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2012年04月 アーカイブ

2012年04月02日

傳左衛門日記 4月1日

新橋演舞場初日、「仮名手本忠臣蔵」の通し公演。
初日の挨拶廻り中、福助丈が「君らの世代になったね~」と仰った。
若輩乍、忠臣蔵は随分演奏させていただいている、が、通し公演といえば、遥か年上の大名優ばかりの一座である。
10代20代の頃の自分に大名優達が出囃子蔭囃子共、様々な大役を演奏させてくださったのも、同世代以下の俳優、演奏家、スタッフにその経験を伝えよ、との有難い思し召しによる。
今月は花形歌舞伎は、少しは同世代の俳優達に、培った経験を生かせる場となるかと思う。
大序の幕明きは以前(2008年10月頃の日記か)触れたが、歌舞伎の「翁」のようなものである。
幕明きの「天王立下り端」の太鼓も完全版は七・五・三に打つ。
完全版は長い上、幕引き、狂言作者等、スタッフさん各位も相応の知識が求められるが、自分の社中では、決して省略しない。他の御社中は真ん中を飛ばした省略形である。
今回の大序の俳優さんやスタッフさんは、普段省略形に耳慣れた方々なので如何かしようか逡巡したが、松緑丈に相談させていただき、今回の意義有る忠臣蔵通しの幕明きを完全版で演奏して貰っている。
幕が明き、低音、甲音を交互に七・五・三に、置鼓という小鼓を打つ。これは自分が一座しているときは必ず打つ。普段全くミスタッチをしない自信があるが、これは毎度、寧ろ回数を重ねる毎に緊張する。
蔭囃子ではあるが、着流しでは無く、正式に袴を履く。大昔、出打ちをした事もあり、その名残と学生時分に先輩達の雑談を聞いた。楽屋話の雑談は重要である。そういえば、戦争の話をする先輩達がすっかり居なくなった。
さて、三段目が終わり四段目、由良之助は染五郎丈である。
四段目の城明け渡しの本釣鐘は、大序の置鼓と並んで、全ての歌舞伎囃子の筆頭格である。古人は置鼓15発か、本釣鐘約10発のどちらかを打って一日の仕事を終えていたという逸話が遺るが、それだけ精神力、集中力が要求される。
染五郎丈の曾祖父七代目幸四郎丈の四段目の本釣鐘は、曾祖父十代目、祖父十一代目傳左衛門が打っていた。それ以来の因縁である。様々な芸談、逸話が遺る。先月の播磨屋の熊谷陣屋に引き続き、万感の思いである。
殊に、現在新橋演舞場の鐘は、建替中の歌舞伎座から釣り替えているが、もう一代前の歌舞伎座か帝劇か、どちらかの物と聞いている。
戦時中も歌舞伎を公演していたので、当然本釣鐘が無いと芝居にならない。
劇場に在り、気合いの入った先輩達が隠し守った為、軍需供出で鋳潰される事無く、歴代の名優名演奏家達を見続けた代物、新しい歌舞伎座に釣り替えるのが楽しみである。
終わって国際フォーラムのアートフェアに、友人の東園基昭氏の日本画を見に行く。
モダンアートも様々だが、古典の知識に裏打ちされていないものなど、只の破壊的な落書きに過ぎない。自分が気持ちよいのだから構わぬだろうと他人の迷惑を省みない、質の悪い酔っ払いを見るような嫌な気分になる。
彼の日本画は、モダンな中にふとした端正な古典の薫りが漂う。大贔屓の陶芸家の細川護光氏の作品もそうだが、小さな頃から良いものを見てきた環境も一因であろう。
早く細川氏の個展が見たい。
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