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広忠舞台日記 アーカイブ

2007年10月09日

広忠舞台日記 9月9日

9月9日(日)

この日は大阪にて大槻文蔵先生の会。屋島の「大事」という小書(特殊演出)付き。
この「大事」、特に大鼓と小鼓にとっては複雑な手組み(=作調)のオンパレードで、後シテ(源義経の幽霊)の登場の音楽である「一声(イッセイ)」の替(カエ)ノ手組である「軍陣流シ(グンジンナガシ)」。シテが弓を落とす「弓流(ユミナガシ)」。海上に落とした弓を取りに行く「素働(シテハタラキ)」と、見せ場・聴かせ場がうまく入り組んでいる演出となっております。
屋島は勝修羅物と呼ばれる武将の勇ましさを強調した曲趣となっておりますが、私は修羅は悲劇であると思われます。死んでも尚戦い続けざるをえない修羅道の苦しみ。義経も梶原源太も頼朝も、皆悲劇的な最期を迎えています。
私が屋島で好きな場所は初同(ショドウ)(=地謡(ジウタイ)による一団の一番最初の合唱パート)之中の「旅人の故郷(フルサト)も。都と聞けば懐かしや。我らも元はとて。やがて涙にむせびけり」の部分。世阿弥が都にいるときの絶頂期に比べ、晩年の不遇な身の上を思うにつけ涙がこぼれる。という、まさに彼自身の境遇を曲に重ねている部分です。同じような方法を「鵺(ヌエ)」や「野守(ノモリ)」などの曲にも使っていますね。
この日の間(アイ)狂言には盟友の野村萬斎氏。
那須語(ナスガタリ)と呼ばれる、これも間狂言屈指の難易度の高い小書です。語りのメリハリがよくきいていて、自分も「お前に負けないぞ!後半は俺に任せとけ!」みたいな(笑)、曲の後半部分に向けて大いに奮い立たせられました。
それにしてもご自身の大切な発表の場であられる会にご指名頂いて「大事」なんて大変な曲を打たせて頂けた大槻文蔵先生に感謝いたしております。
大槻先生のすごいところは、その身体表現のバリエーションの豊富さ、曲に合わせた面装束の選定のセンスの良さがいつも伝わってまいります。
この日の先生の屋島はまさに悲劇の武将・義経でした!

2007年10月12日

広忠舞台日記 9月10日

朝、9:30より申し合わせ(リハーサル)をやってから、東池袋に新しい芸術劇場がオープン、こけら落としに名誉区民であられる野村萬先生の三番叟を打たせて頂いた。御年78歳にもなられるのに、益々お元気な萬先生の三番叟。この三番叟についてはかなりの思い入れ有り、後々思いを書かせて頂き度く!
夜は弟の傳次郎と久々に食事を共に。我々兄弟の共通の親友である、京都の「Bar Le peu」のオーナーである武田誠氏と、やはり京都の老舗の手拭い屋「永楽屋」の十四代目・細辻伊兵衛氏を交えての食事となった。友人たちとの楽しいひととき。

2007年10月13日

広忠舞台日記 9月11日

9:00より銕仙会の稽古能で野宮を打つ。シテは清水寛二氏。この銕仙会の稽古能は長い伝統がある。古くは私の祖父からの時代にさかのぼり、父(師匠)もこの稽古能にて観世寿夫師に鍛えられ、芸を磨いていった。私は小学生の頃からこの稽古能を見学に行き、その稽古のすさまじさ・厳しさを肌で感じ取る事が出来た。玄人同士が集まり、稽古を共に積む事によって曲に対する意識を共有していく。観世寿夫というカリスマを中心に銕仙会に所属するシテ方のみならず、我々三役(囃子方・ワキ方・狂言方)も交えての能そのものの意識と技芸の鍛錬の「場」。しかしシテ一人主義ではなく、三役の主張主張も取り入れた総合芸術としての能を追求する銕仙会の気風。自分は三歳の時に先代の観世銕之丞先生に入門。清水寛二さん・西村高夫さんは同じ年に銕仙会に入られた。年は離れてますが”同期の桜”です!
ちなみに銕仙会稽古能で初めて打たせて頂いたのは中3のときで、曲は確か「忠度」だったかと思いだされます。
夜は坂井同門会にて「芦刈」を打つ。シテは酒井音隆氏。

2007年10月14日

広忠舞台日記 9月12日

10:00より宝生能楽堂にて、鵜澤久氏の「江口 干之掛」の申し合わせ。夕方より国立能楽堂と青山(銕仙会)にて若手の玄人の子達を稽古(指導)する。

広忠舞台日記 9月13日

新百合ヶ丘に新しくできた神社にて櫻間右陣氏の「鞍馬天狗」を打つ。

広忠舞台日記 9月14日

梅若能楽学院にて「善知鳥」の申し合わせの後、14:20の飛行機にて博多へ。申し合わせ終了が13:15だったので羽田空港への移動(車を運転)はかなり厳しく、出発ギリギリ。朝・昼食をとる間もなく17:00から博多の大濠公園能楽堂にて申し合わせ。曲も「通小町」に「遊行柳」で空腹時にはかなりキツイものがあった(泣)
夜は観世清和家元に御馳走に預かった。自分のような若手にまで気を配れるところが家元の素晴らしいところであり、皆彼に付いていくのだろう。一日が報われた気がした。

2007年10月15日

広忠舞台日記 9月15日

福岡観世会にて「通小町」(シテ武田志房氏)と「遊行柳」(シテ坂口信男氏)を打つ。この2曲は今の自分の年齢や芸位を思うにつけ、手が届かない訳ではないが似つかわしくない曲。特に遊行柳などは藤田大五郎先生や師匠(親父)級の先生方が務められて成り立つ。老翁物と呼ばれる老女物に続く能役者が最後のほうに目標とする曲趣。「手が届かない訳ではない」と言ったのは技術的な面、息遣いや声色・間・音色などをそれらしく見せる・聴かせる、ある程度の技術の工夫はできても、それはあくまでも物真似であって、世阿弥の言う「木造の物真似」とは程遠いものである。私は立ち方(シテ)のみならず、地謡や囃子方、舞台上に上がっているすべての存在は「役者」と呼ぶのが相応しいと思っている。役者が役者として生きられるのは所詮舞台の上だけである。真摯に稽古と舞台を積み重ねて生きていけば、なんとか遊行や姨捨といった曲を「それらしく」見えるのではないか?自分の役者としての将来に対する甘い期待!
けれども信ずるところはそれしかない!役者というのはそういうもんでいいんじゃないっすかねぇ!?

2007年10月16日

広忠舞台日記 9月16日

梅若会で「善知鳥」(シテ松山隆雄氏)を打つ。地頭は梅若六郎師で小鼓は観世新九郎氏。真摯な舞台姿勢と言えば私は新九郎氏の鼓は高く評価できます。地頭の六郎先生、喜多流の友枝昭世先生と並んで、間違いなく能楽界NO.1の役者でしょう!
僕には師と呼べる人が4人います。両親・先代八世観世銕之丞先生・そして梅若六郎先生の四方です。
両親には囃子方としての基礎技術と生き方を、銕之丞先生には能の謡と型(舞)と演劇としての能の存在のあり方を、そして六郎先生には能の面白さや楽しさ・明るさと言った能の可能性といったものを教わってきました。銕先生も六郎先生も私が高校生の頃から早々と抜擢していただき、次々に大曲を与えて下さり鍛え上げて下すった!自分の能楽師人生に欠かせない大恩人の先生二人です。難しさに厳しさに楽しさ、技術、全てを叩き込んで頂きました。
自分の舞台の基本理念・構築の仕方はこの4人の師匠の教えが土台です。
さてこの日の六郎師匠、抜群に"面白い"地謡を謡われてらっしゃいました。舞台では苦しんでばかりの自分が久々に"楽しい~♪"って終始思い乍ら打てた。全ては先生の吸引力です。また申し合わせと全然位取り(ペース)も息の詰め方も緊張感がガラリと変わっていた。このような舞台にはなかなか出会えません。実は能を動かすのはシテよりも、地謡のリーダーである地頭と囃子方のリーダーである大鼓の二人のコンサートマスターが、曲のタクトを振っているのが能の劇進行になるのです。もちろん、主役のシテという直接言葉で指示しない指揮者の意向を受けて!
梅若会の善知鳥の後は、車で急いで玉川高島屋へ向かう。当然自分の運転!移動及びスタンバイ含め1時間しかない!!だがなんとか間に合った。一息つく暇もなく、玉川高島屋の屋上で、現・銕之丞先生の薪能で「融」。新九郎氏もご一緒。やはり掛け持ちはキツイ(泣)

2007年10月23日

広忠舞台日記 9月18日

朝、矢来能楽堂にて観世喜正氏の道成寺の申し合わせ。
昼はジムにて10km程走る。
夜は宝生能楽堂にて一噌幸弘氏の笛の会。父君・一噌幸政先生追善の会。幸政先生には中学三年の時から20歳迄笛を教わり、最後は宝生の延年や、姨捨といった奥伝の曲まで教えて頂いた。笛を打楽器として吹く、宇宙空間を廻るが如く音が周り続ける師の笛、今でも鮮明に耳に残っております。笛を吹く楽しさを教えて頂いた恩師へのおたむけの会。タイトルは幸政先生追善、”一噌幸弘笛づくし”だが、僕の印象では”幸弘吹きまくり"であった(笑)その方が幸ちゃんらしいよね!?
何せ初番から、「三番叟」。立方に野村萬斎氏、笛はもちろん幸ちゃん、大鼓は小生、丁度我々3人のユニット"能楽現在形"のメンバーによるオープニングとなった。ユキちゃんとプロデューサー土屋恵一郎氏によるイキな計らい。
ここで「三番叟」についてふれておきたい。
思いは語りつくせず、文章にしたら数ページかかってしまうのでなるべく簡潔に、単純に言ってしまうと、この三番叟という曲が私にとって一番大切な、大好きな曲の頂点に有る。祖父・俊雄、父・忠雄が最も得意とし、多大な評価を受けてきた、言わば「お家芸」のようなものであると思う。
明治の頃まで、三番叟は「狂言アシライ」の一部のように扱われ、型も手組みもほとんど整理されてこなかった。能であれば完璧な処理が施されていたであろうに。当時は、こんなことを言って大変に申し訳ない事だが、役者内も観客も狂言は能の添え物のような見方をしていたと聞く。だから、囃子の作調もさほど気合を入れて作っていなかった。
その三番叟を祖父の俊雄が自分の当たり役ということもあり、今一度見直してみようと、大親友である野村万蔵氏(萬歳さんの祖父)と相談の上、型と手組の整理を完璧に行った。なので野村家と亀井家の三番叟は最もお互いに具合の良い、所作と掛け声とリズムがぴったりはまる組み合わせになっているのである。世間にあまり知られていない事実。万蔵先生とじいさまの三番叟は見る由もないが、父親と万之丞時代の現・萬先生、万作先生の三番叟は随分と見てきた。自分が幼稚園の頃からである。
笛は藤田大五郎先生、小鼓頭取は鵜澤寿先生に北村治先生の超人的なスケール、そして親父の「揉み出し」の天性のリズム感に、掛け声の鋭さにシビレっ放しだった!!!
この「揉み出し」(三番叟の始めに打つ手組み)こそが、亀井家のお家芸であり、命そのもの。大鼓方の芸術性が一番問われる楽器。僕は道成寺以上に早くこの三番叟が打ちたくて打ちたくて仕方がなかった!好きが高じて小学校二年のときには型と手組と笛を全て覚えた。立方は何といっても万之丞先生に万作先生。萬先生の豊かで大きいスケール抜群な三番叟、万作先生の完璧な身体技術から来る、鋭利な刃物のような三番叟。両先生ともタイプは違われますが、一番大事な「躍動感」という意味では共通してらっしゃるかと思われます。
それに大倉流に比べて和泉流は「揉之段(モミノダン)」の中の立方の掛け声が多いので、こちらの囃子の掛け声との連帯感と相乗効果が生まれてきます。
お互いに苦しいけど負けるか!お前も頑張れ!俺も頑張るぞ!!みたいな感情になってきます。僕だけかもしれないけど…。
祖父達、父親達、そして萬斎氏と自分の孫世代、伝承とは伝え、承れてゆくものでしょう。但し、その時代での構築の仕方があるのでしょうね!能役者も時代によって芸が変革してゆくのと同様、お客様の好みも変わってくるのと同様、父親達の30~40代の頃のあの燃えたぎった三番叟に限らずどの曲でもやっていきたい、自然に角が取れてくれれば、自然に贅肉がとれた芸に変革していければいいと思う。

この日の三番叟、現在系のメンバーに加え、小鼓に曽和尚靖氏と成田達志氏を迎えての舞台。気合も体力も有り余っている面々、バトルロイヤルの如き全員乱れ飛んでの殴り合い・どつき合いの試合のような舞台であった!誰が最初に倒れるか最後迄残っているか…。大人の仲間入りのような舞台も有り難い!でこのような”ガチンコ勝負”の舞台は、三響會以外ではお目に掛かった事がないので、正直嬉しかった!!
幸いに全員倒れることなく終曲。
今年は随分萬斎さんと三番(僕ら玄人ではこう呼ぶことが多い)を演った!僕は明日のミッドタウンの三番で、今年合計19回打ったことになる。今年は多かった。彼とはそのうち8~9回はご一緒させて頂いたであろうか!?やはりお互いに一番呼吸が合うし、承がれた芸が共通意識として自然に肉体から出るというのがいいのでしょうね!バッテリーのようなもの。萬斎の舞(投手)に広忠の大鼓(保守)、そう呼ばれる時代を築いて行けたら嬉しいです。万作先生も父もまだまだ至芸を見せ続けて頂けてる。親の30代~70代の芸の移り変わりをしっかりと自分の目に焼き付けて、やがて自分もその年輪を自己の考えと共に追ってゆく。親世代と比べられる辛さはありますが、見所でご覧頂いている以上に我々二世はその重みを知っている訳なんですよ。誰よりも。
止メの曲は「融 十三段」。銕之丞先生のシテに一噌幸弘・成田達志・亀井忠雄・金春惣右衛門の面々。ある意味、三番よりも体力的に大変な曲。マラソンしているようなものなのです。これまた「凄まじい」十三段。80歳過ぎの金春先生と70歳近くの父親、二人の人間国宝の、ユキちゃん・タッちゃんという技術・体力が最も勢いの盛んな中堅2人に対する意地とプライドがさく裂していた。ダテに国宝の看板背負ってません!このように世代をちりばめた配役はいいものなんです。同世代というところに安心しない。絶えず舞台に緊張感を保たせられ、いい舞台に出会えた日は幸福感で満たされます。
幸政先生も喜んでくださっていることでしょう。いつまでもユキちゃんを見守ってくださって欲しいものです。

2007年10月31日

広忠舞台日記 9月19日

東京の新名所、東京ミッドタウン内の庭園でミッドタウン初の薪能。曲目は昨日と同じく三番三(サンバソウ)。
大倉流狂言では「叟」の表記ではなく「三」になる。シテは茂山正邦氏。囃子方は昨日と全く同じメンバー。正邦さんは京都茂山家の次期当主。私は東京で彼は京都だが、十代前半からの付き合いになる、年も近い親友の一人。茂山家の方々とも三番は多くさせて頂いているが彼とは初めて。昨日の萬斎氏の鋭く華麗な三番と180度方向転換させた剛直で力強い三番。野外での三番はなかなかに心地よかった。

2007年11月01日

広忠舞台日記 9月20日

申し合わせを2件回ってからミッドタウン薪能二日目。
一噌幸弘氏・大倉源次郎先生・金春国和氏と自分で素囃子メドレーの初番。薪能で素囃子20分は初の試み。止〆に銕之丞先生の「葵上古式」の能。

2007年11月02日

広忠舞台日記 9月21日

午前中に申し合わせをしてからジムで走り、夜は取材。
丁度今発売されている「Esquire」杜いう雑誌に出ています。
BARを通じて人を紹介していく「BARリレー形式」のような企画。
先月号に自分は京都のシテ方・橋本光史さんに紹介して頂き、今月号は自分は松下美智子さんというネイルアートの社長さんを紹介させて頂きました。松下さんは「トゥーソレイユ」というネイルサロンを経営されていて、代官山・銀座・新丸ビルの三点を持たれていらっしゃいます。僕がまず読むことのない女性誌には常連さんで、東京ガールズコレクションなどのファッションショーのネイルを担当されていたり、TVのソロモン宮殿に登場されたりと、実業家とアーティスト両方で活躍されている才女です。皆様是非とも今月号のEsquireをご購入くださいネ!
ちなみに私が今回紹介させて頂いたこのBAR Le Peu(ルプー)六本木店は私の大親友である武田誠氏がオーナーをつとめる京都祇園BAR Le Peuの支店です。自分も週2回は六本木店に足を運んでおります。

2007年11月03日

広忠舞台日記 9月22日

東京観世会にて、菊慈童、遊舞之樂の小書付き。掛け持ちで宝生能楽堂へ。清水寛二氏と西村高夫氏の研鑽の場、「響の会」。清水さんの野宮を打たさせて頂いた。配役は地頭に山本順之氏、笛・藤田六郎兵衛氏、小鼓・成田達志氏、ワキ・宝生閑氏、アイ・野村萬斎氏という豪華さ。まるで広忠の会みたいなお金払ってでもお相手願いたいばかりのメンバーであった。
特に地謡が素晴らしかった!!則之先生を筆頭に若松健史さんに西村さんを中心に前列の谷本健吾君に至る迄観世寿夫・観世静夫が造り上げた「銕仙会の地謡」が今に尚伝え継がれている。自分も銕仙会で修行してきた身。則之・若松両氏の”イキの強さ”と謡の"位取り"(クライドリ)に恩師、先代銕之丞を思い出し、打ち乍ら思わず涙ぐんでしまった。
井筒・野宮は銕仙会では寝てても歌えなければならない、というくらい特に大切な教えの多い寿夫師の得意曲なのだ。所要時間2時間10分。やはり大曲だ。だが楽しかった。やはり大小序之舞は充実度が違う。囃子方の組み合わせも良かった

2007年11月04日

広忠舞台日記 9月23日

喜多流職分会自主公演にて、采女の小浪(サザナミ)之伝の小書付き。観世流の「美奈保(ミナホ)之伝」のような一曲の無駄な部分をカットして時間縮小と演出意図をより明確にさせる為の替の演出。あくまでも私個人の見解。普通の采女はそのまま演じると祝言曲のような奈良の都の春をテーマとした明るい曲。美奈保の伝だと帝に捨てられた悲しみから猿沢之池に入水自殺してしまう、終始水に濡れたイメージのまま出来る。ところがこの小浪、両方のいいとこ取りなので統一されたイメージが掴みにくく、どうも演出の整理がついていないな?という感想を持ちました。

2007年11月05日

広忠舞台日記 9月24日

女流能楽師の第一人者であり最高の実力を持つ、鵜澤久さんの会で、久さんの「江口・干之掛(カンノカカリ)」。大鼓の革を焙じる為に二時間半前に楽屋入りしたのですが、早くも女流能楽師チームが集合して手際良く動いて楽屋を作っている。久さんを中心としたガールズパワー。
さて江口。私は久さんに対して女流という見方は昔からしていない。下手な男よりも抜群に上手いからだ。銕仙会という強烈すぎる軍団の中でただひとり気を吐いて踏ん張ってこられた。その精神力と技術は並の男じゃあ太刀打ちできません。この日の久さんも燃えてらっしゃいました。孤高の光を放ってましたね!娘の光さんに喜多流の大島衣恵さんなど、久さんに追い付き追い越せと日々技術を上げられている才能にあふれた若手女流もいます。僕が久さんを尊敬できるのはやはり母親・佐太郎の影響が強いのでしょうね。男でも女でも上手い人は上手いし、やはり努力を積んでいる。芸はNO BORDERだと思います。
江口の曲そのものに関しては触れるとこれまたかなり長くなるのでまたの機会に。所要時間は2時間5分。野宮から采女、そして江口と大小序之舞3連続は肉体・精神ともにキツかった!!ですがこの序之舞こそが能役者にしか舞えない・囃せない能独自の表現方法。そして能役者の人生に合わせた曲目が豊富なのもこの序之舞物。毎回違う発見があります。
笛は昨日と同じく松田弘之氏。松田さんの序之舞は「哀愁」という言葉がぴったりの、役者の生き様や覚悟が非常によく出てる私が大好きな笛方のお一人です。常に命を削り乍ら舞台を演っている松田さんの姿勢は失礼乍ら自分と似た所有り、とても共感出来、尊敬する役者のお一人です。
我々役者は外に向かっての発散と同じベクトルでもって肉体の内側に向けて力の負担をかけていく呼吸法や発声、体の動きといったものを持っていなければなりません。体の中に内在する強い力、それを「イキの強さ」と呼んでいます。静かな序之舞を演る時ほど、そのイキの強さが無ければ何の意味もなさない、無感動のまま終わってしまうゆったりとしただけの演奏になってしまう。そして序之舞は笛が大変に重要な役割を担います。藤田大五郎先生を頂点に、イキの強い序之舞を吹かれる方々、「華麗」の一噌幸弘、「重厚」の藤田六郎兵衛、「妖艶」の杉市和、「哀愁」の松田弘之諸氏との舞物は常に緊張感を保ちながら、厳しく、楽しくお相手させて頂いております。

2007年11月06日

広忠舞台日記 9月28日

9:00より京都観世会館にて申し合わせ。10:45に終わり。11:20の新幹線で新神戸へ。タクシーに乗って12:45神戸空港発札幌へ!とかなりタイトなスケジュール。19:00本番で札幌のSPICAというホールで土蜘蛛を打つ。シテは観世喜之先生。何だか移動だけで大変な一日でした(泣)

2007年11月07日

広忠舞台日記 9月29日

札幌SPICAにて観世喜正氏の道成寺を勤める。
勿論舞会の舞台がそうだが、これぞ命懸け!の大曲たる所以、やはり緊張感が格別。笛・竹市学、小鼓・幸正昭、太鼓・金春国和、ワキ・森常好、アイ・野村萬斎の配役。
本日22回目の道成寺。様々な場所で演らせて頂いているが、今回のホールも円形劇場のような少し変わった造り。それでもさすがに喜正氏は舞台を使い慣れてらっしゃる!
最終便で東京へ戻る。

2007年11月08日

広忠舞台日記 9月30日

7:30の新幹線で京都へ。味方玄氏の演能会「テアトル・ノウ」で彼の野宮を打ちに行く。札幌―東京―京都と、そろそろ体も限界!?朝御飯は京都駅で済ませた。
本日の主催者であられる味方氏とは私が15歳で彼が23歳の時からの付き合いになる。二人とも能が好きで好きで、玄ちゃんと能の話をしたい為に夏と冬と京都へ旅行に出掛けては彼の家に泊まらせて頂き、朝まで能談議に夢中になっていた。自分は当時高校生。よくもまあこんな生意気な小僧の相手をして頂いてたなぁと、彼には今でもこれからも感謝多謝!!刺激を求めてやまなかった高校時代。味方さんに教えて頂いた能の話は僕の血となり骨となり、自分の役者形成する上で大いに役立てたさせて頂いたと心の底から感謝している親友であり先輩の一人です。
そんな玄ちゃんの野宮。初演にも関わらず相変わらず見事!観世寿夫を崇拝する、彼の意図するところがよく伝わってきます。地頭は片山清司氏。この清司さん、私とは先代銕之丞門下で僕が兄弟子。細かく言うと私は3歳から銕先生に師事しており、僕が8~9歳の時に入ってこられたので、入門はこちらが先と言えば先ですが、向こうは道成寺までされてから銕先生門下となられているので、僕にとっては清司さんは兄弟子という思いが強いです。年は10歳上ですが、同じ時代に銕先生に教えをうけた者同志。芸系が同じというのは心強いものです。曲の位取りや考え方・向き合い方がお互いによく解るんですもの!そしてなんといっても片山清司最大の魅力は常に自己の限界を突き破れるところ。それこそ毎回の舞台で自分は死んでも構わない!という強い意思表示の表れであり明日に向けての役者の血肉を作る作業なんですよね。同じ時代に片山清司・味方玄・野村萬斎といった役者たちと生まれて本当に良かったな!と思っております。
夜、東京に日帰りし、ミッドタウンにある友人宅へご招待を受け食事に出かける。時間は23:00頃。明日も早いし、ホームパーティー形式なので1時間足らずでお先に失礼した。そこでバイオリンの高嶋ちさ子さんとピアニストの加羽沢美濃さんというお二方を紹介して頂いた。僕は普段メタルロックやバンドロック系のものしか聴かないので、その他のジャンルの音楽に関しては知識がほとんど無く、ましてやクラシックは遠い存在になるので、お二方のことは大変に失礼乍ら全く存じ上げなかった。
しかし後日人から伺った話によると、ご両人ともその世界ではかなりの方達らしいですね?!自分の不勉強を恥じております(泣)
後日加羽沢氏のCDを聴かせて頂きましたが、これがまた素晴らしかった!耽美的であり乍ら憂愁の感有り。一つ自分の芸道に役立ててみたいと思いました。様々なシチュエーションでヒントが頂けるものですネ!

2007年11月09日

広忠舞台日記 10月1日

やっと10月分迄やってきました!何せ舞台と稽古が続いているもので…。遅ればせ乍ら申し訳ないです。
今日は10:00から青山(銕仙会)で申し合わせと、夕方から国立の能楽研修で若い人達の稽古をし、それから青山へ行って出稽古。当代銕之丞氏の御子息、観世淳夫君の稽古だ。
自分は先代銕之丞氏に能楽師としての基本を、役者としての生き方を徹底的に叩き込まれた。その一生忘れる事のない御恩を師のお孫さんに返してゆきたい。思えば感慨深いことです。出稽古(玄人)は梅若六郎家の方にもお伺いしている。梅若晋矢氏の御子息・梅若慎太朗君や、書生の川口晃平君など、こちらも才気溢れる若手ばかりで、彼らとの稽古は実に刺激的で楽しい!伝統は受け継いだことを次の若い世代に伝え、返してゆくことだと思う。あと20~30年後には間違いなく彼らが能楽界の中心を担うわけですからね。共にいい舞台を作っていきましょう!

2007年11月10日

広忠舞台日記 10月2日

小田原城跡で薪能。銕之丞先生の「三山」と浅見真州氏の舞囃子「葛城・大和舞」小田原は銕仙会も長い歴史がある。

2007年11月11日

広忠舞台日記 10月3日

群馬県桐生市の新里町で下平克宏氏の「船弁慶」。
本来は野外の薪能であったが、空模様があやしい為に新里中学校の体育館での演能。

広忠舞台日記 10月3日

群馬県桐生市の新里町で下平克宏氏の「船弁慶」。
本来は野外の薪能であったが、空模様があやしい為に新里中学校の体育館での演能。

2007年11月12日

広忠舞台日記 10月4日

横浜にある久良岐能舞台で、成田達志氏の御社中の勉強会。そろそろ手が限界!?

2007年11月13日

広忠舞台日記 10月5日

申し合わせを二ヶ所掛け持ちし、午後は国立能楽堂の養成課の稽古。

2007年11月14日

広忠舞台日記 10月6日

本来は某シテ方の先生の御社中発表であったが延期になったため本日は舞台は無し。10何年振り、人生2度目のゴルフの練習に出掛ける。学習院初等科から高等科まで10年間の学友である和多田君(学習院大学ゴルフ部)に教えてもらい乍らいきなり500打を打った。なかなか当たらないものですネ~!!自分は剣道に柔道にボクシング・水泳・サッカー(GK)・マラソン等どちらかと言えば格闘技系ばかりやってきたので、テニスや野球・ゴルフみたいな小さな玉を扱うレジャー系スポーツは全くやってないのです。なのでせめてGOLFくらいは覚えていきたいものです。
練習の後は和多田君の経営する、表参道にある日本茶BARへ行きしばし談笑。夜は淳夫君の稽古をしに青山へ。家に戻って2時間以上自分の稽古。

2007年11月15日

広忠舞台日記 10月7日

観世会別会にて角寛次朗氏の「木曽・願書」。観世会別会は全国の能会の中で最高のステータスを持つ会。別段に格が違う。この願書という小書きは"三読物"(安宅の勧進帳、正尊の起請文)の中では最も至難な謡物。8年ほど前に打つ機会を頂いたのだが先約が有ってやりそびれてしまった。今度で三読物制覇!
何が難しいと言えば作曲(謡)と作調(大小鼓の手組)に尽きる。初番が自分で、二番目が父の「姨捨」。姨捨の後見を途中まで勤め、宝生能楽堂へ掛け持ち。前田晴啓氏の御社中発表会。囃子数番と「乱」の能。

2007年11月16日

広忠舞台日記 10月8日

矢来能楽堂にて幸信吾氏の御社中発表会。

2007年11月17日

広忠舞台日記 10月9日

群馬県桐生市へお弟子さんの出稽古。

2007年11月18日

広忠舞台日記 10月10日

父の代役で梅若万三郎氏の卒塔婆小町の申し合わせ。
終わってすぐに新幹線で京都へ。夕方より京都観世会館にて「乱」の申し合わせ。再び夜遅くに東京へ戻る。

2007年11月19日

広忠舞台日記 10月11日

東京のお弟子さんの稽古。

2007年11月20日

広忠舞台日記 10月12日

国立にて石橋の申し合わせ。夜京都入り。

2007年11月21日

広忠舞台日記 10月13日

片山九郎右衛門先生の喜寿のお祝いの会。主催は子息の清司さん。私は観世銕之丞(九郎右衛門先生の娘・当代井上八千代氏のご主人)・片山清司の「乱・双之舞」を打たせて頂く事に。父は九郎右衛門先生の「安宅・延年」を打ち、親子揃って大変に有難い思いをさせて頂いた。九郎右衛門先生の安宅、80歳近くとは思えぬ力強い肉体。日々の稽古に肉体の鍛錬を怠らない師の凄まじき生き様。ストイック度は自分の親父と同じです。さすがに看板役者は違います!止〆の能は観世清和家元の「小鍛冶・別習」と何とも豪華な番組でした。九郎右衛門先生については11月4日(日)の観世会「井筒」で触れさせて頂き度いと思います。
夜はウェスティン都ホテルにて600人近く参集し、お祝いのパーティー。2次会は…これが又大変でした!九郎右衛門一家に淳夫くん観世の家元、宝生閑夫妻に欣哉氏、中村富十郎丈、片岡仁左衛門丈の奥様、茂山千之丞先生に小生というメンバー。欣哉ちゃんは仲人が門前の先生(九郎右衛門先生の通称)だから何てことないでしょうが、小僧は僕だけ…。ずーっと松嶋屋さんの奥様とお話させて頂いておりました。最後は清司さんと欣ちゃんと三人で盃瀧流し状態!!かなり泥酔しました。そのあとは三次会に流れそうな勢いだったので、逃げるように他のお店へ!?

2007年11月22日

広忠舞台日記 10月14日

朝、東京に戻り国立へ。粟谷菊生師一周忌追善の会。粟谷能夫氏の「石橋」を勤める。しかし今年は一体何回三番叟と石橋を打ったんだろう?三番は9月の日記に書いたとおり。獅子も…数えきれないッス!!

2007年11月23日

広忠舞台日記 10月16日

申し合わせが松濤であり、東中野の梅若能楽学院へ掛け持ち。女流の山村庸子さんの会。タイトルも「こころみの会」。年来稽古条々というサブタイトルのもと、女流能楽師の方々の修行段階を追っていくという、なかなかに興味深い催し。
舞囃子と仕舞のみの構成も潔くて良い。
梅若実和音ちゃん(六郎先生のお孫さん)の吉野夫人(以下舞囃子)。鵜澤光さんの経正、喜多流唯一の女流大島衣恵さんの龍田。山村さんの班女という世代劇の選曲もなかなか。
次に今村宮子さん・谷村育子さん・鵜澤久さん・ゲストの梅若晋矢さん方の仕舞が並び、最後に久さんや庸子さんが謡っての六郎先生の善知鳥の舞囃子で終演。なる程、世代ごとに見せていこうという山村さんの企画は面白かった!
鵜澤光も母君と同じく、下手な男よりは遥かに上手い。技も気力も男顔負けの逸材。大島衣恵は自分と芸大の同期の同い年。学生時代から時間が空いたらよく共に稽古を積んだ。そのうちに二年下の坂口貴信が入ってきてからは彼と、衣恵さんの弟の大島輝久を交えて、4人で謡って舞って囃して、夏合宿や寒稽古もやったりした。書生に入る前の光ちゃんもたまに参加したり。
とにかく衣さんや坂口君との稽古は、志を同じくした「戦友」との稽古。同期が少ない時分に誠に得難い稽古だったと思う。たまにはあのような、ただひたすらに、一心に向かっていく稽古もしなければ!衣さんも喜多流の中では唯一の女性。本当に苦労が多いと思う。だけれども我々仲間内のみならず、今回の山村さんのように光を当ててくれる人もいる訳だから、大いに奮起してもらいたいと思う。実力は、大学時代に「こいつには負けてる!」と思った唯一人の能楽師ですからね!そりゃあ久さんクラスですよ、彼女は。
とにかく衣ちゃんも光ちゃんも才能と技術と根性の3つ備わっている人達。「女流」という括りは失礼かも知れませんね!
このように「熱い」山村さんの会の後にもう一件掛け持ち。三ヶ所目です。21:30から三響會の「一角仙人」の稽古をしに、銀座松竹の稽古場へ。そろそろ三響會モードにはいらねば!!さすがにくたくたでしたが、終了後には兄弟で戦略会議。自分よりくたびれている(何せ傳左衛門氏・傳次郎氏は10月は新橋演舞場と歌舞伎座と25日間掛け持ちですからね!恐るべし…)はずなのにすべて段取りを組んでいる傳次郎にはやはり頭が上がりません!!
前日の15日も勘十郎氏・喜正氏・晋矢氏と五変化と獅子の打ち合わせをやった後、深夜(梅若さんではなく)まで戦略会議を傳次郎氏とやっておりましたからね。彼のスタミナとバイタリティは尋常ではありません!

2007年11月24日

広忠舞台日記 10月17日

観世能楽堂にて研究会。岡久広氏の「玄象」を打つ。
岡さん、やっぱり謡上手すぎ!

2007年11月25日

広忠舞台日記 10月18・19日

京都のお弟子さんの稽古日。夜は弟であり親友である茂山逸平ちゃんと食事+深夜に至るまで酒席をともに。何件回っただろうか?ちょうどTVの撮影で京都に来ていた盟友・萬斎氏も後から合流。友たちとの楽しいひととき。

2007年11月26日

広忠舞台日記 10月20・21日

朝・新幹線で博多へ。坂口貴信君のご尊父・坂口信男先生の御社中の発表会。申し合わせ&本番。夕食は一日目は河豚に、二日目は和食。すっかり坂口先生に御厄介になってしまた。普段ならば中州に飲みに出てしまうところだが、三響會が控えている為に自粛。ホテルの部屋で一角仙人の三味線の譜を叩き込む。

2007年11月27日

広忠舞台日記 10月23日

広島空港より羽田へ。いったん自宅に戻り、着物や道具を詰め替えて出発。申し合わせ1件やってから日比谷シティ薪能へ。宝生流田崎隆三・宝生和英氏の”石橋連獅子”。葛野流ではこの連獅子と宝生の延年之舞(安宅)が最も重い扱いとされている。終了後に新橋演舞場へ向かう。21:00頃より三響會の稽古。一角仙人と獅子の稽古をする。染五郎丈・亀治郎丈・七之助丈・梅若晋矢氏らが揃う。これだけのメンバーが集うとこちらも迎える側として体は疲労しているが気合が入る。もう三響會は目前に迫っている。田中傳次郎の演出・稽古進行の下、藤間勘十郎氏による役者さんたちへの振り付け指導、田中傳左衛門の音楽監修。三響會の舞台はこのようにして造られてゆく。先ず音楽(曲)ありき。そこから型(振り)を決め、ビデオに録って各自自主稽古。三響會はあくまでも古典の切り売りが第一モットー。400~600年続いた伝統ある日本の芸能、能と歌舞伎を囃子を通じた共有意識を演者同士、お客様同士で共有して頂きたいのです。古典芸能は様々な技法をある規則性を持った羅列によって様々な曲種を生み出してきた訳です。その古典技法の規則性を保ち乍ら羅列を替えていくのが三響會の演り方。"切り売り"とはそのような意味です。一曲の構成を傳左衛門が行い、離見の見(リケンノケン=世阿弥の言葉。舞台上の自分と客席から見た自分を常に客観視する目)をもって傳次郎が演出していくのが三響會流。多少手前味噌的ではありますが、能と歌舞伎双方を愛し、双方を客観できるのは、双方の芸能が同居したこの亀井・田中家の有難い利点であるといえます。両親に感謝!!
今回の一角仙人・獅子では能の型や位置取りに関して、ほんの少しだけお手伝いさせて頂きました。やはり双方の主張(能と歌舞伎・立方と囃子方)がぶつかり合わないと、三響會ならではの面白い曲が作れませんからね!コラボレーションとはそのようなものでしょう。下手すればお互いに好き勝手にそれぞれ”やっただけ”で終わってしまうコラボが多いからです。獅子の稽古でも七之助さんが晋矢さんに型の確認をされてたりと、三響會の目指す"交流"が見えてきたのでうれしかったです。
特に印象に残ったのが、染五郎さん。彼が稽古に入ってきただけで我々囃子はもとより、ほかの役者・スタッフまでも皆の空気がガラリと変わったのです。緊張感が一段階アップしたというか、成程、これが座頭役者の風格か!と思いました。能楽界の野村萬斎、歌舞伎界の市川染五郎。この二人が今から10年以上も前に伝統芸能という世界の面白さを世の中に知ろしめしてくれた。ムーブメントを起こしてくれた、我々世代の兄貴なのです。彼らがいてくれたから、動いてくれたからこそ、我々も後に続くことができた。リーダーの風格はやっぱり違いますねぇ~♪

2007年11月28日

広忠舞台日記 10月22日

博多より新幹線で広島へ。在来線に乗り換え宮島口で降りる。フェリーに乗って宮島へ。毎年4月16日にこの宮島に奉能に来ているが、秋口の宮島もなかなかいい。今日は友枝昭世先生の宮島観月能で「自然居士」を打たせて頂く。フェリーの中から海を見渡す。潮風を浴び乍ら心地良い緊張感。気合い・思い入れの強い舞台前はいつもこう。試合前と同じ感覚。20代までだったら「さぁ、演りにいくぜ!!」的気合いを前面に押し出したマインドコントロール(舞台前の気持の入れ方)であったが、30歳を越してからはなるべく平常心とクールマインドを心掛けている。少しは舞台の怖さも知ってきたのかもしれない。
何せ今日の相手は友枝昭世。梅若六郎・高橋章・観世清和と並ぶ現代能楽最高の役者だからだ。師の能を打たせて頂けるだけで有難いと思わせてくれる、孤高の達人。六郎先生の時は、梅若六郎という豊かな大きい“海”の中で泳がせて頂いている感覚。友枝先生とはの時は、真剣で斬り合いをしているような生と死とのギリギリの緊張感の中、一曲の間終始対峙しているようなものです。それだけ先生の能には神経が張り巡らされている。六郎先生の懐に抱かれているような感覚とは真逆の、いつでもすぐに崖から突き落とされそうな恐怖感を漂わす友枝先生の舞台。あの張り詰めた空気と完璧な技術が観る者・演る者双方を魅了するのでしょう。今日の自然居士も友枝先生らしく静かな佇まいの中に、あわよくば刺し違えてでも少女を救い出す!という決意・覚悟の程が見受けられました。ワキの森さんの激しいキャラと対称で面白かったです。六郎師匠と閑氏だったらもうちょっと演り方が違って、軽妙な会話劇、舞づくしな面白さに、いつの間にか子方の少女を救い出す、という、バリバリの現代劇能。友枝先生のクールだが腹の座った青年!というよりは二枚目半的な、最終的には何とかやってくれそうなHEROといった感じでしょうか?
宮島は海の上の海上能舞台。打っている方は海面に音が走ってなんとも言えず心地良いのです!但し水の上なので音もすぐに下がって来ますが…終わった後に友枝先生から「今日は楽しかったよ♪ありがとう!」というお言葉を掛けて頂きました。スターの一言は重みが違う。その一言で今日の舞台が報われました。帰路のフェリーでは小さな達成感からくる安堵感に包まれ、静かな高揚で乗り込んだ行きとは違って、夜の潮風が体に優しかった。
夜は友枝先生のお世話で広島市内で全員で食事。その後は三々五々だったが今宵も真っ直ぐホテルに直行。明日は東京で申し合わせ→本番→稽古の3つ掛け持ちだからだ!何せ5日間も東京を空けたから様々な不安要素もある。さぁ、もう三響會に向けてメンタルとフィジカルを整えないと!

2007年11月29日

広忠舞台日記 10月24日

日比谷シティ薪能2日目。六郎先生の松風を打つ。やっぱり美しい謡だ!終わって兄弟で集まり、三響會の会議。連日の舞台なので風邪の前兆。

2007年11月30日

広忠舞台日記 10月25日

朝申し合わせの後、風邪がひどくなる前に病院へ行って1時間ばかり点滴を打ってもらう。一発で治った。夕方、新橋にある料亭「新喜樂」にてサントリー・オールドパー30周年祝賀の催し。観世清和家元の「羽衣」を打つ。20:30より新橋演舞場にて三響會の稽古。月見座頭と獅子の稽古。獅子はさすがに交通整理(役者の型の)が難航するが、そこは傳次郎&勘十郎コンビ。見事な采配で上手くまとめ上げる。また梅若晋矢氏・観世喜正氏もお互いに知恵を出し合って頂き、いいコンビネーション振りを発揮して頂いた。お二方共、様々なシチュエーションでの演能や三響会版での親獅子を経験されていらっしゃる由縁か、場の使い方が実に巧みだ!六郎師匠の影響も多大!?

2008年03月26日

広忠舞台日記復活!? 3月16日

長いこと更新出来ず失礼致しました。
この日は、広島県福山市にある大島能楽堂にて喜多流能楽鑑賞教室で長田驍氏の歌占と大島輝久氏の葵上を勤めました。大島輝久氏は観世の坂口貴信氏と並んで我々三人は公私共に長い付き合いの大親友。10代の頃から3人(輝久さんのお姉さんも加えて4人の時も!!)で随分と稽古を重ねてきました。年齢も私・大島・坂口と三人続きの年齢で本物の同世代。稽古に遊びに舞台に、この絆は一生続くことでしょう。 但し我々は役者稼業、単に人間性の波長だけでは付き合えません!そこには役者としての技量や生き様を認め合えるからこそ付き合える訳です。実はこの三人の仲立ちをしたのが輝久氏のお姉様であられる大島衣恵さんなんですよ!

広忠舞台日記 3月17日

朝の10:00から前々から約束していていた大島姉弟との三つ巴の稽古。福山のお舞台で輝くんの通盛と衣ちゃんの桜川。流石に認めてるだけあって注文も多くつけたくなるけどhigh levelなシテを舞っております。大島家でお昼をご馳走になり14:30の広島発の飛行機で羽田へ。6/5(木)の日経新聞主催の小生主催の能楽囃子コンサートの打ち合わせへ直行。この囃子コンサート、6/12に紀尾井ホールで本公演なのですが、おかげさまで売り出しわずか半月で完売!! 本公演前の6/5に追加公演が決定致しました。皆様何卒ご来場賜りたくひとえに願い申し上げます!
打ち合わせ後、梅若能楽学院へ行き書生さん達の稽古。

広忠舞台日記 3月18日

朝9:00から青山の稽古能で鵜澤光さんの班女を打つ。彼女も衣恵さん同様期待の女流能楽師♪午後から 松涛(観世能楽堂)にて申し合わせの後自宅でお弟子さん方の稽古の予定が風邪がひどくお稽古は中止とさせて頂きました。皆さん、本当に申し訳ない!! これから続く本番の舞台の為に体を休まさせて頂きました。おかげでこの日で完全復活。

広忠舞台日記 3月19日

喜多能楽堂にて喜多流青年能の申し合わせ、大島輝久氏の通盛。輝久くんの能を一週間のうちに2回も勤めるという珍しきこと!
夕方の国立能楽堂の養成課の稽古の合間に日本青年館に行き宝塚を観劇。他ジャンルの音楽を聴く・芝居を観る、というのは小生のライフワークであり、役作りになり、刺激を受け、癒されたり苛立たせられたり、と、実務であり趣味でもあります。この日は花組の愛音羽麗さんの「舞姫」という芝居。森鴎外の舞姫から題材を得た作品。小生の感想は“ 甘美な電流の流れていた青春との決別。そして自己の現在と未来を見つめる旅立ち” といったところでしょうか?! 主演の愛音羽麗さん、難しい役どころを大熱演!! 客に後々まで考えさせる作品の作り方・演じ方は我々芸能の世界は万国共通です。

今まで食わず嫌いというか、どうしても宝塚だけは観る気が致しませんでしたが知人のお誘いを受けて昨年末の春野寿美礼さんの退団公演を拝見して考え・印象が一変!なんとまぁ完成された舞台だろう!! と感動させられたんですよね!? トップ(能ならばシテですね)を中心とした完璧なパフォーマンス。舞台に立ってる方々のそれぞれの立ち位置の心得方。なんといってもお客様方に夢を与えてますよね♪
先週・先々週と2回も雪組さんの東京公演を拝見して参りました。まだまだ俄かヅカファンですが、同じ芸能に生きる世界同志、当分は勉強させて頂きます。

2008年03月28日

広忠舞台日記 3月24日

傳次郎氏が自宅を訪問、母親と三人で一時間ほど打ち合わせや雑談。 ジムへ行って走り狂言劇場夜の部へ。 終了後銀座のとあるスタジオへ向かう。亀治郎氏主演の芝居“風林火山”の劇中に使う音楽を録音する為に☆我々三人兄弟の大小太鼓を録音して参りました!!亀ちゃんも立ち会っての緊張感と笑いのある録音でした。こうして三人兄弟揃っての演奏は昨年10月の三響会以来なので改めて新鮮味を感じることも出来ましたね!
どんな仕上がりかは亀ちゃんの風林火山を御覧頂いてのお楽しみに☆
録音終わって23:30過ぎに帰宅。風呂入ってから一杯頂きながら雪組さんの「エリザベート」のDVDを観る。トップの水さんのこの世のものならぬ妖しく鋭い眼光が強烈な印象!! やはり役者はこうでなくちゃ♪トートという役を借りて自分の生き様を舞台に露出させる・自分の魅せ方を心得てらっしゃる水さんの役者魂に脱帽!

広忠舞台日記 3月20日

櫻間右陣氏の忠度を打つ。鼓は私の師匠であり相棒(と図々しくも勝手に思い込まさせて頂いております!師匠、あつかまし過ぎで本当にゴメンナサイ!! だって小さい頃からの憧れなんだもん♪)の大倉源次郎先生。終わって先生とご一緒に世田谷パブリックシアターへ行き、明日から始まる狂言劇場「唐人相撲」のゲネプロ。主役と演出を兼ねる萬斎氏のパワーやパブリックシアターに懸ける彼の思いに応えられるように明日の初日から頑張らねば! 終わって弟子の原岡一之を連れてパブリック前にある今噂のカレー鍋を食べに行く。成る程、美味い!! カレーと鍋という日本国民食がツボを押さえるんでしょうな?! カレーベースの出汁に牛・豚・鶏をぶち込みレタスや小松菜・玉葱・しめじといった野菜類を投入。ふんだんの野菜と三種の肉類をカレーを中心に味わえる絶品鍋。新たな食の感動を味わいました!! 但し車で来ていたので酒を味わうことが出来ず魅力三分の二… 次回は車を置いて馳せ参じる所存。

広忠舞台日記 3月22日

喜多流青年能で輝久氏の通盛を打つ。 稽古の甲斐有り輝久さんなかなかの上出来!!親友としてはこのような舞台を作り上げるのに協力出来て嬉しい限り。終わって13:40、14:15開始のパブリック狂言劇場の本番へ急いで直行! かなりタイトな掛け持ち。萬斎氏にはご心配おかけ致し申し訳ない…
なんとか無事に間に合いキツイ一日を終えることが出来ました。 夜は衣恵さんと輝久さんと共に食事。解散は2:00、充実の舞台の後は刻(とき)を忘れます! いつまでも語り合っていたい。

広忠舞台日記 3月23日

14:00の狂言劇場の後散髪へ行く。気分転換になりましたね~♪

2008年04月01日

広忠舞台日記 3月24日

傳次郎氏が自宅を訪問、母親と三人で一時間ほど打ち合わせや雑談。 ジムへ行って走り狂言劇場夜の部へ。 終了後、銀座のとあるスタジオへ向かう。亀治郎氏主演の芝居“風林火山”の劇中に使う音楽を録音する為に☆ 我々三人兄弟の大小太鼓を録音して参りました!!亀ちゃんも立ち会っての緊張感と笑いのある録音でした。こうして三人兄弟揃っての演奏は昨年10月の三響会以来なので改めて新鮮味を感じることも出来ましたね!
どんな仕上がりかは亀ちゃんの風林火山を御覧頂いてのお楽しみに☆
録音終わって23:30過ぎに帰宅。風呂へ入ってから一杯頂きながら雪組さんの「エリザベート」のDVDを観る。トップの水さんのこの世のものならぬ妖しく鋭い眼光が強烈な印象!! やはり役者はこうでなくちゃ♪トートという役を借りて自分の生き様を舞台に露出させる・自分の魅せ方を心得てらっしゃる水さんの役者魂に脱帽!

2008年04月03日

広忠舞台日記 3月26日

馴れない連続公演の疲労が喉に来初め耳鼻咽喉科へ午前中通院。やはり萬斎氏の体力とバイタリティには恐れ入ります! 普段からの節制の仕方も見習う点が多いですね!!
通院後はパブリックシアターへ直行、14:00からの狂言劇場。 今日の囃子方は一噌隆之氏・吉阪一郎氏・小生に観世元伯氏の組み合わせ。素囃子(囃子のみの演奏)の曲目はその日に皆で集まってから組み合わせを決めていくというジャズセッションにも似た形式。初日から今日で早や6日目、毎日違う曲目をメドレーで演奏している。本日は道成寺組曲を演った。道成寺の世界観を囃子の演奏のみで紡いでいく三響会でもお馴染みの組曲。

終演後はすぐ自宅に戻り一時間ほど仮眠。体に気合いを入れるべくジムへ行き10kmほど走り込んだ。 流れる汗と共に風邪も飛んだ模様。家に戻り夕食の後、明日の獅子虎傳の道具(楽器)や着物の支度をする。この支度(準備)の作業は舞台人にとってかなり大切な仕事。場(能楽堂や劇場等)を考え、演目を考え、共演者を考え、お客様を考え乍ら鼓や着物を選んでいく。舞台に対する心構えをこの段階で作っていく訳ですね!!

今宵は早めに寝て明日に備えないと。三響会同様、我々がメインに立つ大舞台ですから。 観に来て頂けるお客様方、明日は何卒宜しくお願い申し上げます!

2008年04月04日

広忠舞台日記 3月27日

世田谷パブリックシアターにて、芸術監督の野村萬斎氏企画による邦楽囃子コンサート“獅子虎傳阿云堂”の日。承りは我々三響会。14:00・19:00の二回公演で11:30楽屋入りの12:00から場当たり兼リハーサルを行う。番組立ては全て田中傳次郎による構成。傳次郎氏の進行によりスムースな流れで場当たり終了。傳左衛門氏も小生も傳次郎氏に仕切りを全て任せているので、演奏にのみ集中出来るので助かっている。 今回の番組は

1.囃子レクチャー
2.舞踊「松の翁」  立方 中村梅枝
3.「三番三」   シテ 茂山逸平
4.「天請来雨」  英哲風雲の会
5.舞踊 「供奴」  立方 尾上青楓
6.素囃子「獅子」

という構成。
自分はレクチャー・三番三・獅子だけで助かったが、弟さん方は舞踊2番多く演奏している分大変だったと思う。

茂山逸平・尾上青楓両氏とは5年前に「伝統芸能の若き獅子たち」という催しで何回か組まさせて頂いて以来の親友達。公私共に仲良くさせて頂いてることもあり、同窓会みたいで楽しかった!中村梅枝さんは私の母と傳左衛門氏に囃子を師事されてらっしゃり、尚且つ傳次郎氏の弟のような間柄。よって我々三兄弟とも近しく他人のような気がしない。

そのようなメンバーではありますが舞台に上がると話は別。親しいからこそ凌ぎを削る勝負に変わる、舞台で生きている者同志の共有意識。
最近お客様の前でお話する機会もだいぶ増えてきた。まだまだトークは苦手な方ですが、あまり緊張しないように、お客様に失礼のない範囲で“ ユルく” やるように心掛けてます。緊張し過ぎると言葉も出てこないですからね!!

さて、肝心の演奏そのものは如何でしたでしょうか!? それはお客様のご判断に委ねさせて頂きます。しかし1日に獅子とサンバ(我々の世界では三番叟を略してこう呼んでおります。)を二回ずつ、思ってたよりもきつうござんした。

青楓くん・逸平くん・梅枝くん、皆様本当によくやって頂きました! そして英哲風雲の会の方々、これはリアルにご覧になられた方はその演奏の凄まじさをよくお分かり頂けたかと思います。 今現在和太鼓の団体は全国で2万グループ程あるのですが、風雲の会の師匠の林英哲氏こそが和太鼓の頂点に立つ演奏者。その英哲さんの元で直接鍛えられて共に演奏活動をしている英哲風雲の会、和太鼓グループでは日本一、いや世界一の演奏をする方々です。和太鼓には我々伝統芸能の世界のような流儀制度・家元制度のシステムがなく、玄人素人の区別なく演奏活動をしていると聞いております。誰でも自由にユニットを組んで演奏できるのは魅力でもありますが、逆説を言えば伝統芸能の世界のような芸事を取り締まる、プロフェッショナル同士のジャッジメントもないと言えます。 鬼太鼓座の創立メンバーであり現在の鼓童を設立する流れを作った林英哲氏と風雲の会のメンバー、彼らこそが世界一の和太鼓奏者の集まりと小生は認識致します! この日も改めてその凄まじい修練から成り立つ超絶技法をまざまざと魅せつけられました。有り難い!本当に素晴らしい刺激を与えて頂きました。

2008年04月08日

広忠舞台日記 3月28日

朝、喜多能楽堂にて安宅の申し合わせ有り。その後パブリックシアターにて狂言劇場。あと二日間公演は残っておりますが自分は今日でおしまい。リハーサルから入れて実に9日間パブリックさんに通った。歌舞伎の方はこれが25日間通う訳だから大変なことですね!!狂言劇場終了後萬斎氏と6月の能楽現在形パブリックシアター公演の演出方針を話し合う。今年の能は舎利、6/20/21/22 の3日間です。 乞うご期待!

2008年04月09日

広忠舞台日記 3月29日

宝生能楽堂にて朝倉俊樹氏の御社中発表会。 なんと能2番と囃子8番!! いやぁ~、流石に手が壊れました(泣) 舞台続きでしたしね。
明日が心配です。

2008年04月10日

広忠舞台日記 3月30日

喜多能楽堂にて大村定氏の会、安宅を打つ。手が壊れている上に安宅という終始どつき回しの大曲、半ばやけくそで打ってました(泣) 一発打つごとに激痛が手を襲うんですからね~!! 正直、このような状態の時は正に“決死の覚悟”なんです。大鼓を打つ以上は、この痛みが一生付きまとう訳です。

安宅を終えて掛け持ち。椿山荘にて桜間右陣氏の新作能その名も「椿」。本来は椿山荘の素晴らしい庭園に新設された水上能舞台にて演る筈であったが雨天の為会場は椿山荘の中で演った。残念です! 萬斎氏も狂言劇場千秋楽を終えてからの掛け持ちで見えてました。流石にお互いに疲弊しきって気力のみで勤めた!といった感です。

2008年04月11日

広忠舞台日記 3月31日

連続公演が体に障ったか、本来は玄人稽古をする予定でしたが一日寝込んでしまいました。起きたくても体が動かない! 悔しいもんです。

2008年04月12日

広忠舞台日記 4月1日

青山の稽古能で長山桂三氏の善界を打ち、武田稽古能で小鍛冶を打つ。夜は19:30頃より梅若能楽学院にて書生さんの稽古をつける。まだまだ体は戻らない。明後日は能楽現在形の本公演なのに困った!

2008年04月13日

広忠舞台日記 4月2日

朝10:00より能楽現在形の申し合わせを水道橋にて。朝一から宝生の延年と藤戸。体の調子もあるが、お互いのアンサンブルが良ろしくないとの萬斎氏からの指摘あり。いつも乍ら彼の主観客観両方併せ持つ意見は非常に参考になる。宝生の延年は我が葛野流最高の奥伝(奥義)即ち流儀の誇り。更なる昇華を求める為には萬斎さんのような重みを知っている役者からの指摘が何よりも大事。申し合わせ終了後一噌氏、成田氏を伴って神楽坂で昼食を摂りながら今一度延年の意見交換をする。

午後は体をなんとか元に戻す為通院。喉も体も痛みきっているらしい。しかし明日は宝生の延年、家に戻って稽古し直す。流儀の誇りを守る為です。

2008年04月14日

広忠舞台日記 4月3日

朝10:00より日本武道館にて法政大学の入学式で浅見真州氏の羽衣を打つ。10代の方々にいきなり羽衣のような本格的な能を見せるのはいささか抵抗もありますが、この中の何人かでも能に興味を抱いて欲しい!という思いが沸き起こりました。
家に戻って一時間半ばかり仮眠してから宝生能楽堂へ。能楽現在形の本番です。
本日のゲストのシテは宝生流の金井雄資氏。 安宅の延年の舞囃子と藤戸の能を舞って頂きました。延年と藤戸、気力を外に解放する曲と内面に込めて外側に露出させる曲。一見真逆のようでありながらこれらの技法は善悪のごとく繋がっているものなのです。
昨日の日記に書かせて頂きましたが、やはり宝生流の延年之舞という小書(特殊演出)は亀井家代々の重みとでも申しましょうか、なかなか一言では語れませんし、客観的にも見ることが出来ないものです。常に舞台はそうあって然るべきですが、この延年こそが正に「命懸け」で臨まないと成り立たない曲なのです。とにかく使う気力体力が尋常では無い。演劇には空気や肉体の“弛緩”というものが必ず出てきます。ところが延年では緩む所が全く無い。いきなりMAXで始まり、更に肉体精神の緊張を上げていく。その緊迫感の持続と高揚によって成立する小書なのでやはり開演前はnervousな状態でした。 結果はお客様によって印象は変わるでしょうが、位(ペースや格調)的には何とか無事に勤めおおせたといった感でしょうか!? 宝生の延年は教科書のような音源が残っていて、シテは近藤乾三先生、笛が藤田大五郎先生、小鼓が幸祥光先生、大鼓が私の祖父という、今で考えればレジェンド達による名演が残っております。奇しくも本日の金井・幸弘・成田・広忠というメンバーはこのレジェンド達の孫弟子に当たる訳です。感慨深さもあり、敗北感もあり、“これからは俺達が延年を受け継ぎ作っていく!”といった気負いもあり。 伝承とは常に比べられる残酷さに身を晒されながら続いていくものだと思います。批評というものは心無い意見ばかりが多いですが、やはり舞台に立っている役者同士が一番分かっているのではないでしょうかね!? 受け継ぐ重みと現在の自分というものは。

終わってから現在形メンバー及びプロデューサーの土屋恵一郎氏の4人で夜中の2:00過ぎまで反省会。久々にお互いに長く熱く本音の語らい。親友ではなく志を共有する盟友たち。ある意味では親友を超えた付き合いと言えるでしょう。幸ちゃんにたけちゃん(萬斎さん)、本当に有り難い、得難い二人です。

2008年04月16日

広忠舞台日記 4月4日

靖国神社で夜桜能、宝生流の杜若の澤辺之舞を打つ。今年はだいぶ桜が残っててくれて嬉しい限り。materialな美ではないnaturalな空間の中での舞台はやはり心地いい! にしてもやはり手の痛み・体の悲鳴と格闘中…

2008年04月17日

広忠舞台日記 4月5日

梅若能楽学院にて山村庸子氏の御社中の発表会。囃子4番に能の羽衣。 能の小鼓が北村治先生に太鼓が金春惣右衛門先生という人間国宝お二方に挟まれる。終始緊張ではあるが何だか懐かしい感覚を覚える。金春先生は初舞台から勉強させて頂いてる先生。そして幼稚園の頃から亀井忠雄・北村治という大小鼓のゴールデンコンビに憧れ見て育ってきた小生。金春先生に北村先生という、親父とは違い舞台の上で直接お相手願い鍛えて頂いた先生方に挟まれての舞台。これに藤田大五郎先生が加わったら完膚なきまでに叩きのめされるというパターンが多かったですね!? 実に居心地のいい、有り難い舞台をさせて頂きました。まだまだ先生方には教えを頂戴したい!

但し終わって家に戻ってから全く体が動かなくなりました。燃え尽きたのでしょうか!? 体も頭も働かないし動けない… 生きているレジェンド達に全て吸い取られたみたいです(笑)

2008年04月18日

広忠舞台日記 4月6日

金春会にて富山禮子氏の西行桜を打つ。西行桜を本番の舞台で打たせて頂くのは三回目(稽古能ではもっと打ってますが)、一度目は高橋章先生で二度目は宝生英照先生でした。西行のような老女物に準ずる曲は我々のような若手にはなかなか廻ってこないものです。同類曲に遊行柳という曲がありますが、テクニカルな遊行、存在の強さを示す西行といった所でしょうか!? とかく技術的に処理の難しい所が魅力的な曲構成となっております。山姥のような超自然の世界観とは違いますが、私が目指す西行は厳しさの中に一抹の春の暖かみ、都の絢爛の桜を心の中に幻想し乍ら打たせて頂く、といったところでしょうか!?

終わってから観世能楽堂へ行き家元の恋重荷を拝見に伺う。囃子方は松田弘之・観世新九郎・亀井忠雄・金春惣右衛門、ワキに宝生欣哉、地頭に野村四郎の諸氏。見応えがありました。亀井忠雄や金春惣右衛門先生が囃子にいるだけで舞台が引き締まる。我々若手が望んでも出せない「芸位」の高み。 観に行って本当に良かったと思います。

2008年04月19日

広忠舞台日記 4月7日

朝宝生にて近藤乾之助先生の熊野の申し合わせをして夕方からお弟子さんの稽古日。合間にジムに行き相変わらず走る。

2008年04月20日

広忠舞台日記 4月8日

国立能楽堂にて玄人稽古をした後、梅若能楽学院へ行き書生さんの稽古。終わったのが22:00近かったので出前を取って彼らと能の話をしながら遅い夕食。

2008年04月21日

広忠舞台日記 4月9日

今日は皇居一周走って体を目覚めさせる。夜は近藤乾之助先生の試演会で先生の袴能(装束を付けずに紋付・袴姿で舞う形式)「熊野 膝行三段之舞」を打たせて頂く。この膝行三段之舞の小書も延年・澤辺と並ぶ宝生名物の小書。今月は三つも宝生の小書を打たせて頂く機会に恵まれた。我が葛野流は江戸時代は宝生座付(宝生流専属の大鼓方)ということもあり、祖父の亀井俊雄は明治の宝生九郎師の弟子ということもあり、宝生流とは非常に縁の深い流儀です。乾之助先生の父君の近藤乾三先生の熊野の膝行三段の時には私の祖父がお相手していたり、伝承のありがたみと重みを痛感しながら打たせて頂く喜びを噛み締めながら舞台に臨めました。「乾之助ワールド」と呼ばれる師独特の世界観が舞台と客席を覆い尽くす。もう80歳近い御年にも関わらず強靭な肉体と精神力に終始しびれっ放し! 私の恩師も仰ってたことですが、役者の根底は明るくなければならない。死生観から生の光を求める・突き進むエネルギーが舞台に満ち溢れてなければいけないと常々仰いました。齢80近くにしてなんと生命力に溢れてらっしゃることか!! 乾之助先生の世界にご一緒させて頂ける有り難さで満たされた夜でした。
笛は一噌庸二先生、小鼓は大倉源次郎先生、先生方の胸を借りて勤める機会にも恵まれました。まだまだ教えを乞うことが多いからこそ伝承のこの世界が楽しいのです。

2008年04月22日

広忠舞台日記 4月11日

申し合わせと新作能の稽古と夕方は日経新聞の取材。

2008年04月23日

広忠舞台日記 4月12日

熱海のMOA美術館にある能楽堂にて宝生流田崎隆三氏の「巴」を打つ。

2008年04月24日

広忠舞台日記 4月13日

宝生会にて新宗家・宝生和英氏の「春日龍神」を打つ。 和英氏が宗家に就任されてから初めて舞われる能なので、私の気持ちの中では新宗家御披露目の気持ちで打たせて頂いた。思えば和英氏の初シテ・千歳・獅子・鷺・烏帽子折と節目になられる曲は殆ど打たせて頂いた思い出がある。御恩に報いるべく、大鼓という微力な立場ながら少しでも新宗家のお力になれるよう力になれたらと思う。
舞台を重ねるごとに力を付けられていく和英氏を頼もしく思います。

2008年04月25日

広忠舞台日記 4月14日

群馬県桐生市へお弟子さんの出稽古に出る。

2008年04月26日

広忠舞台日記 4月15日

浅見真州氏と梅若晋矢氏の御社中の会(我々は略して素人会と呼んでおります)の申し合わせの掛け持ち。能4番と舞囃子3番、結構な番数!!
終えて最終便の羽田発で広島空港へ。バスに乗り継ぎ広島駅から電車で宮島口へ。到着は23:00頃でしょうか!? 夜の宮島口はなかなか寂しいものがあります。 明日は桃花祭という宮島の御神事能、毎年前日の最終便で宮島口まで来て泊まるのがこの10何年の習慣になってます。 宮島コーラルホテルのBARで軽い寝酒を飲んで就寝。

2008年04月27日

広忠舞台日記 4月16日

7:00に起床、フェリーに乗って宮島に渡る。生憎の雨だが、朝のフェリーに乗って宮島へ向かう時は爽やかな気分にもなるし御神事に向けて気も引き締まるものです。 毎年4/16から三日間この御神事能が催され、自分は毎年初日を受け持たせて頂いております。18歳から来てますので、今年で15年目になりますね~!!奉納舞台というものは神様に向けての祈りの舞台、我々芸能者の原点がここにはあるのです。なので仕事とというよりは責務と思ってこの桃花祭には毎年参加させて頂いております。
初番の翁 附 養老 を弟子の原岡一之が勤め四番目の枕慈童を広島在住の葛野流で私の兄弟子に当たる三王清さん、自分は二番目三番目五番目と打たさせて頂きました。久々に一日に能三番も打ちましたよ!! 真ん中の曲は源氏供養という曲で小鼓は横山晴明先生でした。横山先生と大倉源次郎先生、正に日本一の小鼓方だと思います。動の大倉先生に静の横山先生、対照的に見えるお二方ですが、調子・掛け声など実に強く、体の中に流れ息使いの強さは共通されてるかと思います。それにお二方とも実に「深い」ところで能を囃されてらっしゃる。表層的派手やかさだけで決して囃さない。曲柄を正しく捉え、小鼓の「分」というものをわきまえて舞台に存在されてらっしゃる。有り難くも大倉先生とは夫婦のごとくよく組ませて頂き勉強させて頂く機会に恵まれてますが、横山先生は年に2~3回あればいいくらいにお相手願う機会が乏しいのです。それに横山先生は上京された折には大抵父とのお相手ばかりですので… なかなか小生まで先生とのお相手は廻ってきません。貴重な横山先生との舞台を堪能しながら勉強させて頂きました。
横山先生こそが幸流小鼓の正統であられ、幸祥光先生の芸の本質を正しく受け継いでらっしゃる継承者だと思います。

この日は私の親友の大島衣恵さんのお弟子さん方が観にいらしていまして、楽屋御見舞に日本一の穴子飯を差し入れとして頂戴致しました。何よりも嬉しい宮島の穴子飯、おかげで能3番乗り切ることが出来ました! 有り難かった!! 衣恵さんとの友情に感謝致しております。
広島発最終便で東京に戻る。

2008年04月28日

広忠舞台日記 4月17日

申し合わせ二ヶ所掛け持ち、井筒に松風、なかなかの大曲。

2008年04月29日

広忠舞台日記 4月20日

観世新九郎氏の御社中会にて井筒の能を打たせて頂く。その後は掛け持ちで飯田橋にある桜間右陣氏の舞台披キで石橋。飯田橋逓信病院の裏手にある御自宅の中にある能舞台。かなりご立派な御舞台に驚く!!

2008年04月30日

広忠舞台日記 4月21日

午前中稽古と打ち合わせを済ませて午後は楽しみにしていた宝塚宙組を観に行く。白州次郎・正子ご夫妻の物語でタイトルは「黎明の風」。まだ宝塚観劇5回目なもので、初めて専科の轟悠さんと宙組トップの大和悠河さんを拝見。轟さんの男役の美意識にシビレました! 歩き方・話し方・スーツの着こなし方、我々男では到底叶わない格好良さだと思います。大和悠河さん、役者で言えば市川海老蔵といったところでしょうか!? 彼女が登場しただけで舞台と客席が明るくなる、ハンパないスターオーラの持ち主だと思いました。次回の宝塚観劇予定は6月で月組公演の 「ME & MY GIRL 」を観たいと思っております。

宝塚の後は歌舞伎座へ直行、「勧進帳」一幕だけ観る。弁慶・片岡仁左衛門、富樫・中村勘三郎、義経・坂東玉三郎という観る前から期待せずにはいられない黄金の組み合わせ!! 小生はこの勧進帳にはことに思い入れが強い。一番初めに記憶しているのは尾上松禄丈の弁慶。客席からと黒御簾の中からと2回観た記憶があります(記憶のない頃には松本白鸚丈の弁慶も観ている筈ですが… 覚えてないんです)。
松禄さんの人間味の溢れるカッコイい男の弁慶は強烈に記憶してます。 また、黒御簾で観た時なんですが、おじいさん( 十一世 田中傳左衛門)が立鼓(囃子のリーダー)でして、幕切れと同時に裃を脱ぎながらもの凄い勢いで黒御簾に走って入り、最後の飛び六方の太鼓の芯を切って打っていました。小学校一年くらいでしたが、松禄さんとじいさんの正に一騎打ちとでも申しましょうか?! 普段は優しいおじいちゃまが血相を変えて黒御簾に飛び込んできて必死の形相で六方の囃子を打っている。あの祖父の顔を生涯忘れることはないと思います。

今になってあの時の祖父の姿を思うに、やはり我々は役者あっての囃子方・シテ方あっての囃子方なんだと思います。全て彼らの為の舞台であり演奏なのです。尾上松禄という役者の為に、勧進帳という曲の為に命を掛けて囃す我々囃子方の生き様だと思います。但し役者(シテ)の方も不勉強では困る。囃子方が命を掛けるに値する舞台を作って頂かねばお仕えする気も失せるという訳です。 囃子方のみならず舞台に関わる全ての人達を納得させる舞台を作って頂かないと舞台上の総合演出家としての主役は成り立たなくなります。
祖父のあの必死の形相は正に尾上松禄という主役の為に、勧進帳という曲の為に歌舞伎の為に命を掛けて囃していたんでしょうね?!

そんな囃子方としての「想い」が詰まった勧進帳、今までにもう何十回観ているか分かりませんねぇ~!松嶋屋さんの弁慶、素晴らしかったです!!! いわゆるスタンダードな弁慶の作り方をされてらっしゃる。押し出しもセリフも型も全てが立派! 色んな意見があるでしょうが、僕の好みは勧進帳のような古典中の古典のような曲は役者の感性でいじって欲しくない。曲の様式に身を任せて演じる演り方が好きなんです。現代性や演劇性というものは濾過されるものであって狙ってやってほしくないですよね?特に勧進帳のような古典の秀作では。その辺り松嶋屋さんはあれだけ現代的な役者さんが古格を守って力強い弁慶を魅せて頂いた。感心致しました!
観終わった後に大和屋さんの楽屋にご挨拶にお伺い致しました。先日拝見した熊野の話で盛り上がりました。玉三郎さんからは高校生時分の時から本当に可愛がって頂き、お話させて頂いてお教えを頂戴することが多いです。世阿弥の云う「離見の見」を舞台上で体現されている方ですからね。こうしてお話させて頂けるのも親兄弟・祖父のおかげです。

本日は歌舞伎と宝塚という二つの芸能を観られたという幸福に恵まれました。実は二つの芸能には大きな共通点があります。男が女を演ずる歌舞伎に女が男を演ずる宝塚。女の人に出せない女性の色気を出す歌舞伎に男に出せない男性の色気を出す宝塚という共通点があるんですよね~!? 歌舞伎の女形に宝塚の男役、正に理想的な男女の世界を描いているとは思いません??能の井筒にも似たような感があります。
自分の生きている世界以外のものに触れて影響を受けたときは何とも言えない幸福感に満たされます。そしてその幸福は自分の生きている能の世界にも影響を及ぼすのです。 明日の舞台への糧。

2008年05月01日

広忠舞台日記 4月22日

浅見真州氏の御社中会。お素人会で能を打たせて頂けるだけで晴れがましいのに、曲はなんと卒都婆小町!! 同じ大鼓の先輩方(父も含めて)が多くいらっしゃる中でしたので、そりゃあ緊張しますよ。 浅見先生の親心に感謝致します。あとは舞囃子が二番で、なんと舞われたのが親友の尾上青楓夫妻! 青楓氏が鶴亀で奥様は井筒。嬉しくなっちゃいましたね~♪ 獅子虎傳では共演はなかったけども、こうして彼と同じ能舞台に立てるのは。

2008年05月02日

広忠舞台日記 4月23日

梅若能楽学院にて梅若晋矢氏の御社中会。能二番に囃子三番打たせて頂く。晋矢さんは私が大好きな役者のお一人で尾上青楓さんや私の兄弟、茂山兄弟と組んで明治座において「伝統芸能の若き獅子たち」という会もやったことがあります。世代的には晋矢さんは兄獅子ですけども、我々若僧たちの良き兄貴分として接してくださる良き兄貴分な方です。

この日の能の地頭は梅若六郎先生。やはり名人が謡われる地謡で勤める舞台は体はくたびれますが精神的には全く疲労しません。

2008年05月03日

広忠舞台日記 4月24日

申し合わせ二件掛け持ちしてからジムで走り、夜は散髪に行く。いい気分転換♪

2008年05月04日

広忠舞台日記 4月25日

申し合わせで能二番と囃子8番ほど打ってから松濤へ行き関能会「忠度」の本番。シテは関根祥人氏。祥人さんは私の15歳上の学校の先輩でもあり観世の家元とは同級生にあたられる。家元の生涯のライバルと言われる方で今の中堅世代では間違いなくトップを走られてて、梅若晋矢さんと共に注目を一心に受けられる方でしょう。また曲が忠度という名曲中の名曲でシテが関根祥人、燃えない訳にはいかないでしょう?!

忠度は修羅能の中では異質な曲趣かと思われます。戦物語主体よりも、軍人よりも歌人としてのプライドが強く、戦に出掛ける前に藤原俊成のもとまで出向き勅撰和歌集に自分の和歌を入れてほしいと頼む。死後も尚俊成卿と縁のある僧の前に現れて俊成卿の子息である藤原定家に頼んでもらいたいという芸術家としての執念が曲のテーマとなっています。そしてその曲全体を覆うのが和歌と花なのです。歌人として後世にまで名を留めたいという忠度のアーティストとしての執心が我々役者の心を揺さぶるのです。
忠度を作るにあたっては世代によって異なるかと思われます。初めて打ったのは15歳の頃でしょうか? 10代20代の頃はとにかく修羅能としての基本を踏まえた強い演奏法をとり、30・40代では花と和歌を念頭に置いた柔らかみのある演奏法、50代半ば頃からは今一度初心に帰り強く演奏する。強さのみが全面に出る今の自分の年代では忠度を作るのは難しいのです。武人と歌人両方備わってないと。一昨年拝見した三川泉先生と親父の忠度のなんと素晴らしかったことか!! 80歳過ぎの三川先生の若やいでいること!父もそれに応えて激しく演奏するがうるさくなく、気合いと柔らかみの絶妙な融合が何とも言えない素晴らしい仕上げになっていました。正に老木に花の咲く如し、能には果てあるべからず。若いうちに到達出来ないからこそ一生を掛けてやる価値のある芸能だと思うのです。

なので今日の祥人さんとの忠度、自分としてはまだまだ不本意。激しく打って柔らかい芸境はまだまだ先があります。その為の現在なのですから。

2008年05月05日

広忠舞台日記 4月26日

宝生能楽堂において堤由美子様の御社中会、能1番と囃子9番、もう手は限界にきている。明日が終わったら次は土曜まで本番がないので手を休めることが出来るので今日明日で手を潰す覚悟がなければ明日も乗り切れないでしょう。

2008年05月06日

広忠舞台日記 4月27日

宝生能楽堂において堤由美子様の御社中会第二日目、能1番と囃子8番。自分の舞台に対するポリシーは、一日の気力体力は全て舞台で使い果たすという考えなので、終わった後はやはり体は動かず、何も考える余力も残っていない。この日ばかりは飲みに出る気もしませんでした。

2008年05月07日

広忠舞台日記 4月28日

南座へ行き三響會の記者会見。記者様方大勢お集まり頂き有り難かった!南座さんのおかげです。
傳左衛門・傳次郎両氏のまともな応対に比べて小生のいささか過激な発言の数々。丁度いいバランスかも知れませんが、改めて弟たちの大人な言動に感じ入りました。
三響會においては能・歌舞伎の優劣は全くなく、むしろエンターテインメントとしての能の愚劣な部分をさらけ出したい、或いは切り落としたいというのが自分の中では第一コンセプトなので、普段から感じている能の演出等の現代性といったものは大いに追求していきたいと思っております。猿之助歌舞伎の3Sではありませんが、お客様への見せ方というものは能楽堂以外での公演の折には変えて然るべき。現在に生きる演劇としての能を見せるのであれば演者も覚悟して頂かないと困る訳です。ホームグランドの能舞台を離れての安達原、現在と未来の能楽界を牽引する観世宗家と分家にお舞い頂くのもそういった三響会の思いが込められている訳です。江戸前を体現する両巨頭に特出頂いての上方芸能のホームグランドに対しての殴り込み。そのように思っているのはrock spiritの小生だけでしょうか!?
南座さんで三響会をさせて頂ける有り難みと舞台への闘志が燃え上がった会見になりました。

終わってから甲部歌舞練場へ行き、都をどりの4回目を観に行く。成程納得。見せ方というものは会のコンセプト・客層によって変えるものであり、それに伴う役者の基本技術や舞台に掛ける思いというものは不変であるとあらためて発見致しました。普遍性ではいけないということでしょうか!? やはり囃子方なので地唄と囃子の掛け合い、それに付いてくる芸舞妓さんの動きといったものから見てしまいますよね!?

2008年05月09日

広忠舞台日記 5月3日

横浜金沢八景にある称名寺というお寺の池の前で薪能、桜間右陣氏の石橋を打つ。今日は昼過ぎ迄雨が降り続いており地面は雨を吸い取っていて、しかも後ろは池。大鼓にとって良い環境である筈がありません! 湿度で声は楽でしたが調子(音)は… かなり苦労致しました。

家に22:00手前に戻り、昔からハマっているドラマ「相棒」を見る。あの絶妙な会話劇がファンのツボを押さえるのでしょうね!

見終わって風呂に入ってから寝酒に六本木 Le Peu にこれまた久々に飲みに出ました。4月はスケジュール的になかなか来れなかったのでいい息抜き。

2008年06月02日

広忠舞台日記 5月6日

新作能の稽古の為に京都へ行く。連休最終日の為に帰りの新幹線に乗れず、京都泊まり。

2008年06月03日

広忠舞台日記 5月7日

銕仙会公開講座。頼政・実盛・通盛・鉢木の一声に出端に早笛という登場音楽の違いを見せる催し。

2008年06月04日

広忠舞台日記 5月8日

セルリアンで申し合わせの後、大阪へ。国立文楽劇場にて申し合わせ。梅若晋矢氏シテによる、「大原御幸異聞」。 土井陽子氏作で能と新劇を合体させた大原御幸。新劇からは「剣客商売」の山口馬木也氏が参加。夜は角当直隆・梅若基徳・松山隆之・川口晃平と食事に出かける。 慣れない大阪の夜。

2008年06月05日

広忠舞台日記 5月9日

大原御幸異聞昼夜公演。終わって山口馬木也氏と、スーパー歌舞伎で松竹座に来ている市川笑也氏と市川猿也氏と飲みに出る。馬木也さんと猿之助軍団とは親交が深いらしく、こちらも傳次郎氏繋がりで彼らとは面識がある。当然の如く盛り上がる。

2008年06月06日

広忠舞台日記 5月10日

伊丹空港始発便で東京に戻り宝生へ直行。波吉改め藤井雅之氏の御社中会、経政と東北の能二番打つ。

広忠舞台日記 5月11日

勝海登氏の会で「松風」の能と囃子3番。

2008年06月07日

広忠舞台日記 5月14日

銕仙会公開講座第二日目。 井筒の一部分と早笛と大ベシの囃子。 最終の新幹線で京都へ。

2008年06月08日

広忠舞台日記 5月15日

京都観世会館で片山清司氏の会の申し合わせ。終わって東京へ戻り国立能楽堂養成研修所の研究課程で研究生の稽古。

2008年06月09日

広忠舞台日記 5月17日

緑泉会で芦刈を打つ。

2008年06月10日

広忠舞台日記 5月18日

中央区能に親しむ会で求塚を打つ。

2008年06月11日

広忠舞台日記 5月19日

佐々木多門氏の道成寺の下申し合わせ。久しぶりに野村萬斎氏に会う。今出てる芝居の役作りの為か髭が伸びてらした。夜、彼の芝居を観にシアターコクーンへ行く。なんと菊之助と親子の役柄!老け役も出来るところに怪奇役者(失礼!?)・野村萬斎の妙味有り。次は前髪の役が観てみたいものだ。
終わって楽屋へ行くと坂東亀三郎と会う。同じ学習院の先輩後輩で同じ剣道部の仲間同士。変わらぬ気さくな男で嬉しかった。彼はやはり萬斎氏の息子役で菊之助氏の弟役。萬斎氏によると日を追うごとに亀三郎が良くなってきている!とのこと。確かに台詞が以前に比べて格段に上がってました。仲間が頑張っている姿を見るとこちらも嬉しいし、気持ちが引き締まります。
萬斎氏の楽屋では30分ばかり芝居の感想を述べる。歌舞伎・芝居・宝塚・ライブコンサート、これら皆自分の役者人生への糧となるものばかり、心の安らぎを与えてくれ闘志をかき立てられ、影響を受けない訳がありません。

2008年06月12日

広忠舞台日記 5月20日

夕方近くからセルリアンで友枝雄人氏の葵上を打つ。その後青山へ行き新作能の申し合わせ。終わって銀座の稽古場で三響會の稽古をする。

2008年06月13日

広忠舞台日記 5月21日

朝から三響會の稽古と着物・道具(楽器)の支度。この支度というのも舞台を造る上では最も重要な作業となる。曲柄・会の趣旨・相対する役者にお客様、様々なシチュエーションを想定しながら道具や着物を選んでいく。この準備段階でどうやって舞台を造っていくかある程度の想定をつけるのです。 役者はメッセージをお客様に投げかける訳ですから。

夜の新幹線で京都入り。 ルプーに行き親友の武田誠と談笑。

2008年06月14日

広忠舞台日記 5月22日

本日は京都の造形芸術大学にある春秋座という劇場で渡邊守章先生主催による観世榮夫先生の追悼公演。曲は「薔薇の名~長谷寺の牡丹~」。渡邊守章先生作の観世榮夫先生演出・節付で、榮夫先生最後の新作能になる。渡邊守章先生はフランス文学の先生で、特に日本におけるポール・クローデルの研究に於かれては権威であられます。また御自身の演劇集団“空中庭園”を主催されておられ、空中庭園主催の海外公演で2回ほどフランスで公演した。一回目はエックス・アン・プロヴァンス、ブラングにあるポール・クローデルの居城、パリと回った。この時の演目は“ 内濠十二景~二重の影~”、やはりポール・クローデルの作品を基にした新作能でした。二度目はパリ公演のみで、やはり内濠十二景と翁と、この薔薇の一部分をやりました。いかにも南仏らしい解放感にあふれたエックス、なかなか個人的に行くことのないグルノーブル近くのクローデルの居城、そして麗しきパリ、守章先生・榮夫先生・梅若晋矢さん・茂山宗彦さん達と廻った公演旅行、懐かしく思い出されます。一回目の最終日、丁度公演中に9・11事件が起こり… 帰りの飛行機が出るかどうか不安でした。成田にランディングした時は機内は大拍手が起こり… あのような経験も初めてでした。守章先生は能が初めて渡欧した時にパリの大学生として能楽団のお世話をされてらしたみたいで、以来観世三兄弟の海外能楽団「世阿弥座」(私の父もメンバーの中にいました)のサポートをされたりと、とかく寿夫・榮夫先生とはお付き合いの深い先生であられます。
その守章先生が榮夫先生との最後の作品をもって追悼公演とされる。今までの榮夫先生から受けた御恩を感じるにつけ、フランスでの道中も思い出され感慨深い公演となりました。シテは観世銕之丞、小鼓に大倉源次郎、先生を偲ぶのには的確なメンバーが集まりました。自分も作調と共に謡の節付(作曲)にも関わらせて頂いたので思い入れの深い曲でもあります。昼のリハ夜の公演、間に茂山逸平と三番三の稽古をしたりしました。夜は榮夫先生の献杯をしてから空中庭園スタッフと先生やフランス公演についての思い出話で盛り上がる。その後祇園のルプーに行き、再び親友の武田誠を訪ねる。

2008年06月15日

広忠舞台日記 5月23日

京都から金沢へ行き、藪俊彦氏の玄人会「松風」を勤める。

2008年06月16日

広忠舞台日記 5月24日

藪俊彦氏の御社中会で高砂と熊野を勤め、東京に戻る

2008年06月17日

広忠舞台日記 5月25日

一日中三響會の支度やら稽古で終わってしまった! 途中自宅に傳左衛門夫婦が産まれたばかりの双子の子供達(男女)を連れて遊びにくる。
夜は三響會版「安達原」の稽古の後三人で集まり演出的なこと、事務的な事項の最終打ち合わせ。夜中までかかる。普段からお互いに忙しくしているだけに、切羽詰まらないとなかなか議論がまとまらないが、三人揃うとすんなり決まるのが兄弟ならでは。

2008年06月18日

広忠舞台日記 5月26日

昼頃京都入り。月見座頭・竹生島・五人三番三の舞台稽古を行う。21:30頃迄かかる。終わった後茂山茂・逸平・傳左衛門と食事。明日からが激戦なので遅くならずに宿に戻る。
昨年もそうだったが、東京公演以上に南座公演前日は気合いが入る。心意気としては江戸の芸能が関西の芸能の殿堂に対して殴り込みをかけるという気持ちが入るからだ! でも三響會結成当時の11年前に比べれば気負いは全くない。静かに燃える夜。

2008年06月23日

広忠舞台日記 5月27日

南座三響會初日。
朝10:00から場当たり。能の安達原に関しては場所決めのみで申し合わせ一切なし。船弁慶に至っては今日初めて能・歌舞伎チームが揃う。とにかく忙しい役者同士が集うことはなかなかに難儀である。
楽屋でも舞台稽古でも染五郎さんや亀治郎さんが集うと壮観である。亀ちゃんは此度は我々三兄弟に御自身の本をサイン付きで下すった。中をパラパラめくってみると何と我々三兄弟のことも書いてある!! 有り難かったねぇ♪ 皆様、是非とも亀ちゃんの本、購入して頂けましたら幸いに存じます。

会そのものに関して思うのは、結成10年を越えたせいもあり、兄弟同士ではだいぶ落ち着きは出てきたかも知れない。皆三十路を越えたことも幸か不幸か、ペース配分といったものも考えるようになってきたように思える。いいことだと思う。熱い魂は各々保ちつつ、演奏しながら客観的に周り(お客様含む)を見つめるプロデューサー的視点もなければ暑苦しいだけの舞台になってしまう。それではこの10年で何の成長もない。
三響會のコンセプトとして先ずは囃子を中心に、仲立ちとして能らしさ・歌舞伎らしさを全面に押し出していくのが第一儀。それぞれのエッセンスというか面白い部分をレビュー的に惜しげもなく出してゆく。戯曲の流れを無視することなく、そして大事なのはなるべく短く分かりやすく。短く!というのがポイントです。 どうしても当たり前に古典を繋ぎ合わせて披露するだけでは長くなりがちになってしまう。お客の飽きない範囲を見極めるというのが最も重要なポイントとなります。なので能と歌舞伎による石橋なり船弁慶なり出来るだけ上演時間を削っていく作業が必要なのです。

三響會の二日間の感想は明日の舞台後に述べる方が良いでしょう。

ちなみに初日終了後は染五郎さんと飲みに行きました! 憧れの兄貴と飲めたのは嬉しかったす!! とにかく芝居命の方だなと思いました。自分の知名度の為に動いている芸能人とは違い、重みを背負って生きている役者魂のみで存在されてる方です。亀ちゃんや勘太郎くんも然り、同じ意識で舞台に命懸けている仲間は嬉しくもあり、有難い存在です。

2008年08月25日

広忠舞台日記 8月1日

長々途絶えておりました日記を再開致します。忙しさにかまけてすっかりご無沙汰致して大変に申し訳なく存じます。
この日は囃子の会の準備の為に一日空けておきました。
松竹の稽古場にて朝から 獅子・三番叟・羅生門の稽古を行う。家族5人で合わせるのは生まれて初めて!! 明日の本番は如何なることか。
夜は傳左衛門・傳次郎承りのダイナースクラブ主催の歌舞伎囃子コンサートを観に国立能楽堂へ。 囃子の会の前日なのに彼らもよく働くもんだと感心もするし、体も心配する。 市川亀治郎氏がゲスト出演。観に行くだけのつもりが、傳次郎からゲストトークに出ろ!とのお達しを受け、急遽舞台上に引き摺り出されることに… 自分なりの歌舞伎に対する思いを偉そうにも話させて頂いた。
夜はこれまた随分久方振りで3人兄弟で食事に出た。会前日、お互いの胸中の考えをさらけ出し、能楽や歌舞伎更には明日の会への意気込み等各々の意見をぶつけ合う。いい事だと思った。これでやっと一枚岩になれて会に臨める。 会に向けての覚悟を固める儀式のようなものです。

2008年08月26日

広忠舞台日記 8月2日

囃子の会当日。 朝10:30に歌舞伎座着到。観世能楽堂が能楽の殿堂とするならばここ歌舞伎座は歌舞伎の聖地。何度か舞台には立っておりますが、家族で主催の会は初めて。恐らく一囃子方の家族がこの歌舞伎座で会を主催するのは初めてであろう。感激以上に感慨深い気持ちが沸き立つ。尊敬して止まない成駒屋に紀尾井町、祖父傳左衛門らが戦ってきた戦場。

12:00頃より「静と知盛」の音合わせ(囃子チームのみの稽古)と舞台稽古。それから本日の演目の全ての場当たりを行う。 特に観世宗家の「楊貴妃」の場当たりは大変だった! 坂東玉三郎師直々に家元の為に照明・装束を選んで見て下さった。改めて家元と玉三郎師の舞台人同志の絆の深さを見た。共に能楽・歌舞伎を背負ってられる二人。
舞台稽古及び場当たりですっかり疲労が増す。本番一時間前にやっと終了。三響会で弟達から鍛えられているせいか、本番モードへの切り換えはだいぶ馴れたと思う。とは言え広忠の会・三響会・能楽現在形・広忠能楽囃子コンサートで得た経験をもってしても、やはり初番の幕開きは独自の緊張感がある。やはり雇われて打ちに行く身と主催して打つ身とでは重みが違う。とはいえ両親の主催だが三響会の全面サポート、家族全員の為の、そして母親の還暦の祝いの会だという自負もある。何よりも父と母とお二人には気持ち良く舞台を勤めて頂きたいという思いが3人にはある。祈るような気持ちで迎えた初番、藤間勘十郎氏の「三番叟」で幕を開ける。佐太郎頭取(皷のリーダー)の脇鼓に傳左衛門・傳次郎を従え自分の大鼓。三番叟はご存知野村萬斎・小生のコンビで数え切れぬ程売ってる自分にとってのライフワーク的な曲。これは小鼓三調がしっかりと支えてくれないとシテも大鼓もノリがつかない。流石にこの三人の母息子師弟トリオ、息も間もよく揃っている。気合い・音・間・掛け声、これだけ揃っている鼓はちょっと今の能楽界の小鼓にはいない。野村萬斎に見て
もらいたかった囃子の出来栄えだったと思う。藤前勘十郎氏、やはり彼も舞のサラブレッド、DNAがそうさせるのか、肉体の躍動感がこれまた他の舞踊家にはいない存在感。シビアに歌舞伎舞踊日本舞踊を見つめている視点は我々三兄弟と大いに通じている。鈴之段から三味線が入る歌舞伎舞踊形式。ともあれ初番はなんとか無事に終えることが出来た。
囃子の会、全ての演目に触れると膨大な文章になるので、取りあえずは自分の出演した演目のみに触れていきたい。次は中村富十郎師の「静と知盛」。普段三響会でやっている能楽と歌舞伎による船弁慶」とは違い、歌舞伎の船弁慶の短縮バージョンだったので、正直これが一番難易度が高かった。能楽に比べて遥かに曲の緩急が激しいので大変!! 自分にしては珍しく、1ヶ月以上前から毎日稽古を重ねた。出来は自分ではよく分からないので、傳左衛門傳次郎の判断に任せる。能楽では大鼓がリーダーシップを取る楽器だが、歌舞伎では小鼓、場面によっては太鼓が指揮を執る。なのでここは弟さん方に付いていくのに必死だった!!
次に中村吉右衛門師の「羅生門」。子供の頃からの憧れの播磨屋との初共演、嬉しかったし晴れがましかった! やはりかっこいい役者さんですね♪ こちらの羅生門も1ヶ月以上前から稽古を重ねてきた。今度は母親が太鼓。ずっとこの羅生門に関しては母親から「上品な羅生門にしましょう!」と釘を刺され続けてきたので、作為先行の舞台にはせず、あるがままの自然な舞台を心掛けたつもりではある。 ともあれこの2曲、また再挑戦させて頂きたいものである。やり甲斐があったし、苦しかったが楽しかった。考えてみればここまで能楽師大鼓方としては一番も打たせてもらってない! 全部三味線入りの囃子ばかり!? それこそ我が望む方向でもあります。いつかは勧進帳を打つのが夢の一つでもありますから。 また天王寺屋さん・播磨屋さんともご一緒出来たら嬉しいです。

最後に家族5人揃っての素囃子「獅子」。夢の共演って正にこれかも?! 何と親父様との共演はこれが初めてなのです。まさか同じ舞台で打つ機会を得るとは夢にも思わなかった! 同じ親子師弟でもこれだけ路線に距離があると果たして合うのかどうか??という懸念は昨日の5人揃っての稽古で吹き飛ばされました。やはり我々三兄弟の出所はこの両親からであり、稽古を舞台を通じて繋がっているんだなと改めて思う次第でした。 終わった後も皆淡々としておりましたが、傳次郎だけは感極まって涙を流しておりました。この会の成功の為、もしくはこの家族の為に一人気を吐いて奔走していたからでしょう。感謝の念は絶えません! し、改めて家族全員が同じ囃子を通じて繋がっていることの有り難さを思いました。本当に、親の有り難み、手前味噌ではありますが偉大さを思った一日でした。

そして、次は三兄弟だけで歌舞伎座で会が出来るようにならないと! と静かに燃えた日でもありました。

2008年08月27日

広忠舞台日記 8月3日

三響会倶楽部会員様と共に昨日の囃子の会の懇親会を東京會館にて行う。夜舞台なので飲めないのがツライ!! 皆様よくお集まり頂けたと感謝に絶えません!!この倶楽部会員様方に本当に支えられてると感謝致して御座います。 家族5人揃ってのトークはこの場でしか聞けない試みです。

夕方は目黒パーシモンホールにて梅若六郎師匠の羽衣を勤める。 会の翌日の舞台はやはりキツいものがあります。

2008年08月28日

広忠舞台日記 8月4日-7日

8/4(月)・8/5(火)二日間で申し合わせ3ヶ所
8/6(水)能楽現在形の申し合わせ。後ジムへ行き夕方からは国立能楽堂の玄人稽古。

8/7(木)能楽現在形の本番。野村萬斎・茂山千三郎の「朝比奈」の狂言と喜多流狩野了一シテの「邯鄲」。夏場の休み前にもかかわらず満員御礼。 萬斎と千三郎、同世代の好敵手同士、見応えのある一番となった。地謡に野村万作先生に願い舞台が引き締まる。
引き締まると云えば能の後見に父親に願った。地頭に友枝昭世師、囃子チームの後見に亀井忠雄、そして万作先生、現在に生きる能狂言を目指すのであれば、このようなトップの先生方に見て頂きながら答えを出していかなければならない。伝えられたことを承り伝えてゆく、これこそが伝承の世界。

2008年08月29日

広忠舞台日記 8月8日-10日

8/8(金)宝生で素人会の後、夜は箱根神社で薪能「富士山」。シテは桜間右陣。東名自動車道そろそろ渋滞が始まる。
8/9(土)午前中宝生で素人会の後、横須賀芸術劇場にて蝋燭能「葵上」、シテは観世喜正。
8/10(日)宝生で素人会の後、九皐会「井筒」シテは弘田裕一。 連続舞台はこれで一区切り、さすがに安堵からくる疲労が溜まった。

2008年08月30日

広忠舞台日記 8月11日-15日

8/11(月)午前中玄人稽古をし、午後は宝塚を観に行く。花組新トップの真飛聖の東京御披露目公演。
8/12(火)完全に一日休暇。軽井沢にゴルフをしに行く。
8/13(水)玄人稽古日。
8/14(木)素人の稽古日。
8/15(金)申し合わせ二ヶ所掛け持ち。合間に両祖父母の墓参りに行く。

2008年08月31日

広忠舞台日記 8月16日-20日

8/16(土)横浜能楽堂にて櫻間右陣氏シテの「清経 音取」。夜は小学・中学生の頃の仲間10何人で同窓会。久々の仲間は懐かしくもあり、楽しかった! 「亀井」と呼び捨てで呼んで付き合えるガキの頃からの親友達はいいもんです。
8/17(日)能楽座公演、観世榮夫師の追善。囃子「百萬」シテは大槻文蔵。
8/18(月)熱海のMOA美術館にて「小鍛冶」シテは野月聡。
8/19(火)群馬県の素人出稽古 。
8/20(水)国立能楽座にて幸祥光師追善の囃子会。

2008年09月01日

広忠舞台日記 8月21日

昼から夕方近くまで、雑誌「GQ JAPAN」の撮影と取材を自宅で行う。9/24 に発売されるみたいです。 お題目は「和の紳士」、こんな江戸っ子でよろしいのでしょうかね??夕方からは国立能楽堂で玄人稽古。

2008年09月02日

広忠舞台日記 8月22日

午前中松濤の観世能楽堂にて道成寺の申し合わせ。それから国立劇場に行き市川亀治郎氏の会のゲネプロを観せて頂く。本当は明日明後日が本番なのだがこちらも舞台があるので観ることが出来ない!と亀ちゃんに言ったら、そしたらゲネプロを観に来いよ!と直接仰って頂いた。ジャンルは違えど最も認める同世代の舞台人の一人で三響會でも毎度お世話になってる亀ちゃんの会、一盟友としては観に行かざるをえません! 曲は「京鹿子娘道成寺」。ご存知女形の踊りの最高傑作。古風に丁寧に作り上げているのが好感度大。本興行で歌舞伎座で観てみたい! もう一番は「俊寛」、これも是非観たかったが時間の都合で断念(涙)! 娘道成寺が終わって亀ちゃんの楽屋へ行き挨拶をして国立を出る。
それにしても亀治郎の会は凄い!! 全て彼一人でやっているのだから恐れ入る。広忠の会も制作・広告宣伝・交渉・チケットの捌き等全て自分一人でやっていたが、能と歌舞伎では規模が違う。そして演目が娘道成寺と俊寛、全く正反対の路線の演し物である。兼ねる役者・市川亀治郎の面目躍如たるところであろうが全く恐れ入る!今このような演目の兼ね方が出来るのは 勘三郎と亀治郎だけであろう。段々叔父様の奮闘公演に近くなってこられた。間違いなく猿之助の精神と技術は亀治郎氏が引き継いでおられる。猿之助に夢を見させてもらった自分としては嬉しい限り。友人として二日間の大成功を祈る!!
国立を出て歌舞伎座へ。第三部を観る。勘太郎氏の「紅葉狩」、これまたえらい大曲である! 私は能楽を題材にした歌舞伎の演目では勧進帳と紅葉狩が一番成功し佳く出来ている曲構成だと思う。形式的な能懸かりではない、歌舞伎特有の世界観を見事に構築させている。紅葉狩はなんといっても長唄・義太夫・常磐津の3種の音楽を見事に、それこそ紅葉の如く“散りばめて”いるところが大きなポイント。そして囃子は3種の音楽に合わせてよく作調されている。そしてこの上なく囃子方も忙しく仕事をしているのがこの紅葉狩である。大太鼓は「関の扉」や「将門」と並んで屈指の難易度の技術を要する。小・大・太鼓も忙しい。歌舞伎の音楽を総動員させたのがこの紅葉狩。勘太郎氏、よく頑張って演ってらしたと思う! 常に親と比べられながら、その中で自己のアイデンティティを確立してゆき舞台上で自分の生き方を晒す。私と非常に似ていると思うのでとても共感出来る役者です。
次の演目の「野田版 愛陀姫」、中村屋御自身が喜劇的ではなく嫉妬に駆られる女性の役を真面目に演じてらした。中村屋さんの女形というのは非常に素晴らしいのです! 喜劇のイメージの方と思われがちですが、例えば忠臣蔵のお石や寺子屋の千代など、特に義太夫狂言の女房役は他の役者は太刀打ち出来ないほどの“絶品”だと思う。中村屋さんが主人公ではなく七之助氏と橋之助氏にタイトルロールを譲って脇でしっかり締めていた点もとても好ましい。

今日は歌舞伎に影響を受けた一日となった。 亀治郎の勘太郎、同世代の奮闘ぶりに自分の舞台人としての生き方演り方に大いに刺激を受けた! 役者同士の交流は本来こうあるべきであろう。 明日の道成寺に向けて気合いが入る。

2008年09月03日

広忠舞台日記 8月23日

野村四郎の会「道成寺」シテは勿論野村四郎師。囃子の会以降この道成寺に全てを懸けてきたと言ってもいい。何故ならこの道成寺は自分にとって特別な意味がある。シテの四郎師が披かれた時(初演)の大鼓が祖父の俊雄。以降3回程父の忠雄と勤められたと仰る。そして今回が小生、亀井家三代で道成寺をなされた唯一のシテ方という訳だ。三代掛けての道成寺、即ち祖父と父に道成寺という曲を通じて挑むという意味合いを持つ今日の道成寺。祖父・父と共に当たり芸と呼ばれる程評判を取ってきたこの曲だけに三代目としてどれだけプレッシャーがのし掛かるかお分かり頂けるかどうか?!四郎師の最後の道成寺に抜擢して頂けたという名誉と共にその責任の重さを感じながら舞台に臨む。ワキに宝生閑、笛・一噌庸二、小鼓・大倉源次郎、太鼓・観世元伯というメンバー。力だけで押し通すのではない、道成寺という世界観を映し出す方向性で勤めたつもりだが如何だったであろうか?後見には勿論父に願った。道成寺と言えば大鼓は亀井忠雄と呼ばれるくらいの当たり役の中の当たり役。その父の見ている前でプレッシャーと格闘しながら舞台を勤める、こんなに自分の芸
が上がれるかどうかのチャンスは滅多にない。師匠が健在でいてくださることの有り難み。
とにかくこの大人のメンバーの中に入れて頂けての中の舞台、作品を舞台を壊さないように付いくのに必死だった。客席の自分の眼前に祖父後ろに親父を置いて…
こうして何とか 28回目の道成寺を勤めた。だがこの曲、一度たりとも満足に打てたことはない。得るのは反省ばかりとその度に残るほんの僅かな突破口だけである。やはり亀井忠雄の存在は大きすぎる。

そう言えば今日は亀治郎の会の本番、立鼓は傳次郎。兄弟で能と歌舞伎の道成寺を分け合って勤めていた、という訳か。娘道成寺は傳左衛門が得意中の得意とし、玉三郎師と共に作り上げた近世歌舞伎舞踊の傑作と思われる。 まだお互いに話する機会もないが、傳次郎のプレッシャーも如何ばかりか?! と、小生には分かるような気がする。
舞台に慢心と安心はいらない、ほんの僅かな自信と誇りと謙虚だけが必要なのだと思う。

2008年09月04日

広忠舞台日記 8月24・25日

8/24(日)
梅若能楽学院にて中谷明氏の御社中の発表会。囃子を5番打たせて頂く。

8/25(月)
群馬県のお弟子さんの出稽古に伺う。
夜は観世元伯・一噌隆之・柿原弘和・鵜澤洋太郎・観世喜正の諸氏と神楽坂で会食。午前3時過ぎまで飲み明かす。久しぶりに同期達との語らいは時間を忘れさせる。楽しかった! だが飲み過ぎた!

2008年09月05日

広忠舞台日記 8月26日

流石に夕方近く迄ひどい二日酔い。
夜は宝塚東京公演を観に行く。待ちに待ってた初☆星組公演観劇。 初めて安蘭けいさん&遠野あすかさん主演コンビを拝見したのだが、正直どの主演コンビよりも最も安定感があり実力が高いお二方! 歌・芝居・踊り三拍子揃うとはこの事かと思った。男役スターさんの豊富さやキャラクターが楽しめるのは雪組さんだと思うが、組子全てのアンサンブルが揃って行き届いてるのはこの星組さんだと思った。安蘭けいさんの歌の上手いこと!! 市川猿之助師も大絶賛するだけのことはある。作品も佳作だった! とにかくスター・安蘭けいさんのオーラは円熟といった感がある。来月もう一度この作品を観る予定。やはり宝塚は同じ演目でも2~3度観ないと世界観や役者さんの作品に対する向き合い方が見えてこない。

前から4列目というこれまた最高にいい御席に座らせて頂けた。そういえば一列前に真矢みきさんが観てらした。安蘭さんとの視線のやり取りも、流石トップスターさん同士絵になっている!
久々に陶酔させて頂けた夜だった。お客様に夢を与えてくださる芸能はいいものです。だから小生も夢を見たさに宝塚を拝見に行く。そして自分も何がしかのものをお客様にお届け出来れば幸せなことこの上ない。生の舞台の素晴らしさはここにあると思うのです。

2008年09月06日

広忠舞台日記 8月27-29日

8/27(水)朝は茂山逸平君と三番三の稽古を国立で行う。昼はジムへ行き夕方近くから広忠御社中の稽古。
8/28(木)傳左衛門の双子の男の子と女の子のお食べ初め。夕方近くから夜にかけて武田修能館にて稽古能。
8/29(金) ジムへ行き走ってから午後は松濤にて申し合わせ。

2008年09月07日

広忠舞台日記 8月30日

松濤にて観世元信先生・元伯氏の御社中発表会「矢車会」に出勤。関根祥六氏の「葛城」の能と囃子三番を打たせて頂く。元信先生は小生が中学生の頃より太鼓のお稽古をつけて頂いた大恩の師。現在は闘病中だが、この日は元気なお姿を久々に拝見致し嬉しく思った。元信先生ほど玄人素人問わず門を叩いて教えを頂戴した先生はいないと思われる。折り目正しい芸風、格調の高い舞台には自然に頭が下がる思いを毎度受ける。自分も舞台を重ねる度に我が師の恩が身に沁みて思い出される。とにかく先生にはお元気でいらして頂きたい。その先生の喜寿の御祝いに能を打たせて頂けるのはこの上ない名誉! 祖父・俊雄は元信先生のお祖父様に太鼓を師事、元信先生は祖父に師事、そして孫の小生が元信師に師事、元伯氏が父忠雄に師事と、観世太鼓のお家とは長いお付き合いがある。元伯さんと私も兄貴と弟のような間柄でもある。有り難いこれこそ代々のお付き合い。

2008年09月08日

広忠舞台日記 9月8日

只今成田空港に向かっている。今日から6日間、日仏修好150周年記念の催しでパリ公演に出掛ける。茂山逸平君承り企画の催し。場所はコンコルド広場前にある、デザイナーのピエールカルダン氏の所有する劇場にて。曲は三番三。13日に帰国いたしますので、どんな旅であったかは帰国後またご報告申し上げます。
パリは個人旅行も含めて17回目くらいとなります。

※スタッフ追記
こちらはリアルタイムの記事でしたので、先に掲載させていただきました。
8月31日分~9月7日分の広忠舞台日記は、この後順に掲載させていただきますので、
こちらもぜひご覧くださいませ!

広忠舞台日記 8月31日

池袋芸術劇場にて近藤乾之助先生の舞囃子「放下僧」と観世喜之先生の能「恋重荷」を打たせて頂く。小鼓が大倉源次郎先生だったので胸を拝借して思いっきりぶつかっていけた!芸事上で能楽では大鼓と小鼓は夫婦のような関係とされている。大鼓が旦那様で小鼓が奥様の役目。大鼓がリードして間の骨格やペースを作り出し、小鼓がそれを受け止めつつ間に音に彩りを加えていく。僕にとって源次郎先生は17歳上の年上女房という訳。まるで光源氏のような世界だが!? 随分と年下の小僧旦那に対しても先生はどの舞台でも絶対に手を抜かない! しかも受けつつ返しつつの関係が絶妙にいいところに持ってきて下さる。毎度頭が下がるし、自分が一番近い世代で目標とし続けている源次郎先生、何卒お許し願いたく!! これからも食いつき、楯突き続けて参りたいと思います。

2008年09月09日

広忠舞台日記 9月1日

朝から稽古をする。 昼は来年に行われる大事な催しの打ち合わせ。夕方から国立能楽堂にて研修生の稽古。 夜は… 日本武道館にて氷室京介さんのライブを観に行く!! 自分の中の音楽歴は正にBOOWYから始まるといってもいい。小学生で初めて買ったアルバムがレベッカとBOOWY。LAST GIGS も中学の時に行った。車を運転(毎日!?)するときは今でもBOOWYを聴いている。僕と同じ世代で氷室と布袋に影響を受けていない男はいないだろうと思われる。昭和40年代~50年前半に生まれた男達のカリスマ。 このライブは氷室氏のソロ活動20周年記念の全国ツアーの一貫となる。やはり感動しますよね!! 自分のカリスマが目の前で歌ってるんですもの♪ BOOWY時代の曲も数曲有り、大満足に1日を締めくくれました。やはり氷室はカリスマ!! Japanのアーティストで彼に太刀打ち出来る人達は誰もいません!矢沢永吉みたいに50代になっても60代になってもあのスタンスで、“king of rock”でいて頂きたい。

2008年09月10日

広忠舞台日記 9月2日

昼過ぎの打ち合わせに大阪まで行く。これまた来年度の催しなので詳細は報告出来ない。 朝は初めて宝塚大劇場まで足を運んで雪組公演を観に行く。驚いた!!本拠地は一大アドベンチャーランドとなっているのに対して!! でもまぁいつものこと乍ら、よく毎日公演を続けてあれだけの集客を稼ぐと感心致す。
肝心の本拠地での、しかも贔屓にする雪組公演、相変わらず水兄貴がかっこ良すぎであった! 彩吹さんとの芝居もガッツリ組んでおり、宝塚を観るというよりも本物の男同士の芝居。「男達の挽歌」のような香港ノワール的世界観だった。雪組の男役さん達の充実度を考えれば出来る芝居だと思う。なので女性のお客様よりも我々男性陣の方が観てて面白い芝居かも知れない。それだけ男臭さが出せる雪組男役御連中は凄い!! 安蘭けいさんの圧倒的なカリスマに匹敵する。5組全て観させて頂いて思ったのは、やはり雪と星が私としては好みだと思われる。全てを包み込むオーラを持つ安蘭さん、孤高の光(妖気?!)を放つ水さん、当分双方見続けていきたいと思います。 男が参考になる男を演じてらっしゃる女性達、素敵じゃありませんか!?

2008年09月11日

広忠舞台日記 9月3日

群馬県のお弟子さんのお稽古に伺う。夜は日生劇場へ月組公演「グレートギャッツビー」を拝見に伺う。氷室氏から始まり三日間連続で仕事と趣味の両立をはかることが出来た!自分の生きる力となります。成る程、瀬名じゅんさんは男役の魅せ方というのをよくご存知の方!! 座席には霧矢大夢さん方、博多座チームが同じ月組さんの応援に駆けつけてらっしゃいました。周りのお客様達は舞台と客席と両方に熱い視線が!! それにしてもただ一人の女性を数年経っても思い続けるギャッツビーの姿勢、感動しますよ!! 男はああ在りたい。

広忠舞台日記 9月4日

朝申し合わせ、夜は鎌倉の長谷にある御霊神社という所で薪能、シテは桜間右陣氏で「葵上」。歌舞伎の「暫」の主人公・鎌倉権五郎を祭ってある神社らしい。そういえば東京で海老蔵さんの暫を随分観ていない。お家芸というのは面白いもので、その人の持つ芸位を他の家の役者と比べて格段に上げる。無論お客もそれを期待して観に行くからお客様も舞台を作る大事な立役者となる。 久しぶりに最も歌舞伎らしい暫が観てみたくなった!

夜は茂山逸平君と会い、晩ご飯を食べながら来週からのパリ公演の打ち合わせをする。

2008年09月12日

広忠舞台日記 9月5日

朝からパリ行きの為の準備をしたり、買い物に出たり。午後からは東京のお弟子さん達のお稽古。夜21:00過ぎから来年度開催する大事な催しの打ち合わせ。

広忠舞台日記 9月6日

昭門会初番「富士太鼓」シテは田邊哲久氏。 夜は横浜ランドマークタワー内にあるドックヤードガーデンにて薪能「石橋」シテは大親友の一人である山井綱雄。本来は全曲であったがこの所のゲリラ雷雨を危惧して半能にて勤める。薪能は野外で行うのがメイン、いくら雨天会場があっても屋外と内では雰囲気が全く変わってしまうので、せっかく観にいらして頂いたお客様方の為にも何とか外でやる事が出来て良かった!舞台はドックヤードガーデンの階段を駆使しての構造。例の世田谷パブリックシアターの舎利の時のような坂道での舞台、きっと綱雄は命がけだったであろう。 獅子の中で2メートルはある段差から見事に飛んでいた! これは結構凄いことなんです。能の面(おもて)をかけて舞うというのは言わば目隠しして舞っているのと同じ状態ですから!! よく怪我もなく無事で終わったと安堵した。

前倒しで強行に舞台やって正解! やはり夜は大雨だった。

2008年09月13日

広忠舞台日記 9月7日

金沢宝生会別会にて「融 酌之舞」シテは藪俊彦氏。金沢は我が葛野流にとって大切な場所。流儀の一番古い家である飯嶋家の地盤である。現当主の飯嶋六之助氏は父の下で書生を何年か続け、今でも上京して稽古を受けている、自分とは兄弟弟子。 年に一回ずつ、親父と小生を招いて頂き金沢でも舞台を勤めさせて頂いている。流儀の同世代の人間は頼もしいものです。
本日は日帰り、最終便だったが雷雨の影響で50分程遅れての出発。

2008年10月06日

広忠舞台日記 9月8日

パリ公演出発。アムステルダムを経由してパリに20:00頃到着。乗り継ぎ地のアムスで茂山家と合流。 シャルルドゴール空港から迎えのバスに乗りホテルへ。宿はパリ市内のリヨン駅隣のメルキュール。 チェックイン後近くのカフェで結団式を行う。メンバーは茂山逸平を団長に茂山七五三・茂山あきら・茂山正邦・茂山宗彦・茂山茂・茂山童司・井口竜也・藤田貴寛・上田敦史・亀井広忠。 ビールとワインをしたたかに飲んだ。0:30には寝て時差をとる。

2008年10月07日

広忠舞台日記 9月9日

この日は舞台は無しだが、午後は日本大使館へ表敬訪問に伺う。それ以外の時間はパリの好きな場所を訪れてきた。パリは今回で17回目。その内4回はプライベート旅行で訪れている程、世界中で一番好きな場所である。 今日はサンジェルマンデプレ・オデオン・サンミッシェル・シテ島と廻り、グランエピスリードパリで買ったシャンパンをセーヌ河沿いでノートルダム寺院を見上げながら飲む。贅沢なひととき。
夕方近くに大使館を表敬訪問した後シャンゼリゼ通りのカフェで皆でお茶を飲んだが、場所柄かなり高い! コーヒー一杯9ユーロなんだから驚く。滞在してるホテルの近くで4~5ユーロなんだから、やはりパリの中でも値段の上下はあるのだろうか?? シャンゼリゼのルイヴィトン前のカフェだから、そりゃ世界中から金持ちが集まる場所ではあろうが… なんて会話を茂山家の皆さんと話ながら。

夜は団員全員でコンコルド広場近くのビストロで茂山茂の誕生日会を開く。茂33歳の誕生日。 ホテルに戻って宗彦・逸平の部屋で部屋飲み。海外公演の慣例としてこの部屋飲みというのも楽しみの一つ。

2008年10月08日

広忠舞台日記 9月10日

朝10:00に待ち合わせて茂山宗彦氏と買い物に出掛ける。もっちゃんとは8年前くらいに観世榮夫先生団長のパリ公演でご一緒し、その時も毎日二人で街を廻った。その時の思い出話に花を咲かせながらマレ地区やリヴォリ界隈を巡る。自分に似つかわしくない洋服等、もっちゃんに見立てて頂いて購入した。昼の13:00にホテルを出発して公演会場となるエスパース・ピエールカルダンへ向かう。文字通りカルダン氏所有の劇場で、アメリカ大使館の目の前にある。 リハーサルを一通り終えて夜20:00開始の本番まで4時間近くあるので、藤田君を伴いサントノーレからガルニエ界隈を散歩しながらラーメン屋に入り夕食を食べる。それからマドレーヌ近くのパッサージュの中にあるカフェで小休止。2時間前には楽屋へ戻り、舞台の支度。

曲は「三番三」「二人袴」「濯ぎ川」の三番に猿唄の祝言付き。幕間にロビーでレセプションが有り日本酒の振る舞い酒があった。
公演終了後ホテル近くのビストロへ行き打ち上げ。

2008年10月09日

広忠舞台日記 9月11日

朝ゆっくりめに起床し、ブランチを食べにサンシュルピス教会前から裏路地に入ったイタリアンへ行く。多分パリで一番美味いイタリアンかと思われる「サンタルチア」という店。5年前くらいからパリに来たら必ず行く店の一つ。今日で最終日なので好きな左岸を中心にパリの街を徘徊して回る。ギャラリーらファイエットのカフェでばったり藤田君に出会う。
夜の公演終了後、出演者及びスタッフでバスティーユにあるビストロで打ち上げ。思えば4泊毎晩飲みっぱなしであった。これも茂山家らしい! ホテルに戻ってまたまたもっちゃん・逸平ちゃんの部屋で二次会。 団長の逸平君は本当にご苦労様でした! おかげで大変に楽しい海外公演を過ごす事が出来ました。メンバーが大好きな茂山家の皆さんだからストレスもなく、気持良く舞台を勤めることが出来たと感謝致しております。

2008年10月10日

広忠舞台日記 9月12日

朝7:00にホテルを出発しシャルルドゴール空港へ。帰りもアムステルダム経由で成田へ戻るルート。アムステルダムのスキポール空港はとにかく広く飲食も買い物する場所も豊富にある。空港内のカジノで更に打ち上げをする。

関空組と成田組に別れてそれぞれ帰路につく。時差の関係で到着は翌日の朝になる

2008年10月11日

広忠舞台日記 9月13日

朝10:30頃成田に到着。 自宅に昼過ぎに戻る。急いで支度をして横浜能楽堂へ。それから玉川高島屋へ行き、高島屋の屋上で薪能、銕之丞氏の「松風」を打つ。睡魔と格闘しながらの舞台。

2008年10月12日

広忠舞台日記 9月14・15日

9/14(日)
観世九皐会にて「鵺」 シテは古川充氏。

9/15(祝)
国立能楽堂開場二十五周年記念能 「船弁慶 遊女之舞」シテは本田光洋氏。

2008年10月13日

広忠舞台日記 9月16日

9:00より銕仙会稽古能「三井寺」シテは小早川修氏。その後の曲が銕之丞先生の「雷電」で従兄弟の亀井洋祐が勤めたのでこれの監督にあたる。

稽古能終了後13:30開演の東京宝塚大劇場公演「ザ・スカーレット・ピンパーネル」を観に行く。二度目! やはり宝塚は二回観に行かないと面白さが分からないと思う。私の隣の席のご婦人に話しかけて頂き色々と宝塚のお話を伺えた。「私は春日野八千代さんがトップの頃からなので、も50~60年宝塚を見続けておりますのよ♪」と仰られてました!! まだ一年にも満たない小生としては頭が下がる思いである。そのご婦人はこの「スカーレット~」を計6回ご覧になられると仰るので、宝塚ファンの凄さを改めて思い知った。まだあと三ヶ月残っているが、今年一番の演目はやはりこの「スカーレット・ピンパーネル」かと小生も思います。やはり安蘭けいさんは抜きん出てらっしゃる!トップとしての実力に裏打ちされた余裕と懐の深さ、組み子さん達に対する温かさを感じます。こういったのを「スケールの大きさ」と言うのでしょう。 素晴らしい作品と共に演者様方に巡り会え大満足の星組公演に酔いしれました。

2008年10月14日

広忠舞台日記 9月17・18日

9/17(水)
桐生のお弟子さんの出稽古に伺う。

9/18(木)
朝国立能楽堂に行き、親父と友枝昭世先生の「三輪 神遊」の申し合わせを拝見に伺う。洋祐の稽古をつけ自宅に戻る。本来ならば午後から東京のお弟子さんの稽古だったが、台風の進路が心配な為に稽古を取り止めて夜に博多に急遽入る。

2008年10月15日

広忠舞台日記 9月19・20日

9/19(金)
午前中ゆっくりと寝て、観世元伯 氏と昼御飯を食べに中洲へ出る。夕方から博多の大濠公園能楽堂にて申し合わせ。夜は観世家元の主催の夕食。河豚をご馳走に預かった。有り難かった!

9/20(土)
福岡観世会、「俊寛」シテ今村嘉伸氏 「葛城 大和舞」シテ 観世芳伸氏。

2008年10月16日

広忠舞台日記 9月22日

野村萬斎氏の舞台にて11:00より申し合わせ。 13:30より松濤にて岡久広氏の道成寺の下申し合わせ。 17:000より和久荘太郎氏の御社中会の申し合わせに参る。申し合わせ(リハーサル)三ヶ所掛け持ちはある意味本番よりキツイ!

2008年10月17日

広忠舞台日記 9月23日

矢来能楽堂にて和久荘太郎氏御社中会。和久君とは芸大同級生の大親友の間柄。名古屋から出てらして宝生宗家の内弟子に入り、気を吐いて精進し続ける和久君は本当に立派だと思う。

2008年10月18日

広忠舞台日記 9月24日

親父の「清経」の後見を勤め、夜は野村萬斎氏の会「ござる乃座」にて素囃子と歌仙の狂言のアシライを勤める。

2008年10月19日

広忠舞台日記 9月25・26日

9/25(木)
喜多流青年能の申し合わせをしてから耳鼻咽喉科へ行き喉の調子を診て頂く。 夜はござる乃座二日目に出勤。

9/26(金)
木月先生の御社中会の申し合わせ。夜は代々木果迢会「三井寺」を打つ。

2008年10月20日

広忠舞台日記 9月27日

喜多流青年能「枕慈童」シテは塩津圭介氏。次に谷本健吾氏の玄人会旗揚げ公演・煌の会「葵上」シテは谷本健吾氏。谷本君とも芸大の一期違い。銕仙会入りを勧めたのも小生だし、やはり舎弟のような思いが彼にはある。 「立派になられて!!」なんておこがまし過ぎるが、御自身の努力でお客様・演者を集めての会を一人でされるようになられるご苦労はよく分かるからこそ「大したもんだ!」と思う。

2008年10月21日

広忠舞台日記 9月28-30日

9/28(日)
ござる乃座三日目を国立で勤めた後松濤へ行き木月先生の御社中会にて舞囃子6番を打たせて頂く。

9/29(月)
先週から患っていた風邪が本格的に悪化し病院へ行き点滴を打って頂く。夜は茂山千作先生の文化勲章受賞のお祝いの会で、サントリーホールにて茂山逸平氏の「三番三」と茂山七五三氏の「髭櫓」を勤める。

9/30(火)
療養の為昼過ぎまで寝る。夕方から国立能楽堂の養成研修所にて若手の稽古。

2008年10月22日

広忠舞台日記 10月1日

朝9:00に家を出て長野県の駒ヶ根氏へ車を走らせる。駒ヶ根文化会館にて浅見真州氏主催の会。昼は地元の学生を対象にした学生能で浅見慈一氏の「羽衣」。夜は本公演で浅見真州氏の「砧」を打つ。運転し夜中に帰宅。

2008年10月23日

広忠舞台日記 10月2日

朝国立にて梅若万三郎氏の「木賎」の申し合わせ。昼過ぎから自分の稽古をしてから浅草にある宮本卯之助商店へ行き大鼓の革を購入しに行く。 もうだいぶ風邪が治ったので夜はマラソンで皇居一周。

2008年10月24日

広忠舞台日記 10月3日

観世会別会の申し合わせ「道成寺」。夕方から国立能楽堂の養成研修所にて若手の稽古。夜は梅若能楽学院へ行き川口晃平君及び書生さん達の稽古をつける。終了後川口君を伴い遅い夕食。

2008年10月25日

広忠舞台日記 10月4日

梅若橘香会にて大曲「木賎」(シテ梅若万三郎氏)を勤める。老男物の大役で老女物に匹敵する格式を持つ大曲。このような曲を与え許して頂けた万三郎先生に感謝!!
老女(男)物は我々能楽師にとって道を極められるかどうかの判断の基準を促す道しるべとなる曲趣。自分はいさ知らず、笛は一噌仙幸氏に小鼓・幸清次郎氏、大先生方に囲まれての晴れがましくも有り、緊張しつつもありの大舞台!!!
とにかくこのような小僧に大役を与えてくだすって、本当に有り難かった。

2008年10月26日

広忠舞台日記 10月5日

観世会別会にて「道成寺」シテは岡久広氏。小生にとって29回目の道成寺となる。
観世会別会の真ん中は「江口 干之掛」シテは木月先生で大鼓は亀井忠雄。別会で親子で御役を頂戴致す名誉!! 父の江口の後見を勤めた後に道成寺を打たせて頂く。 江口の干之掛の小書附き。笛は藤田六郎兵衛氏・小鼓に観世新九郎氏、手揃いによる序之舞は聞き応えがあった! 親父が昭和16年、藤田氏が昭和28年、新九郎氏が昭和40年、巳年による響演。上手いこと世代が別れての舞台はなかなかバランスが取れてて佳い舞台に仕上がる傾向が多いのです。世代が別れてるからこそ生まれる舞台上の緊張感。 やはり六郎兵衛さんは私は現在の笛方の中で最高の笛を吹かれる方だと思います。決して情感に流されることなく、舞台上の空気を受け止めた上での超絶技巧。謡を受け止め、大小鼓を咀嚼した上での御自身の笛、こんな笛方はなかなかいらっしゃいません!

さて道成寺。今日は格闘しながらの道成寺で終わったような感じでした。女性の強い情念を表すのであらば、情念を力で示すのが我々世代の演り方。しかも「獅子」のような動物的本能でもって訴えかけるのではなく、あくまで女性の執心として。ここの所が難しいのです。それには根本的な「力」がないと!準えただけの表面的技巧は安っぽいものなのです。

29回道成寺を経験したからこそ言えるのは、やはり亀井忠雄の道成寺には足元にも及ばないということです。だからこそ追求する価値のある曲だと言えるのでしょう。

2008年10月27日

広忠舞台日記 10月6日

朝から松濤にて申し合わせ、午後は東京のお弟子さんの稽古。昨日の道成寺で力を使い果たしたせいか終日体がつらい。

2008年10月28日

広忠舞台日記 10月7日

宝生流宗家継承能。宝生和英新宗家の「翁」で父が大鼓を勤め、その後見に参る。宗家継承能はその御流儀の一大事、宝生流総力を上げられての大きな催しであった。
千歳・武田孝史、笛・一噌庸二、小鼓・幸清次郎、大鼓・亀井忠雄、三番三・山本東次郎という最高位の格式を持つメンバーを従えての和英家元の翁大夫振り、大変に立派であられた!亀井忠雄の揉み出し、見事の一言!切れがあり柔らかく軽やかで力強い。自分が憧れ続ける亀井家のお家芸を久々に聞かせて頂いた。

和英家元のお父様、先代宗家の宝生英照先生には幼少の頃より大変にお世話になった!和英氏の千歳・鷺・烏帽子折の時には必ず小生に御役を与えて頂き、こちらが18歳の頃より毎年宝生会で英照先生のシテでの舞台を勤めさせて頂いた。祖父の亀井俊雄は明治の宝生九郎氏の直弟子、御当代を入れ5代に渡るお付き合いがあることになる。和英宗家とは生きている限り、本当に長いお付き合いになることかと思われる。
翁の後、ジムへ行き一時間ばかり走り、夜は日比谷シティ特設広場にて薪能「恋重荷」を梅若六郎先生のシテにて勤める。
夜は野村萬斎氏からお誘いを頂き、観世元伯氏や宝生流の辰巳満次郎氏らと神楽坂で飲む。

2008年10月29日

広忠舞台日記 10月8日

午前中喉の調子を診て頂きに通院。昼は国立にて翁の申し合わせ。夜は日比谷シティ薪能二日目、香川靖嗣氏の「殺生石 女体」を勤める。残念ながら天候が怪しかった為、雨天会場である日比谷公会堂にて行う。薪能はやはりその雰囲気が大事な舞台演出効果を生む為、中(雨天会場)で演るのは演者にとってもお客様にとっても非常に残念なことなんです。

2009年01月17日

亀井広忠でございます。

blog復活とさせて頂きます。

皆様大変に遅ればせながら新年誠におめでとうございます! 昨年は南座・歌舞伎座・ダイナース公演・神戸オリエンタル劇場・増上寺・パブリックシアターと、皆々様の変わらぬ三響会に対するご愛眼の賜物と感謝申しあげます。昨年は南座公演では観世宗家と分家に特別にご出演願えました事。歌舞伎座公演は両親の会では御座いましたが一番も能楽そのものには出させてもらえず、その代わりに勘十郎・富十郎・吉右衛門といった歌舞伎界の大御所達と共演させて頂けた事。神戸オリエンタル劇場では普段全くご一緒させて頂くことのない宝塚出身の役者様方の舞台に触れさせて頂けた事。そして増上寺公演の「珠響」、これは私にとって昨年歌舞伎座と並ぶ最も大きな出会いでした。我々囃子方というのは「謡・囃子・舞」の三位一体で成り立つ芸能という言葉を信じて、役者を動かす・謡わせる演奏をするのが本分なのです。それが囃子のみの演奏であの強烈な他の4組の演奏家達と対峙していく音楽コンサート形式の三響会、面白かったし改めて自分達の古典の技術を磨かねば対決出来ないと思いました。珠響5組のメンバーはアラフォーならぬアラサー、浅草
歌舞伎同様やっと自分達本来の世代だけで組めると実感しました。

今年の2月は我々アラサーにとっての先達と申しましょうか、道を切り開いてきてくれたお兄さん二人、野村萬斎氏と一噌幸弘氏にゲストとしてこの珠響に華を添えて頂きます。田中傳次郎を中心に集まったこのグループ、まだ浅はかなセッションはするつもりはなく当分は各々の技芸や生きている世界観をぶつけ合う活動にしていけたらと思っております。 但し代表は傳次郎氏なので、彼の意図を組んでの珠響にしていくつもりでおります。本年も三響会及び三兄弟の能歌舞伎の舞台を愛して頂きたく何卒宜しくお願い申しあげます!

亀井広忠 拝

2009年01月20日

広忠舞台日記 1月1日

元日というよりも大晦日から参ります。
歌舞伎の方は暮は翌正月公演の稽古で忙しくされておりますが、能楽界の方はさほど詰まっている訳ではありません。30日は2月にあります「朝長・懴法」の下申し合わせがありました。31日は両祖父の墓参りをし(一年の報告をしに)、家族揃って年最後の夕飯を共にした後一旦仮眠しました。仮眠の訳は夜中にある奉納舞台の為です。12/31 23:30頃家を出発し靖国神社へ。 1/1 の1:00、拝 殿にて梅若六郎家による「弓矢立合」の舞台を勤めました。舞台後神殿へ参りお祓いを受けて終了。帰宅は2:00を回り、明日というか今日の舞台の支度をして風呂に入り3:30頃また仮眠。6:30頃起きて9:00の飛行機で大阪へ飛ぶ。 大阪のセクター88という会社の催しで茂山狂言会による「天空狂言」に出演、13:00開始の茂山千之丞先生の「三番三」を大阪能楽会館にて打たせて頂く。千之丞先生は御年80代半ば、もうそろそろ三番三のギネスに申請されてもよろしいのでは?? とかく先生のお元気で立派な三番三で新年を
迎えるのは大変に有り難く、身が引き締まる思いを致します。夜の部の室町歌謡組曲の囃子を打って最終便で東京に戻る。22:00過ぎに帰宅し両親に新年の挨拶、これが私のここ数年のお正月の迎え方です。

2009年01月21日

広忠舞台日記 1月2日

恒例のセルリアンタワー能楽堂での正月コンサート。 本日も三番叟でした。 以前にも触れさせて頂きましたが、目標は中村屋の鏡獅子。三番叟こそ亀井家のお家芸であり、亀井広忠のライフワークとしていきたいです。自身の自信と誇り、そして曲へ師匠(父)への尊敬を忘れずに。まだまだ親父や爺さんの鋭い切れ味の三番叟には勝てないですからね!

2009年01月22日

広忠舞台日記 1月3日

本日やっと休暇。しかしながら正月らしさを今年は少し違った形で味わうべく、母親の運転手を志願する。歌舞伎座・新橋演舞場・浅草公会堂と初日廻り。待機中に歌舞伎座の角のPRONTOで朝ご飯を食べながら朝の銀座の街を見るのもいい。 演舞場では海老さま目当ての若いお客様で賑わっていた。浅草は車が通れず停められず田原町までパーキングを探しに行った。 浅草は中に入り田中社中の面々と新年の挨拶をさせて頂いた。傳次郎の案内で役者さんの部屋へ。勘太郎・七之助兄弟は出番で舞台へ、亀治郎氏は出番の拵え中にお目に掛かれた。昨日正に亀ちゃんの秀吉をテレビで見たばっかりだったのでその事を伝えたら、「寧々 おんな太閤記」のPRラベルが貼ってある日本酒を彼から頂戴致した。友達とは有り難い! お年玉をもらったような気分になった♪

夜は藤間勘十郎氏と我々共通の友人がパリから帰国中で、三人で銀座で新年会をやった。

2009年01月23日

広忠舞台日記 1月4日

観世会初会「熊野」を勤める。シテは岡久広氏。 東京の観世会の初会は能楽会で一番権威のある催しかも知れない。観世清和宗家のもとに観世銕之丞・梅若玄祥(六郎改め)・片山九郎右衛門・観世喜之・梅若万三郎を始め家元直門が集結する会だからだ。その中で真ん中の曲は重みが違う。無事に勤め仰せたが打った本人だから言えるのは、やはり観世会初会の真ん中は亀井忠雄師か安福建雄師が打たれた方が重みが出ると思われます。名誉ではありますが、若手や中堅ではなく大鼓は両巨頭が来られた方が会の格が違うと思います。 まだまだ高みがあるから、役者もお客様もそれをよくご存知だからこそやり甲斐のある芸の道なのです。

2009年01月24日

広忠舞台日記 1月5日

ジムに行き10km近く走る。 夕方は銕仙会の謡初め、当主銕之丞先生の「老松」の囃子を打たせて頂く。宗家及び各お家にはこのように「謡初」と言って新年を寿ぎ一年の舞台に臨むという風習が伝わっている。各家によって異なるが銕之丞家は老松・東北・高砂の三番となっている。私が幼少の頃の銕仙会の謡初は先代銕之丞先生が老松、榮夫先生が東北、毎年交代で銕仙会一門の誰かが高砂、といった順序だった。今年の東北は野村四郎氏、大鼓は父だった。
謡初の儀が終わって新年会、青山(銕仙会)で修行していた自分にとって家族集合みたいなものだが、やはり恩師先代銕之丞・そして榮夫両師が居られない新年会は何処と無く寂しさも感じる。しかし我が師の報恩の為にはそんな事は言ってはいられない。現銕之丞師と共に子息・淳夫君を盛り立てこれからの銕仙会を囃子方の立場ではありますが築いていきたいと思う。

2009年01月26日

広忠舞台日記 1月6日

佳広会(亀井広忠社中)打ち初め及び新年会を神楽坂で行う。今年は7/1に宝生能楽堂にて佳名会(亀井忠雄社中)佳広会合同発表会があるので、御社中にはより一層の稽古の充実が求められます。皆様には頑張って頂きたいと思います。

夜遅くから観世喜正氏・一噌隆之氏・山本則孝氏と合流して新宿で新年会。

2009年02月05日

広忠舞台日記 1月12日

梅若研能会にて「翁 父之尉延命冠者」を勤める。 父之尉の小書での翁は初めて。やはり一月の翁は能楽師にとって身の引き締まる特別な行事の一つ。

2009年02月06日

広忠舞台日記 1月17日

観世喜正氏主催の能公演「のうのう能」にて氏の「 安宅 延年之舞」を打つ。延年之舞は宝生流程死力を尽くしてという訳ではないが、それでも命懸けのギリギリのところまで追い詰めないと出来ない曲。 命を延ばす舞と書くが、我々演者にとっては寿命を縮める曲((汗)
終演後19:00頃の飛行機で福岡へ飛ぶ。

2009年02月07日

広忠舞台日記 1月18日

福岡大濠公園能楽堂にて宝生宗家継承能。武田孝史氏の「望月」を打つ。昨日の延年のダメージが身体に残ってはいるが、舞台人はそんな事は言い訳にならない。 望月は後半一気に囃子主体の場面が多くなるのだが、半ば頃迄は立ち方の劇進行が主体となる為結構待ち時間が多い。意外と思われるが、この待ち時間が結構精神的に辛く、囃子方や地謡の座っている姿こそが与える緊迫感といったものが重要になってくる。ただ座っているだけではない。座ってい乍ら気力を発して立ち方にエネルギーを与えていくのである。



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