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広忠舞台日記 アーカイブ

2007年10月09日

広忠舞台日記 9月9日

9月9日(日)

この日は大阪にて大槻文蔵先生の会。屋島の「大事」という小書(特殊演出)付き。
この「大事」、特に大鼓と小鼓にとっては複雑な手組み(=作調)のオンパレードで、後シテ(源義経の幽霊)の登場の音楽である「一声(イッセイ)」の替(カエ)ノ手組である「軍陣流シ(グンジンナガシ)」。シテが弓を落とす「弓流(ユミナガシ)」。海上に落とした弓を取りに行く「素働(シテハタラキ)」と、見せ場・聴かせ場がうまく入り組んでいる演出となっております。
屋島は勝修羅物と呼ばれる武将の勇ましさを強調した曲趣となっておりますが、私は修羅は悲劇であると思われます。死んでも尚戦い続けざるをえない修羅道の苦しみ。義経も梶原源太も頼朝も、皆悲劇的な最期を迎えています。
私が屋島で好きな場所は初同(ショドウ)(=地謡(ジウタイ)による一団の一番最初の合唱パート)之中の「旅人の故郷(フルサト)も。都と聞けば懐かしや。我らも元はとて。やがて涙にむせびけり」の部分。世阿弥が都にいるときの絶頂期に比べ、晩年の不遇な身の上を思うにつけ涙がこぼれる。という、まさに彼自身の境遇を曲に重ねている部分です。同じような方法を「鵺(ヌエ)」や「野守(ノモリ)」などの曲にも使っていますね。
この日の間(アイ)狂言には盟友の野村萬斎氏。
那須語(ナスガタリ)と呼ばれる、これも間狂言屈指の難易度の高い小書です。語りのメリハリがよくきいていて、自分も「お前に負けないぞ!後半は俺に任せとけ!」みたいな(笑)、曲の後半部分に向けて大いに奮い立たせられました。
それにしてもご自身の大切な発表の場であられる会にご指名頂いて「大事」なんて大変な曲を打たせて頂けた大槻文蔵先生に感謝いたしております。
大槻先生のすごいところは、その身体表現のバリエーションの豊富さ、曲に合わせた面装束の選定のセンスの良さがいつも伝わってまいります。
この日の先生の屋島はまさに悲劇の武将・義経でした!

2007年10月12日

広忠舞台日記 9月10日

朝、9:30より申し合わせ(リハーサル)をやってから、東池袋に新しい芸術劇場がオープン、こけら落としに名誉区民であられる野村萬先生の三番叟を打たせて頂いた。御年78歳にもなられるのに、益々お元気な萬先生の三番叟。この三番叟についてはかなりの思い入れ有り、後々思いを書かせて頂き度く!
夜は弟の傳次郎と久々に食事を共に。我々兄弟の共通の親友である、京都の「Bar Le peu」のオーナーである武田誠氏と、やはり京都の老舗の手拭い屋「永楽屋」の十四代目・細辻伊兵衛氏を交えての食事となった。友人たちとの楽しいひととき。

2007年10月13日

広忠舞台日記 9月11日

9:00より銕仙会の稽古能で野宮を打つ。シテは清水寛二氏。この銕仙会の稽古能は長い伝統がある。古くは私の祖父からの時代にさかのぼり、父(師匠)もこの稽古能にて観世寿夫師に鍛えられ、芸を磨いていった。私は小学生の頃からこの稽古能を見学に行き、その稽古のすさまじさ・厳しさを肌で感じ取る事が出来た。玄人同士が集まり、稽古を共に積む事によって曲に対する意識を共有していく。観世寿夫というカリスマを中心に銕仙会に所属するシテ方のみならず、我々三役(囃子方・ワキ方・狂言方)も交えての能そのものの意識と技芸の鍛錬の「場」。しかしシテ一人主義ではなく、三役の主張主張も取り入れた総合芸術としての能を追求する銕仙会の気風。自分は三歳の時に先代の観世銕之丞先生に入門。清水寛二さん・西村高夫さんは同じ年に銕仙会に入られた。年は離れてますが”同期の桜”です!
ちなみに銕仙会稽古能で初めて打たせて頂いたのは中3のときで、曲は確か「忠度」だったかと思いだされます。
夜は坂井同門会にて「芦刈」を打つ。シテは酒井音隆氏。

2007年10月14日

広忠舞台日記 9月12日

10:00より宝生能楽堂にて、鵜澤久氏の「江口 干之掛」の申し合わせ。夕方より国立能楽堂と青山(銕仙会)にて若手の玄人の子達を稽古(指導)する。

広忠舞台日記 9月13日

新百合ヶ丘に新しくできた神社にて櫻間右陣氏の「鞍馬天狗」を打つ。

広忠舞台日記 9月14日

梅若能楽学院にて「善知鳥」の申し合わせの後、14:20の飛行機にて博多へ。申し合わせ終了が13:15だったので羽田空港への移動(車を運転)はかなり厳しく、出発ギリギリ。朝・昼食をとる間もなく17:00から博多の大濠公園能楽堂にて申し合わせ。曲も「通小町」に「遊行柳」で空腹時にはかなりキツイものがあった(泣)
夜は観世清和家元に御馳走に預かった。自分のような若手にまで気を配れるところが家元の素晴らしいところであり、皆彼に付いていくのだろう。一日が報われた気がした。

2007年10月15日

広忠舞台日記 9月15日

福岡観世会にて「通小町」(シテ武田志房氏)と「遊行柳」(シテ坂口信男氏)を打つ。この2曲は今の自分の年齢や芸位を思うにつけ、手が届かない訳ではないが似つかわしくない曲。特に遊行柳などは藤田大五郎先生や師匠(親父)級の先生方が務められて成り立つ。老翁物と呼ばれる老女物に続く能役者が最後のほうに目標とする曲趣。「手が届かない訳ではない」と言ったのは技術的な面、息遣いや声色・間・音色などをそれらしく見せる・聴かせる、ある程度の技術の工夫はできても、それはあくまでも物真似であって、世阿弥の言う「木造の物真似」とは程遠いものである。私は立ち方(シテ)のみならず、地謡や囃子方、舞台上に上がっているすべての存在は「役者」と呼ぶのが相応しいと思っている。役者が役者として生きられるのは所詮舞台の上だけである。真摯に稽古と舞台を積み重ねて生きていけば、なんとか遊行や姨捨といった曲を「それらしく」見えるのではないか?自分の役者としての将来に対する甘い期待!
けれども信ずるところはそれしかない!役者というのはそういうもんでいいんじゃないっすかねぇ!?

2007年10月16日

広忠舞台日記 9月16日

梅若会で「善知鳥」(シテ松山隆雄氏)を打つ。地頭は梅若六郎師で小鼓は観世新九郎氏。真摯な舞台姿勢と言えば私は新九郎氏の鼓は高く評価できます。地頭の六郎先生、喜多流の友枝昭世先生と並んで、間違いなく能楽界NO.1の役者でしょう!
僕には師と呼べる人が4人います。両親・先代八世観世銕之丞先生・そして梅若六郎先生の四方です。
両親には囃子方としての基礎技術と生き方を、銕之丞先生には能の謡と型(舞)と演劇としての能の存在のあり方を、そして六郎先生には能の面白さや楽しさ・明るさと言った能の可能性といったものを教わってきました。銕先生も六郎先生も私が高校生の頃から早々と抜擢していただき、次々に大曲を与えて下さり鍛え上げて下すった!自分の能楽師人生に欠かせない大恩人の先生二人です。難しさに厳しさに楽しさ、技術、全てを叩き込んで頂きました。
自分の舞台の基本理念・構築の仕方はこの4人の師匠の教えが土台です。
さてこの日の六郎師匠、抜群に"面白い"地謡を謡われてらっしゃいました。舞台では苦しんでばかりの自分が久々に"楽しい~♪"って終始思い乍ら打てた。全ては先生の吸引力です。また申し合わせと全然位取り(ペース)も息の詰め方も緊張感がガラリと変わっていた。このような舞台にはなかなか出会えません。実は能を動かすのはシテよりも、地謡のリーダーである地頭と囃子方のリーダーである大鼓の二人のコンサートマスターが、曲のタクトを振っているのが能の劇進行になるのです。もちろん、主役のシテという直接言葉で指示しない指揮者の意向を受けて!
梅若会の善知鳥の後は、車で急いで玉川高島屋へ向かう。当然自分の運転!移動及びスタンバイ含め1時間しかない!!だがなんとか間に合った。一息つく暇もなく、玉川高島屋の屋上で、現・銕之丞先生の薪能で「融」。新九郎氏もご一緒。やはり掛け持ちはキツイ(泣)

2007年10月23日

広忠舞台日記 9月18日

朝、矢来能楽堂にて観世喜正氏の道成寺の申し合わせ。
昼はジムにて10km程走る。
夜は宝生能楽堂にて一噌幸弘氏の笛の会。父君・一噌幸政先生追善の会。幸政先生には中学三年の時から20歳迄笛を教わり、最後は宝生の延年や、姨捨といった奥伝の曲まで教えて頂いた。笛を打楽器として吹く、宇宙空間を廻るが如く音が周り続ける師の笛、今でも鮮明に耳に残っております。笛を吹く楽しさを教えて頂いた恩師へのおたむけの会。タイトルは幸政先生追善、”一噌幸弘笛づくし”だが、僕の印象では”幸弘吹きまくり"であった(笑)その方が幸ちゃんらしいよね!?
何せ初番から、「三番叟」。立方に野村萬斎氏、笛はもちろん幸ちゃん、大鼓は小生、丁度我々3人のユニット"能楽現在形"のメンバーによるオープニングとなった。ユキちゃんとプロデューサー土屋恵一郎氏によるイキな計らい。
ここで「三番叟」についてふれておきたい。
思いは語りつくせず、文章にしたら数ページかかってしまうのでなるべく簡潔に、単純に言ってしまうと、この三番叟という曲が私にとって一番大切な、大好きな曲の頂点に有る。祖父・俊雄、父・忠雄が最も得意とし、多大な評価を受けてきた、言わば「お家芸」のようなものであると思う。
明治の頃まで、三番叟は「狂言アシライ」の一部のように扱われ、型も手組みもほとんど整理されてこなかった。能であれば完璧な処理が施されていたであろうに。当時は、こんなことを言って大変に申し訳ない事だが、役者内も観客も狂言は能の添え物のような見方をしていたと聞く。だから、囃子の作調もさほど気合を入れて作っていなかった。
その三番叟を祖父の俊雄が自分の当たり役ということもあり、今一度見直してみようと、大親友である野村万蔵氏(萬歳さんの祖父)と相談の上、型と手組の整理を完璧に行った。なので野村家と亀井家の三番叟は最もお互いに具合の良い、所作と掛け声とリズムがぴったりはまる組み合わせになっているのである。世間にあまり知られていない事実。万蔵先生とじいさまの三番叟は見る由もないが、父親と万之丞時代の現・萬先生、万作先生の三番叟は随分と見てきた。自分が幼稚園の頃からである。
笛は藤田大五郎先生、小鼓頭取は鵜澤寿先生に北村治先生の超人的なスケール、そして親父の「揉み出し」の天性のリズム感に、掛け声の鋭さにシビレっ放しだった!!!
この「揉み出し」(三番叟の始めに打つ手組み)こそが、亀井家のお家芸であり、命そのもの。大鼓方の芸術性が一番問われる楽器。僕は道成寺以上に早くこの三番叟が打ちたくて打ちたくて仕方がなかった!好きが高じて小学校二年のときには型と手組と笛を全て覚えた。立方は何といっても万之丞先生に万作先生。萬先生の豊かで大きいスケール抜群な三番叟、万作先生の完璧な身体技術から来る、鋭利な刃物のような三番叟。両先生ともタイプは違われますが、一番大事な「躍動感」という意味では共通してらっしゃるかと思われます。
それに大倉流に比べて和泉流は「揉之段(モミノダン)」の中の立方の掛け声が多いので、こちらの囃子の掛け声との連帯感と相乗効果が生まれてきます。
お互いに苦しいけど負けるか!お前も頑張れ!俺も頑張るぞ!!みたいな感情になってきます。僕だけかもしれないけど…。
祖父達、父親達、そして萬斎氏と自分の孫世代、伝承とは伝え、承れてゆくものでしょう。但し、その時代での構築の仕方があるのでしょうね!能役者も時代によって芸が変革してゆくのと同様、お客様の好みも変わってくるのと同様、父親達の30~40代の頃のあの燃えたぎった三番叟に限らずどの曲でもやっていきたい、自然に角が取れてくれれば、自然に贅肉がとれた芸に変革していければいいと思う。

この日の三番叟、現在系のメンバーに加え、小鼓に曽和尚靖氏と成田達志氏を迎えての舞台。気合も体力も有り余っている面々、バトルロイヤルの如き全員乱れ飛んでの殴り合い・どつき合いの試合のような舞台であった!誰が最初に倒れるか最後迄残っているか…。大人の仲間入りのような舞台も有り難い!でこのような”ガチンコ勝負”の舞台は、三響會以外ではお目に掛かった事がないので、正直嬉しかった!!
幸いに全員倒れることなく終曲。
今年は随分萬斎さんと三番(僕ら玄人ではこう呼ぶことが多い)を演った!僕は明日のミッドタウンの三番で、今年合計19回打ったことになる。今年は多かった。彼とはそのうち8~9回はご一緒させて頂いたであろうか!?やはりお互いに一番呼吸が合うし、承がれた芸が共通意識として自然に肉体から出るというのがいいのでしょうね!バッテリーのようなもの。萬斎の舞(投手)に広忠の大鼓(保守)、そう呼ばれる時代を築いて行けたら嬉しいです。万作先生も父もまだまだ至芸を見せ続けて頂けてる。親の30代~70代の芸の移り変わりをしっかりと自分の目に焼き付けて、やがて自分もその年輪を自己の考えと共に追ってゆく。親世代と比べられる辛さはありますが、見所でご覧頂いている以上に我々二世はその重みを知っている訳なんですよ。誰よりも。
止メの曲は「融 十三段」。銕之丞先生のシテに一噌幸弘・成田達志・亀井忠雄・金春惣右衛門の面々。ある意味、三番よりも体力的に大変な曲。マラソンしているようなものなのです。これまた「凄まじい」十三段。80歳過ぎの金春先生と70歳近くの父親、二人の人間国宝の、ユキちゃん・タッちゃんという技術・体力が最も勢いの盛んな中堅2人に対する意地とプライドがさく裂していた。ダテに国宝の看板背負ってません!このように世代をちりばめた配役はいいものなんです。同世代というところに安心しない。絶えず舞台に緊張感を保たせられ、いい舞台に出会えた日は幸福感で満たされます。
幸政先生も喜んでくださっていることでしょう。いつまでもユキちゃんを見守ってくださって欲しいものです。

2007年10月31日

広忠舞台日記 9月19日

東京の新名所、東京ミッドタウン内の庭園でミッドタウン初の薪能。曲目は昨日と同じく三番三(サンバソウ)。
大倉流狂言では「叟」の表記ではなく「三」になる。シテは茂山正邦氏。囃子方は昨日と全く同じメンバー。正邦さんは京都茂山家の次期当主。私は東京で彼は京都だが、十代前半からの付き合いになる、年も近い親友の一人。茂山家の方々とも三番は多くさせて頂いているが彼とは初めて。昨日の萬斎氏の鋭く華麗な三番と180度方向転換させた剛直で力強い三番。野外での三番はなかなかに心地よかった。

2007年11月01日

広忠舞台日記 9月20日

申し合わせを2件回ってからミッドタウン薪能二日目。
一噌幸弘氏・大倉源次郎先生・金春国和氏と自分で素囃子メドレーの初番。薪能で素囃子20分は初の試み。止〆に銕之丞先生の「葵上古式」の能。

2007年11月02日

広忠舞台日記 9月21日

午前中に申し合わせをしてからジムで走り、夜は取材。
丁度今発売されている「Esquire」杜いう雑誌に出ています。
BARを通じて人を紹介していく「BARリレー形式」のような企画。
先月号に自分は京都のシテ方・橋本光史さんに紹介して頂き、今月号は自分は松下美智子さんというネイルアートの社長さんを紹介させて頂きました。松下さんは「トゥーソレイユ」というネイルサロンを経営されていて、代官山・銀座・新丸ビルの三点を持たれていらっしゃいます。僕がまず読むことのない女性誌には常連さんで、東京ガールズコレクションなどのファッションショーのネイルを担当されていたり、TVのソロモン宮殿に登場されたりと、実業家とアーティスト両方で活躍されている才女です。皆様是非とも今月号のEsquireをご購入くださいネ!
ちなみに私が今回紹介させて頂いたこのBAR Le Peu(ルプー)六本木店は私の大親友である武田誠氏がオーナーをつとめる京都祇園BAR Le Peuの支店です。自分も週2回は六本木店に足を運んでおります。

2007年11月03日

広忠舞台日記 9月22日

東京観世会にて、菊慈童、遊舞之樂の小書付き。掛け持ちで宝生能楽堂へ。清水寛二氏と西村高夫氏の研鑽の場、「響の会」。清水さんの野宮を打たさせて頂いた。配役は地頭に山本順之氏、笛・藤田六郎兵衛氏、小鼓・成田達志氏、ワキ・宝生閑氏、アイ・野村萬斎氏という豪華さ。まるで広忠の会みたいなお金払ってでもお相手願いたいばかりのメンバーであった。
特に地謡が素晴らしかった!!則之先生を筆頭に若松健史さんに西村さんを中心に前列の谷本健吾君に至る迄観世寿夫・観世静夫が造り上げた「銕仙会の地謡」が今に尚伝え継がれている。自分も銕仙会で修行してきた身。則之・若松両氏の”イキの強さ”と謡の"位取り"(クライドリ)に恩師、先代銕之丞を思い出し、打ち乍ら思わず涙ぐんでしまった。
井筒・野宮は銕仙会では寝てても歌えなければならない、というくらい特に大切な教えの多い寿夫師の得意曲なのだ。所要時間2時間10分。やはり大曲だ。だが楽しかった。やはり大小序之舞は充実度が違う。囃子方の組み合わせも良かった

2007年11月04日

広忠舞台日記 9月23日

喜多流職分会自主公演にて、采女の小浪(サザナミ)之伝の小書付き。観世流の「美奈保(ミナホ)之伝」のような一曲の無駄な部分をカットして時間縮小と演出意図をより明確にさせる為の替の演出。あくまでも私個人の見解。普通の采女はそのまま演じると祝言曲のような奈良の都の春をテーマとした明るい曲。美奈保の伝だと帝に捨てられた悲しみから猿沢之池に入水自殺してしまう、終始水に濡れたイメージのまま出来る。ところがこの小浪、両方のいいとこ取りなので統一されたイメージが掴みにくく、どうも演出の整理がついていないな?という感想を持ちました。

2007年11月05日

広忠舞台日記 9月24日

女流能楽師の第一人者であり最高の実力を持つ、鵜澤久さんの会で、久さんの「江口・干之掛(カンノカカリ)」。大鼓の革を焙じる為に二時間半前に楽屋入りしたのですが、早くも女流能楽師チームが集合して手際良く動いて楽屋を作っている。久さんを中心としたガールズパワー。
さて江口。私は久さんに対して女流という見方は昔からしていない。下手な男よりも抜群に上手いからだ。銕仙会という強烈すぎる軍団の中でただひとり気を吐いて踏ん張ってこられた。その精神力と技術は並の男じゃあ太刀打ちできません。この日の久さんも燃えてらっしゃいました。孤高の光を放ってましたね!娘の光さんに喜多流の大島衣恵さんなど、久さんに追い付き追い越せと日々技術を上げられている才能にあふれた若手女流もいます。僕が久さんを尊敬できるのはやはり母親・佐太郎の影響が強いのでしょうね。男でも女でも上手い人は上手いし、やはり努力を積んでいる。芸はNO BORDERだと思います。
江口の曲そのものに関しては触れるとこれまたかなり長くなるのでまたの機会に。所要時間は2時間5分。野宮から采女、そして江口と大小序之舞3連続は肉体・精神ともにキツかった!!ですがこの序之舞こそが能役者にしか舞えない・囃せない能独自の表現方法。そして能役者の人生に合わせた曲目が豊富なのもこの序之舞物。毎回違う発見があります。
笛は昨日と同じく松田弘之氏。松田さんの序之舞は「哀愁」という言葉がぴったりの、役者の生き様や覚悟が非常によく出てる私が大好きな笛方のお一人です。常に命を削り乍ら舞台を演っている松田さんの姿勢は失礼乍ら自分と似た所有り、とても共感出来、尊敬する役者のお一人です。
我々役者は外に向かっての発散と同じベクトルでもって肉体の内側に向けて力の負担をかけていく呼吸法や発声、体の動きといったものを持っていなければなりません。体の中に内在する強い力、それを「イキの強さ」と呼んでいます。静かな序之舞を演る時ほど、そのイキの強さが無ければ何の意味もなさない、無感動のまま終わってしまうゆったりとしただけの演奏になってしまう。そして序之舞は笛が大変に重要な役割を担います。藤田大五郎先生を頂点に、イキの強い序之舞を吹かれる方々、「華麗」の一噌幸弘、「重厚」の藤田六郎兵衛、「妖艶」の杉市和、「哀愁」の松田弘之諸氏との舞物は常に緊張感を保ちながら、厳しく、楽しくお相手させて頂いております。

2007年11月06日

広忠舞台日記 9月28日

9:00より京都観世会館にて申し合わせ。10:45に終わり。11:20の新幹線で新神戸へ。タクシーに乗って12:45神戸空港発札幌へ!とかなりタイトなスケジュール。19:00本番で札幌のSPICAというホールで土蜘蛛を打つ。シテは観世喜之先生。何だか移動だけで大変な一日でした(泣)

2007年11月07日

広忠舞台日記 9月29日

札幌SPICAにて観世喜正氏の道成寺を勤める。
勿論舞会の舞台がそうだが、これぞ命懸け!の大曲たる所以、やはり緊張感が格別。笛・竹市学、小鼓・幸正昭、太鼓・金春国和、ワキ・森常好、アイ・野村萬斎の配役。
本日22回目の道成寺。様々な場所で演らせて頂いているが、今回のホールも円形劇場のような少し変わった造り。それでもさすがに喜正氏は舞台を使い慣れてらっしゃる!
最終便で東京へ戻る。

2007年11月08日

広忠舞台日記 9月30日

7:30の新幹線で京都へ。味方玄氏の演能会「テアトル・ノウ」で彼の野宮を打ちに行く。札幌―東京―京都と、そろそろ体も限界!?朝御飯は京都駅で済ませた。
本日の主催者であられる味方氏とは私が15歳で彼が23歳の時からの付き合いになる。二人とも能が好きで好きで、玄ちゃんと能の話をしたい為に夏と冬と京都へ旅行に出掛けては彼の家に泊まらせて頂き、朝まで能談議に夢中になっていた。自分は当時高校生。よくもまあこんな生意気な小僧の相手をして頂いてたなぁと、彼には今でもこれからも感謝多謝!!刺激を求めてやまなかった高校時代。味方さんに教えて頂いた能の話は僕の血となり骨となり、自分の役者形成する上で大いに役立てたさせて頂いたと心の底から感謝している親友であり先輩の一人です。
そんな玄ちゃんの野宮。初演にも関わらず相変わらず見事!観世寿夫を崇拝する、彼の意図するところがよく伝わってきます。地頭は片山清司氏。この清司さん、私とは先代銕之丞門下で僕が兄弟子。細かく言うと私は3歳から銕先生に師事しており、僕が8~9歳の時に入ってこられたので、入門はこちらが先と言えば先ですが、向こうは道成寺までされてから銕先生門下となられているので、僕にとっては清司さんは兄弟子という思いが強いです。年は10歳上ですが、同じ時代に銕先生に教えをうけた者同志。芸系が同じというのは心強いものです。曲の位取りや考え方・向き合い方がお互いによく解るんですもの!そしてなんといっても片山清司最大の魅力は常に自己の限界を突き破れるところ。それこそ毎回の舞台で自分は死んでも構わない!という強い意思表示の表れであり明日に向けての役者の血肉を作る作業なんですよね。同じ時代に片山清司・味方玄・野村萬斎といった役者たちと生まれて本当に良かったな!と思っております。
夜、東京に日帰りし、ミッドタウンにある友人宅へご招待を受け食事に出かける。時間は23:00頃。明日も早いし、ホームパーティー形式なので1時間足らずでお先に失礼した。そこでバイオリンの高嶋ちさ子さんとピアニストの加羽沢美濃さんというお二方を紹介して頂いた。僕は普段メタルロックやバンドロック系のものしか聴かないので、その他のジャンルの音楽に関しては知識がほとんど無く、ましてやクラシックは遠い存在になるので、お二方のことは大変に失礼乍ら全く存じ上げなかった。
しかし後日人から伺った話によると、ご両人ともその世界ではかなりの方達らしいですね?!自分の不勉強を恥じております(泣)
後日加羽沢氏のCDを聴かせて頂きましたが、これがまた素晴らしかった!耽美的であり乍ら憂愁の感有り。一つ自分の芸道に役立ててみたいと思いました。様々なシチュエーションでヒントが頂けるものですネ!

2007年11月09日

広忠舞台日記 10月1日

やっと10月分迄やってきました!何せ舞台と稽古が続いているもので…。遅ればせ乍ら申し訳ないです。
今日は10:00から青山(銕仙会)で申し合わせと、夕方から国立の能楽研修で若い人達の稽古をし、それから青山へ行って出稽古。当代銕之丞氏の御子息、観世淳夫君の稽古だ。
自分は先代銕之丞氏に能楽師としての基本を、役者としての生き方を徹底的に叩き込まれた。その一生忘れる事のない御恩を師のお孫さんに返してゆきたい。思えば感慨深いことです。出稽古(玄人)は梅若六郎家の方にもお伺いしている。梅若晋矢氏の御子息・梅若慎太朗君や、書生の川口晃平君など、こちらも才気溢れる若手ばかりで、彼らとの稽古は実に刺激的で楽しい!伝統は受け継いだことを次の若い世代に伝え、返してゆくことだと思う。あと20~30年後には間違いなく彼らが能楽界の中心を担うわけですからね。共にいい舞台を作っていきましょう!

2007年11月10日

広忠舞台日記 10月2日

小田原城跡で薪能。銕之丞先生の「三山」と浅見真州氏の舞囃子「葛城・大和舞」小田原は銕仙会も長い歴史がある。

2007年11月11日

広忠舞台日記 10月3日

群馬県桐生市の新里町で下平克宏氏の「船弁慶」。
本来は野外の薪能であったが、空模様があやしい為に新里中学校の体育館での演能。

広忠舞台日記 10月3日

群馬県桐生市の新里町で下平克宏氏の「船弁慶」。
本来は野外の薪能であったが、空模様があやしい為に新里中学校の体育館での演能。

2007年11月12日

広忠舞台日記 10月4日

横浜にある久良岐能舞台で、成田達志氏の御社中の勉強会。そろそろ手が限界!?

2007年11月13日

広忠舞台日記 10月5日

申し合わせを二ヶ所掛け持ちし、午後は国立能楽堂の養成課の稽古。

2007年11月14日

広忠舞台日記 10月6日

本来は某シテ方の先生の御社中発表であったが延期になったため本日は舞台は無し。10何年振り、人生2度目のゴルフの練習に出掛ける。学習院初等科から高等科まで10年間の学友である和多田君(学習院大学ゴルフ部)に教えてもらい乍らいきなり500打を打った。なかなか当たらないものですネ~!!自分は剣道に柔道にボクシング・水泳・サッカー(GK)・マラソン等どちらかと言えば格闘技系ばかりやってきたので、テニスや野球・ゴルフみたいな小さな玉を扱うレジャー系スポーツは全くやってないのです。なのでせめてGOLFくらいは覚えていきたいものです。
練習の後は和多田君の経営する、表参道にある日本茶BARへ行きしばし談笑。夜は淳夫君の稽古をしに青山へ。家に戻って2時間以上自分の稽古。

2007年11月15日

広忠舞台日記 10月7日

観世会別会にて角寛次朗氏の「木曽・願書」。観世会別会は全国の能会の中で最高のステータスを持つ会。別段に格が違う。この願書という小書きは"三読物"(安宅の勧進帳、正尊の起請文)の中では最も至難な謡物。8年ほど前に打つ機会を頂いたのだが先約が有ってやりそびれてしまった。今度で三読物制覇!
何が難しいと言えば作曲(謡)と作調(大小鼓の手組)に尽きる。初番が自分で、二番目が父の「姨捨」。姨捨の後見を途中まで勤め、宝生能楽堂へ掛け持ち。前田晴啓氏の御社中発表会。囃子数番と「乱」の能。

2007年11月16日

広忠舞台日記 10月8日

矢来能楽堂にて幸信吾氏の御社中発表会。

2007年11月17日

広忠舞台日記 10月9日

群馬県桐生市へお弟子さんの出稽古。

2007年11月18日

広忠舞台日記 10月10日

父の代役で梅若万三郎氏の卒塔婆小町の申し合わせ。
終わってすぐに新幹線で京都へ。夕方より京都観世会館にて「乱」の申し合わせ。再び夜遅くに東京へ戻る。

2007年11月19日

広忠舞台日記 10月11日

東京のお弟子さんの稽古。

2007年11月20日

広忠舞台日記 10月12日

国立にて石橋の申し合わせ。夜京都入り。

2007年11月21日

広忠舞台日記 10月13日

片山九郎右衛門先生の喜寿のお祝いの会。主催は子息の清司さん。私は観世銕之丞(九郎右衛門先生の娘・当代井上八千代氏のご主人)・片山清司の「乱・双之舞」を打たせて頂く事に。父は九郎右衛門先生の「安宅・延年」を打ち、親子揃って大変に有難い思いをさせて頂いた。九郎右衛門先生の安宅、80歳近くとは思えぬ力強い肉体。日々の稽古に肉体の鍛錬を怠らない師の凄まじき生き様。ストイック度は自分の親父と同じです。さすがに看板役者は違います!止〆の能は観世清和家元の「小鍛冶・別習」と何とも豪華な番組でした。九郎右衛門先生については11月4日(日)の観世会「井筒」で触れさせて頂き度いと思います。
夜はウェスティン都ホテルにて600人近く参集し、お祝いのパーティー。2次会は…これが又大変でした!九郎右衛門一家に淳夫くん観世の家元、宝生閑夫妻に欣哉氏、中村富十郎丈、片岡仁左衛門丈の奥様、茂山千之丞先生に小生というメンバー。欣哉ちゃんは仲人が門前の先生(九郎右衛門先生の通称)だから何てことないでしょうが、小僧は僕だけ…。ずーっと松嶋屋さんの奥様とお話させて頂いておりました。最後は清司さんと欣ちゃんと三人で盃瀧流し状態!!かなり泥酔しました。そのあとは三次会に流れそうな勢いだったので、逃げるように他のお店へ!?

2007年11月22日

広忠舞台日記 10月14日

朝、東京に戻り国立へ。粟谷菊生師一周忌追善の会。粟谷能夫氏の「石橋」を勤める。しかし今年は一体何回三番叟と石橋を打ったんだろう?三番は9月の日記に書いたとおり。獅子も…数えきれないッス!!

2007年11月23日

広忠舞台日記 10月16日

申し合わせが松濤であり、東中野の梅若能楽学院へ掛け持ち。女流の山村庸子さんの会。タイトルも「こころみの会」。年来稽古条々というサブタイトルのもと、女流能楽師の方々の修行段階を追っていくという、なかなかに興味深い催し。
舞囃子と仕舞のみの構成も潔くて良い。
梅若実和音ちゃん(六郎先生のお孫さん)の吉野夫人(以下舞囃子)。鵜澤光さんの経正、喜多流唯一の女流大島衣恵さんの龍田。山村さんの班女という世代劇の選曲もなかなか。
次に今村宮子さん・谷村育子さん・鵜澤久さん・ゲストの梅若晋矢さん方の仕舞が並び、最後に久さんや庸子さんが謡っての六郎先生の善知鳥の舞囃子で終演。なる程、世代ごとに見せていこうという山村さんの企画は面白かった!
鵜澤光も母君と同じく、下手な男よりは遥かに上手い。技も気力も男顔負けの逸材。大島衣恵は自分と芸大の同期の同い年。学生時代から時間が空いたらよく共に稽古を積んだ。そのうちに二年下の坂口貴信が入ってきてからは彼と、衣恵さんの弟の大島輝久を交えて、4人で謡って舞って囃して、夏合宿や寒稽古もやったりした。書生に入る前の光ちゃんもたまに参加したり。
とにかく衣さんや坂口君との稽古は、志を同じくした「戦友」との稽古。同期が少ない時分に誠に得難い稽古だったと思う。たまにはあのような、ただひたすらに、一心に向かっていく稽古もしなければ!衣さんも喜多流の中では唯一の女性。本当に苦労が多いと思う。だけれども我々仲間内のみならず、今回の山村さんのように光を当ててくれる人もいる訳だから、大いに奮起してもらいたいと思う。実力は、大学時代に「こいつには負けてる!」と思った唯一人の能楽師ですからね!そりゃあ久さんクラスですよ、彼女は。
とにかく衣ちゃんも光ちゃんも才能と技術と根性の3つ備わっている人達。「女流」という括りは失礼かも知れませんね!
このように「熱い」山村さんの会の後にもう一件掛け持ち。三ヶ所目です。21:30から三響會の「一角仙人」の稽古をしに、銀座松竹の稽古場へ。そろそろ三響會モードにはいらねば!!さすがにくたくたでしたが、終了後には兄弟で戦略会議。自分よりくたびれている(何せ傳左衛門氏・傳次郎氏は10月は新橋演舞場と歌舞伎座と25日間掛け持ちですからね!恐るべし…)はずなのにすべて段取りを組んでいる傳次郎にはやはり頭が上がりません!!
前日の15日も勘十郎氏・喜正氏・晋矢氏と五変化と獅子の打ち合わせをやった後、深夜(梅若さんではなく)まで戦略会議を傳次郎氏とやっておりましたからね。彼のスタミナとバイタリティは尋常ではありません!

2007年11月24日

広忠舞台日記 10月17日

観世能楽堂にて研究会。岡久広氏の「玄象」を打つ。
岡さん、やっぱり謡上手すぎ!

2007年11月25日

広忠舞台日記 10月18・19日

京都のお弟子さんの稽古日。夜は弟であり親友である茂山逸平ちゃんと食事+深夜に至るまで酒席をともに。何件回っただろうか?ちょうどTVの撮影で京都に来ていた盟友・萬斎氏も後から合流。友たちとの楽しいひととき。

2007年11月26日

広忠舞台日記 10月20・21日

朝・新幹線で博多へ。坂口貴信君のご尊父・坂口信男先生の御社中の発表会。申し合わせ&本番。夕食は一日目は河豚に、二日目は和食。すっかり坂口先生に御厄介になってしまた。普段ならば中州に飲みに出てしまうところだが、三響會が控えている為に自粛。ホテルの部屋で一角仙人の三味線の譜を叩き込む。

2007年11月27日

広忠舞台日記 10月23日

広島空港より羽田へ。いったん自宅に戻り、着物や道具を詰め替えて出発。申し合わせ1件やってから日比谷シティ薪能へ。宝生流田崎隆三・宝生和英氏の”石橋連獅子”。葛野流ではこの連獅子と宝生の延年之舞(安宅)が最も重い扱いとされている。終了後に新橋演舞場へ向かう。21:00頃より三響會の稽古。一角仙人と獅子の稽古をする。染五郎丈・亀治郎丈・七之助丈・梅若晋矢氏らが揃う。これだけのメンバーが集うとこちらも迎える側として体は疲労しているが気合が入る。もう三響會は目前に迫っている。田中傳次郎の演出・稽古進行の下、藤間勘十郎氏による役者さんたちへの振り付け指導、田中傳左衛門の音楽監修。三響會の舞台はこのようにして造られてゆく。先ず音楽(曲)ありき。そこから型(振り)を決め、ビデオに録って各自自主稽古。三響會はあくまでも古典の切り売りが第一モットー。400~600年続いた伝統ある日本の芸能、能と歌舞伎を囃子を通じた共有意識を演者同士、お客様同士で共有して頂きたいのです。古典芸能は様々な技法をある規則性を持った羅列によって様々な曲種を生み出してきた訳です。その古典技法の規則性を保ち乍ら羅列を替えていくのが三響會の演り方。"切り売り"とはそのような意味です。一曲の構成を傳左衛門が行い、離見の見(リケンノケン=世阿弥の言葉。舞台上の自分と客席から見た自分を常に客観視する目)をもって傳次郎が演出していくのが三響會流。多少手前味噌的ではありますが、能と歌舞伎双方を愛し、双方を客観できるのは、双方の芸能が同居したこの亀井・田中家の有難い利点であるといえます。両親に感謝!!
今回の一角仙人・獅子では能の型や位置取りに関して、ほんの少しだけお手伝いさせて頂きました。やはり双方の主張(能と歌舞伎・立方と囃子方)がぶつかり合わないと、三響會ならではの面白い曲が作れませんからね!コラボレーションとはそのようなものでしょう。下手すればお互いに好き勝手にそれぞれ”やっただけ”で終わってしまうコラボが多いからです。獅子の稽古でも七之助さんが晋矢さんに型の確認をされてたりと、三響會の目指す"交流"が見えてきたのでうれしかったです。
特に印象に残ったのが、染五郎さん。彼が稽古に入ってきただけで我々囃子はもとより、ほかの役者・スタッフまでも皆の空気がガラリと変わったのです。緊張感が一段階アップしたというか、成程、これが座頭役者の風格か!と思いました。能楽界の野村萬斎、歌舞伎界の市川染五郎。この二人が今から10年以上も前に伝統芸能という世界の面白さを世の中に知ろしめしてくれた。ムーブメントを起こしてくれた、我々世代の兄貴なのです。彼らがいてくれたから、動いてくれたからこそ、我々も後に続くことができた。リーダーの風格はやっぱり違いますねぇ~♪

2007年11月28日

広忠舞台日記 10月22日

博多より新幹線で広島へ。在来線に乗り換え宮島口で降りる。フェリーに乗って宮島へ。毎年4月16日にこの宮島に奉能に来ているが、秋口の宮島もなかなかいい。今日は友枝昭世先生の宮島観月能で「自然居士」を打たせて頂く。フェリーの中から海を見渡す。潮風を浴び乍ら心地良い緊張感。気合い・思い入れの強い舞台前はいつもこう。試合前と同じ感覚。20代までだったら「さぁ、演りにいくぜ!!」的気合いを前面に押し出したマインドコントロール(舞台前の気持の入れ方)であったが、30歳を越してからはなるべく平常心とクールマインドを心掛けている。少しは舞台の怖さも知ってきたのかもしれない。
何せ今日の相手は友枝昭世。梅若六郎・高橋章・観世清和と並ぶ現代能楽最高の役者だからだ。師の能を打たせて頂けるだけで有難いと思わせてくれる、孤高の達人。六郎先生の時は、梅若六郎という豊かな大きい“海”の中で泳がせて頂いている感覚。友枝先生とはの時は、真剣で斬り合いをしているような生と死とのギリギリの緊張感の中、一曲の間終始対峙しているようなものです。それだけ先生の能には神経が張り巡らされている。六郎先生の懐に抱かれているような感覚とは真逆の、いつでもすぐに崖から突き落とされそうな恐怖感を漂わす友枝先生の舞台。あの張り詰めた空気と完璧な技術が観る者・演る者双方を魅了するのでしょう。今日の自然居士も友枝先生らしく静かな佇まいの中に、あわよくば刺し違えてでも少女を救い出す!という決意・覚悟の程が見受けられました。ワキの森さんの激しいキャラと対称で面白かったです。六郎師匠と閑氏だったらもうちょっと演り方が違って、軽妙な会話劇、舞づくしな面白さに、いつの間にか子方の少女を救い出す、という、バリバリの現代劇能。友枝先生のクールだが腹の座った青年!というよりは二枚目半的な、最終的には何とかやってくれそうなHEROといった感じでしょうか?
宮島は海の上の海上能舞台。打っている方は海面に音が走ってなんとも言えず心地良いのです!但し水の上なので音もすぐに下がって来ますが…終わった後に友枝先生から「今日は楽しかったよ♪ありがとう!」というお言葉を掛けて頂きました。スターの一言は重みが違う。その一言で今日の舞台が報われました。帰路のフェリーでは小さな達成感からくる安堵感に包まれ、静かな高揚で乗り込んだ行きとは違って、夜の潮風が体に優しかった。
夜は友枝先生のお世話で広島市内で全員で食事。その後は三々五々だったが今宵も真っ直ぐホテルに直行。明日は東京で申し合わせ→本番→稽古の3つ掛け持ちだからだ!何せ5日間も東京を空けたから様々な不安要素もある。さぁ、もう三響會に向けてメンタルとフィジカルを整えないと!

2007年11月29日

広忠舞台日記 10月24日

日比谷シティ薪能2日目。六郎先生の松風を打つ。やっぱり美しい謡だ!終わって兄弟で集まり、三響會の会議。連日の舞台なので風邪の前兆。