深更。新橋演舞場の正月興行で市川右近丈が「黒塚」を出されるので、平成12年7月の猿之助丈の「黒塚」のDVDを観る。
歌舞伎興行に出演する様になって来年で20年、立鼓になって18年経つ。様々忘れ得ぬ舞台が有るが、この平成12年の「黒塚」は特に思い出深い。
唄が故今藤長之師、笛が藤舎名生師、箏が尊敬する唯是震一師中島靖子師御夫妻に尺八が山本邦山師、名人達の中に僕の小鼓と傳次郎の太鼓。演奏家冥利、猿之助丈の思し召しと聞いた。
この時期、身の回りに様々変化が有った。平成9年に祖父が亡くなり、翌々年には小さい頃から我が家の稽古場の廊下に寝転び、三兄弟の成長を間近で見聞きしていた愛犬も死んだ。
この「黒塚」の最中には、恩師の8世観世銕之丞師が亡くなった。入院後一ヶ月で亡くなると伺っていたので稽古中は勿論、初日が開いてからも度々見舞に行った。弱りきった師の顔を観て傳次郎共々涙を流したら、小さな声で「泣くんじゃない」と怒られたのが最後。
亡くなった日も病院で奥様が死に水を取られるのを拝して青山の銕仙会に行った。我々は取り乱していたが暁夫(現銕之丞)先生の書生達への指示は冷静で的確で、自分もいずれこうならなければと感じた。
歌舞伎座に行き、「黒塚」を演奏し、青山の銕仙会に戻り、故観世榮夫師や現銕之丞師、片山清司師やお弟子さん方と語らいながら線香番。
師の葬儀、三兄弟も共に棺を担がせていただいた。夏の蒸し暑さ、立派な棺の大変な重さ、あのクールな広忠が棺を担ぎながら泣き叫ぶ。僕らの少年時代が終わる通過儀礼だった。
「黒塚」の第二景、"穂波年波寄る辺さへ、かかる浮き世に永らえて、作りし罪の身なりとも"という箇所が有り、様々な無常感に駆られ涙が出た。
この年の9月に唄の長之師が倒れられたので、この顔ぶれは最初で最後、本当に高みに到達した「黒塚」だった。
あれから約10年、ずっと演奏したかった。今回唯是先生が弾かれ、邦山師が吹かれるかは判らないが、あの時のイメージや様々な思いをそのまま持ち込むつもりである。

コメント (1)
あれから10年なのですね。
澤瀉屋周辺も様々な出来事がありました。
いちファンにしか過ぎませんけれど、
その時々の別れや辛さは共有してきました。
猿之助さん以外の方が踊る「黒塚」を観る日が来るとは
思ってもいなかったあの頃。
私たちも、様々な想いを抱きながら、
あの美しいメロディを拝聴致します。
投稿者: yaya | 2010年01月01日 23:42
日時: 2010年01月01日 23:42