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広忠舞台日記 8月23日

野村四郎の会「道成寺」シテは勿論野村四郎師。囃子の会以降この道成寺に全てを懸けてきたと言ってもいい。何故ならこの道成寺は自分にとって特別な意味がある。シテの四郎師が披かれた時(初演)の大鼓が祖父の俊雄。以降3回程父の忠雄と勤められたと仰る。そして今回が小生、亀井家三代で道成寺をなされた唯一のシテ方という訳だ。三代掛けての道成寺、即ち祖父と父に道成寺という曲を通じて挑むという意味合いを持つ今日の道成寺。祖父・父と共に当たり芸と呼ばれる程評判を取ってきたこの曲だけに三代目としてどれだけプレッシャーがのし掛かるかお分かり頂けるかどうか?!四郎師の最後の道成寺に抜擢して頂けたという名誉と共にその責任の重さを感じながら舞台に臨む。ワキに宝生閑、笛・一噌庸二、小鼓・大倉源次郎、太鼓・観世元伯というメンバー。力だけで押し通すのではない、道成寺という世界観を映し出す方向性で勤めたつもりだが如何だったであろうか?後見には勿論父に願った。道成寺と言えば大鼓は亀井忠雄と呼ばれるくらいの当たり役の中の当たり役。その父の見ている前でプレッシャーと格闘しながら舞台を勤める、こんなに自分の芸
が上がれるかどうかのチャンスは滅多にない。師匠が健在でいてくださることの有り難み。
とにかくこの大人のメンバーの中に入れて頂けての中の舞台、作品を舞台を壊さないように付いくのに必死だった。客席の自分の眼前に祖父後ろに親父を置いて…
こうして何とか 28回目の道成寺を勤めた。だがこの曲、一度たりとも満足に打てたことはない。得るのは反省ばかりとその度に残るほんの僅かな突破口だけである。やはり亀井忠雄の存在は大きすぎる。

そう言えば今日は亀治郎の会の本番、立鼓は傳次郎。兄弟で能と歌舞伎の道成寺を分け合って勤めていた、という訳か。娘道成寺は傳左衛門が得意中の得意とし、玉三郎師と共に作り上げた近世歌舞伎舞踊の傑作と思われる。 まだお互いに話する機会もないが、傳次郎のプレッシャーも如何ばかりか?! と、小生には分かるような気がする。
舞台に慢心と安心はいらない、ほんの僅かな自信と誇りと謙虚だけが必要なのだと思う。

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