上、幕引き、狂言作者等、スタッフさん各位も相応の知識が求められるが、自分の社中では、決して省略しない。他の御社中は真ん中を飛ばした省略形である。
今回の大序の俳優さんやスタッフさんは、普段省略形に耳慣れた方々なので如何かしようか逡巡したが、松緑丈に相談させていただき、今回の意義有る忠臣蔵通しの幕明きを完全版で演奏して貰っている。
幕が明き、低音、甲音を交互に七・五・三に、置鼓という小鼓を打つ。これは自分が一座しているときは必ず打つ。普段全くミスタッチをしない自信があるが、これは毎度、寧ろ回数を重ねる毎に緊張する。
蔭囃子ではあるが、着流しでは無く、正式に袴を履く。大昔、出打ちをした事もあり、その名残と学生時分に先輩達の雑談を聞いた。楽屋話の雑談は重要である。そういえば、戦争の話をする先輩達がすっかり居なくなった。
さて、三段目が終わり四段目、由良之助は染五郎丈である。
四段目の城明け渡しの本釣鐘は、大序の置鼓と並んで、全ての歌舞伎囃子の筆頭格である。古人は置鼓15発か、本釣鐘約10発のどちらかを打って一日の仕事を終えていたという逸話が遺るが、それだけ精神力、集中力が要求される。
染五郎丈の曾祖父七代目幸四郎丈の四段目の本釣鐘は、曾祖父十代目、祖父十一代目傳左衛門が打っていた。それ以来の因縁である。様々な芸談、逸話が遺る。先月の播磨屋の熊谷陣屋に引き続き、万感の思いである。
殊に、現在新橋演舞場の鐘は、建替中の歌舞伎座から釣り替えているが、もう一代前の歌舞伎座か帝劇か、どちらかの物と聞いている。
戦時中も歌舞伎を公演していたので、当然本釣鐘が無いと芝居にならない。
劇場に在り、気合いの入った先輩達が隠し守った為、軍需供出で鋳潰される事無く、歴代の名優名演奏家達を見続けた代物、新しい歌舞伎座に釣り替えるのが楽しみである。
終わって国際フォーラムのアートフェアに、友人の東園基昭氏の日本画を見に行く。
モダンアートも様々だが、古典の知識に裏打ちされていないものなど、只の破壊的な落書きに過ぎない。自分が気持ちよいのだから構わぬだろうと他人の迷惑を省みない、質の悪い酔っ払いを見るような嫌な気分になる。
彼の日本画は、モダンな中にふとした端正な古典の薫りが漂う。大贔屓の陶芸家の細川護光氏の作品もそうだが、小さな頃から良いものを見てきた環境も一因であろう。
早く細川氏の個展が見たい。
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2012年05月07日

傳左衛門日記 5月3日

平成中村座舞台稽古。
終了後、世田谷のシアタートラムに行き、キャサリン・ハンターの独り芝居「Kafka's Monkey」を観る。
公演中なので内容は伏せるが、舞台上での憑依とも言えそうな集中力の高さ、真摯さ、勿論身体性の高さ。
一部のオペラやバレエのスターのような、観光ついでの来日では無い。その真剣さが素晴らしい。
キャサリンとは四年前に野田秀樹氏作・演出の「The Diver」で一緒に仕事をしたし、過日野田氏の「The Bee」英語版を観たが、洋の東西問わず、他に喩えようの無い名優である。
日本に居ながら、世界トップクラスの演劇を観ることが出来る、至高の時間であった。
終演後の乾杯では打って変わって、リラックスしたチャーミングな感じ。まこと愛すべき人である。
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2012年05月09日

傳左衛門日記 5月9日

平成中村座。
今日は昼の部のみ、終演後急ぎ国技館に行く。
久々の本場所観戦。
中入の休憩に、中等科時代の同級生で、現在NHKの相撲中継担当アナウンサーの太田氏が席まで顔出しに来てくれた。
過日個展を観に行った画家の東園氏、それを仕切る日本橋の老舗画商の三谷氏、今日の太田氏、皆学習院の同級生が、それぞれの世界で日本文化の一翼を担っている。
今場所の勘三郎丈の中村座の懸賞の如く、日本文化内の相互交流は必要なことであり、年寄りでは無いが、若くも無い我々の世代が、まさにそこに差し掛かっていると改めて感ずる。
中等科の頃、初めて歌舞伎に出勤する時、祖父は何事も先ず10年だよ、と言っていた。
同級生達は社会に出て10年を経、一服の茶を喫し、たまに芸術や伝統芸能に触れ、愛でる機会が増えれば、自ずから心が豊かになることを、心身で理解出来るようになっていることと思う。
相撲も些か空席が目立つし、美術や伝統芸能も、決して良いと言えない時もあるが、文化を絶やさぬよう、それぞれの立場で訴えかけたい。
劇場や国技館には、ネットでは体感出来ない素晴らしさがある。
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2012年07月11日

傳左衛門日記 7月4日

新橋演舞場初日。
朝から楽屋、挨拶まわり。
中車丈とは勿論初対面だが、その覚悟に甚だ心を打たれる。子息の團子君も素直に成長してくれることを望む。
さて、新猿之助丈待望の「黒塚」。
以前三響會で、「安達原」をやっていただいたが、三響會版は曾祖父作調の六世梅幸版で、それに出ていた初世猿翁丈が、同じ作者に書かせた作品が猿翁十種「黒塚」である。
彼自身もさぞ待望だったと思い、二景の登場の部分では、久々に演奏中に涙が流れた。
筝の唯是師も健在で、稽古場で三味線や唄がノリや節を間違えた時に、ン?と気迫の籠もるチラ見をなさるのが、指揮するように右手を動かし、三味線のノリを作りつつご覧になる猿翁丈が睨むのと全く同じタイミングで、間の取り方など大変勉強になった。
さて、猿翁丈復帰の「楼門」。
これほど鈴なりの客とカーテンコールのオールスタンディングが似合う役者は少ない。老と病を得たとはいえ、未だに大スターである。
大病、後遺症、ブランク、無論往事の舞台は無理だが、所々にらしさが垣間見られたのには驚いた。

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2012年10月15日

傳左衛門日記 10月13日

三響會まで残り二週間。

今回特に思い入れが強いのは「供奴」である。
昔祖父が倒れ、その後復帰したのが、富十郎丈の「供奴」で、
歌舞伎座に観に行った。
その後自分自身が歌舞伎公演に出演するようになり、
富十郎丈には本当にお世話になった。
抜擢もしていただき、お教えも頂戴した。

子息鷹之資君は学習院に入った。
取りも直さず、我々三兄弟の良き後輩である。
彼は稚き頃ご尊父と別れる事となったが、
恐れず腐らず、素直に行儀よく、修行に励んでいる。

富十郎丈は地方公演でご一緒すると、よくお食事にお誘いくださった。
「息子はとにかく行儀の良く、世間の常識を
弁えた役者になってもらいたい。だから学習院にと思ったんだよ。
あなたは先輩なんだから、しっかり面倒みてね」とよく仰っていた。

亡き永山会長も学習院の大先輩だが、「先輩を見たら財布と思え」と笑いながら仰っていた。
財布とは金銭面だけでなく、当然いろいろな意味が含まれる。
私が今まで様々な先輩から習い、盗み、巻き上げた様々な“財産”を、
鷹之資君等後輩達に、是非舞台上で巻き上げて貰いたい。

三響會は、そのような場に変化しつつある。
とにかく先ずは、観て貰いたい。
観られることによってのみ、舞台は磨かれる。

2013年03月29日

傳左衛門日記 3月27日

昨日まで名古屋御園座最終公演。
一転歌舞伎座開場式。
音響関係含め幾度も打合せに参加し、現場にも伺ったが、いざ開場式となると緊張感は並大抵ではない。
開場式での「一番太鼓」は特別なものである。
歌舞伎を上演する劇場の開場など数十年に一度、普通なら遣り方を調べるだけでてんやわんやであるが、幸い平成中村座で中村屋と復活し、知識も経験もある。
開場式は計四回、一番太鼓も四回打ったが、一回目はずっと中村屋や、この建替中に逝かれた方々の事を想った。まことに無心とは言えず、修行の足りなさを痛感する。
「寿式三番叟」は三響會での経験が役に立った。
当然歌舞伎舞踊と能は全く別物だが、原本の知識の有無が影響を及ぼす難物であることを改めて感じる。
別物だから、と勉強しないのは只の逃げで、がっぷり四つに取り組む毎に、この曲を作られた名人達の偉大さに平伏。
歌舞伎座の音響は、建設業者の仕事、音響設計事務所の知恵、それをまとめた松竹の開発チームの大変な労苦により、以前の状態にアップデートされた。
これから舞台の板材が枯れ、コンクリートの水分が落ち着けば更に深みが増すであろう。
よく歌舞伎座は"そのままの音"が出ると評されるが、その通りで、即ち自分の実力がそのままさらけ出される。
あとは己の精進次第。怖い場所である。
いよいよ慎んで精進せねばならない。
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2013年04月19日

傳左衛門日記 4月19日

歌舞伎座終演後。
千宗屋さん方にて臥遊しつつ、我が座右の御本三島茶碗の育ち具合を見てもらう。クタッとした柔らかい雰囲気と手取が良い。武士は刀剣、茶人は茶器、囃子は鼓、道具の種類は違えど同心。宗屋さんの道具に対する姿勢は非常に刺激を受ける。
程なく海老蔵さん来、お互い今日此処で邂逅するを知ったは小半刻前。偶然の必然か。夜噺の茶に突入。亡き成田屋さんの御霊に捧ぐ道具の取り合わせに宗屋さんの深き心を思う。
茶も進み興に乗り、無銘の我が一碗に銘をつけることになる。「最後に傳を付けるか」「どうかな~」「平仮名三文字だな」等やり取りのうち、ふと「みろく」の声、「あ~、っぽいね」とすんなり一同同意。これも偶然の必然か。重ねて海老蔵さんから「アナタソノモノ」と追銘。
銘はインスピレーション、あとから意味を考える。弥勒の化身は布袋、なるほど我が太鼓腹にも通じる。塵世濁土に衆生を救う術など当然持ち合わせていないが、今後も修行を重ね、歌舞伎界の弥勒を迎えよ、とのことか。
ともあれ、深い銘が付いた。

2013年05月14日

傳左衛門日記 5月12日

歌舞伎座の出番の合間、国技館にて大相撲初日を観る。
祖父傳左衛門、父忠雄と相撲好きは遺伝、テレビ中継も毎日楽しんでいるが、立ち会いの緊張感と高揚感は、人が集まり、皮膚感覚を分かち合い倍増する。演劇も映画も皆同じ。満員御礼の垂れ幕が嬉しい。
今日は行司の錦太夫さんの拵えが見事。相撲は力士のみならず。審判の親方衆の威厳、行司や呼び出しの声や所作、座布団運びやアナウンスのタイミングに到るまで、芸能・神事であり、総合芸術である。この共通性も惹かれる一因なり。相撲は格闘技でも、況してやスポーツでは決してない。
歌舞伎座終わり、事務所にて一服、日々この一時が最大の癒し。朝は舞台に臨む為、夜は帰宅の為、切り替えの茶を二度点てる。常什の細川護光氏作の信楽茶碗も良い育ち具合。

2013年09月02日

傳左衛門日記 8月31日

公文協西コース巡業初日、板橋。
巡業に出るのはまこと久しぶり、勘三郎さんの襲名以来である。
朝から余りの暑さ、久しぶりに山手線に乗る。嘗て通い慣れた目白を過ぎ、池袋着。東武線は多分初めて、侘びた景色を眺めつつ大山なる処に着き、ホールへ。
初日の挨拶を交わすうち、松竹のプロデューサーが一枚の写真、写っているのは祖父の傳左衛門。昭和57年10月、このホールの開場の一番太鼓を打ち、先代山崎屋さんの翁三番叟、音羽屋さんの道成寺など、正式なこけら落としをしたようである。当時我は初等科一年、その前月に長唄の初舞台をしたばかり、当然知る由も無い。
急に身が引き締まった。

2013年09月10日

傳左衛門日記 9月4日

公文協西コース巡業、大津。
朝名古屋を出、京都に途中下車、いつも鼓を拝見に伺う某古美術の御主人方に顔を出し、依頼している鼓胴蒔絵修繕の進捗を伺う。夜ご飯お誘い頂き了承、大津へ。
幼少の頃祖母や母と行った園城寺や、何処か美術館で大津絵など観よう、などという呑気な目論見を押し流す大雨、至急琵琶湖ホールに入る。
やがて新幹線停止の報せ、今日は終演後神戸泊の行程、さて如何するか。
京都迄タクシーにて移動、存外に近い。約束通り道具屋御主人と会食後、動き出した新幹線に乗る。
乗った途端、徐行と停車を繰り返し、新神戸まで一時間以上。散々。

2013年09月11日

傳左衛門日記 9月5日

巡業、神戸。
旅の楽しみは食事と思うが、同時に不安でもある。
生来父親譲りの腹の弱さ、芸を譲ってくれれば良いものを。どうしても無難なもの、或いは一度訪れて外さなかった処のみとなる。
昼夜公演の合間、南京街、以前三響會のツアーで猿之助丈にお連れ頂いた中華料理に向かう。店内には最早遠い昔のような「市川亀治郎」のサイン。
安心して腹拵えをする。

2013年09月12日

傳左衛門日記 9月7日

昨夕、岡山からよく揺れる特急で三時間、玉三郎丈の「日本振袖始」は幾度も演奏させて頂いているが、実際に出雲を訪うは初めて。
翌朝出雲大社参詣。
この辺りは「弁当忘れても傘を忘るな」という程に天気が変わりやすいとのことだが、出雲は自然災害が余り無いとのこと。
まこと神域である。
縁結びを願う若い女性の参拝者が多い。
縁結びといっても、何も男女の恋仲のみならず。我も仕事等様々な方々との良縁を祈願し、また感謝する。
米も蕎麦も美味しく、人も素晴らしく、幾度も再訪すべき、素晴らしい神域である。
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2013年09月18日

傳左衛門日記 9月14日

巡業、松山。
昨日は岡山から赤穂に移動、公演し、終演後再び岡山で乗り換え、暗闇の瀬戸内海を渡り三時間、松山に移動。
列車内でロンドンでのレ・ミゼラブル25周年コンサートの映像を観る。
近頃国内外問わず、質の高い舞台を観に行く時間が無い。ジェニー・ギャロウェイやレア・サロンガ、アンコールに出たマイケル・ボール等の名優、何より作品の力で時間を忘れる。
だが移動疲れは正直、今朝から咳止まらず。ホテル近くの薬局に行こうと隣の三越を通り抜けんとすると、江戸文字の看板、平成中村座でお馴染み橘右之吉さんが実演中。誠にご縁。
昼夜公演の合間に、当地の名店「きよみず」に注文の弁当を取りに伺う。
父の行き付け、予て名は耳にし、実家の正月のおせちで眼も舌も知っているが、訪うは初。今宵遇う人皆美しき、とは云わぬが浮き足立つ。
楽屋弁当では有り得ぬ素晴らしさ、次回は必ず店で落ち着きたい。

2013年09月25日

傳左衛門日記 9月22日

巡業、八千代座。
朝大分を出発し、バスにて九州横断する事三時間余、一路山鹿を目指す。
空は蒼く、山の緑は美しく、棚田には黄金色の稲穂が輝く。
八千代座は久しぶり、玉三郎丈の舞踊公演で度々出演させて頂いた。
常は都会暮らし以外考えられないのだが、山鹿は別格。心の中では殆んど第三の故郷である。
八千代座着、久々に再会する街の方々も人情溢れる。直ぐに街歩き。常宿に行くも女将不在、取り敢えず日帰り入浴する。
新しい店も増え、街も多少活気を帯びてきている。
街道筋の喫茶店でルーシー・リーを素朴にしたような御飯茶碗を発見。日田公演の時は共杖共白髪、相撲中継に熱中する素朴な老夫婦の営む店で、素朴な小鹿田焼を購入した。
各地の寺社や民陶を見るのも、巡業の空き時間の楽しみである。
明日八千代座公演後、帰京。25日川口で千穐楽を迎える。
充実した巡業であった。

2014年02月03日

傳左衛門日記 2月3日

節分。
子供達に叩き起こされ、鬼の面を着け、思う存分豆をぶつけられる。厄落としにはこの上無い。豆買ったオマケの紙の面などではなく、来年は石見神楽の面や伎楽面など、本面を着けようか。
いつから歳数の豆を食べられなくなったか、豆腐で代替。
移動中、銀座線止まる。
聴いてた長唄を小休止、クラシックと歌舞伎とジャイアント馬場に大変造詣の深い、扶桑第一の某料理屋御主人に「きっと感じるところが有るよ」と頂戴した、トスカニーニ指揮のワーグナー集を聴く。
なるほど、洋の東西問わず、能なら近藤乾三、祖父亀井俊雄、幸祥光各師の「安宅 延年之舞」、歌舞伎なら六世歌右衛門丈、祖父傳左衛門、五郎治、栄二各師の「京鹿子娘道成寺」の名盤にも通じる。
2月14日、久しぶりに「古典邦楽の会」がある。祖父傳左衛門をはじめ三人の人間国宝の勉強会にはじまり、私も初等科一年生で初出演し、毎回母の特訓を受け、祖父や母と演奏を重ねた、思い出深い会である。
お陰様で興行が御用繁多でなかなか開催出来ないが、本年は不肖私儀家元襲名十周年ということも有り、普段の2000人の御見物御前の大劇場とは違う、250名限定の御聴衆に演奏を聴いて頂く場を、甚だ急乍設けることが出来たのは有難い。
名盤を遺せるとは未だ思わないが、その域に近付く心を持たねばと奮い、古い祖父や母の録音を又ひたすら聴く。
何と有難くも難しい。

2014年02月17日

傳左衛門日記 2月14日

朝から大雪。
夕刻から「古典邦楽の会」、早めに楽屋入り。
紀尾井小ホールロビーからの眺めはいつも格別だが、折柄の豪雪で迎賓館も、その向こうの母校学習院初等科も見えず。
斯様な時にもかかわらず、大勢の御聴衆御来駕賜ったこと、只々感激するばかり。
雪中の演奏会もなかなか風雅なもの、との御声を頂いたが、まこと忘れ得ぬ体験となった。

傳左衛門日記 2月14日

朝から大雪。
夕刻から「古典邦楽の会」、早めに楽屋入り。
紀尾井小ホールロビーからの眺めはいつも格別だが、折柄の豪雪で迎賓館も、その向こうの母校学習院初等科も見えず。
斯様な時にもかかわらず、大勢の御聴衆御来駕賜ったこと、只々感激するばかり。
雪中の演奏会もなかなか風雅なもの、との御声を頂いたが、まこと忘れ得ぬ体験となった。

2014年03月31日

傳左衛門日記 3月29日

歌舞伎座四月興行稽古。
合間に銀座一穂堂、輪島の職人さん達の「鼓の復元」展拝見に行く。
茶陶も能道具も桃山時代が頂点と言われている。尤も数百年を経、幾多の天災戦災を乗り越えたチカラに依るところも大きい。
鼓などは演奏家か、或は稽古している方しか所持しようと思わない、非常に狭い市場なので、茶陶に比して現代作家が挑戦しづらく、故に育たないものである。
今回の輪島の職人さん達の、商業ベース抜きに古に挑む姿勢に、今上の御代に生ける作家の矜持を示した。
同時に展示・販売されていた椀等の輪島塗の用の美。各人が日頃から斯様な椀一つ、箸一膳でも「本物」を使うことが後世に文化を遺す手段と改めて思う。
今日は合間で時間も無かったが、会期中通い、次回は音をしっかり確認したいものである。
大変感銘を受けた。

2015年06月15日

傳左衛門日記 6月13日

博多座鴈治郎丈襲名。
連獅子は様々な俳優さんで幾度も勤めさせて頂いているが、襲名興行は斯界でも格別なハレの舞台であり、立ち会わせていただく有難さと重さが毎度心地よい。
連獅子終了後に地下鉄、西鉄を乗り継ぎ太宰府に赴く。
曇天模様の空の下、紫陽花咲き誇る観世音寺、戒壇院、巡るのは十数年前当代猿之助丈の推薦で当代勘九郎丈と伺って以来だが、全く変わらぬ佇まい。
観世音寺宝蔵の仏像群は圧巻で、他に先客無く、独り堂内に座し、機械的に繰返される解説録音を聴く。
戒壇院は今は禅寺。御朱印を書いてくださる老師が気さくで楽しい。
梅ヶ枝餅でも買おうと天満宮参道を歩くと「松嶋屋」「中村屋」「萬屋」の茶屋、何かの偶然か。それぞれ義理が立たぬ気がして、買わず詣り、帰る。

2015年06月22日

傳左衛門日記 6月20日

博多座連獅子終了後、普段滅多に走らぬが小走りに地下鉄。
九州新幹線は相変わらず快適で、新玉名から山鹿の八千代座までの田園風景も見慣れたもの、田舎の無い身には第三の故郷である。
着くと猿之助丈が「今年もちゃんとやってますよ~」と言いながら一座の皆さんと数百枚の団扇にサイン中。
昨年。
八千代座公演の昼夜の休憩時間、丈と共に表を廻り、玄関木戸から灼熱の中、地元の方々や係の方々が汗だくで土産物などを売るを見て、
「ああいう地元の物は売れないんですかね」
「さぁ、サインでも書かれたら売れるんじゃないですかね」
「じゃああの団扇とマジック持ってきてもらって」
と素早い指示。
地域を活性化させないとね、と自らサイン入り団扇や燈籠最中など名産品を御見物に紹介しつつ交流をはかったのだが、今年は口コミか県外からも多く集まり、八千代座側も混乱せぬよう場内整理など体制を整えていた。
御見物にお越し頂き、地域経済が活性化され、また次の興行に繋がる好循環は津々浦々共通なものの、大都市の劇場や、地方でもホールでは斯くは行かない。
芝居小屋には何かが棲んでいるというが、八千代座の何かと猿之助丈の役者としての業が反応した何かが動かしているようである。
傳左衛門は歌舞伎座に生えている、と某人気花形俳優に言われたが、確かに開場以来ほぼ歌舞伎座に棲んでおり、地方公演は久方ぶりである。
次はいつのことか。



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