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2007年11月 アーカイブ

2007年11月01日

傳左衛門日記 10月29日・名古屋

玉三郎舞踊公演の舞台稽古日。名古屋駅で偶々玉三郎丈本人に出会う。十二月歌舞伎座の新作『紅葉狩』の構成を伺いながら劇場に移動。
今回の演目は「阿国歌舞伎夢華」「鷺娘」の二本立て。「阿国」は三年前に作調した作品である。常の舞踊公演は丈のみだが、「阿国」は猿之助丈一門が多数出演しているので、楽屋も賑やか。御一門とは殆ど接点が無いのだが。傳次郎が彼等と大変に懇意にしている所為か、私も心易く接することが出来る。
今回傳次郎は同行していない。"初演"というのはその後の手本になるのだが、初演以来ずっと傳次郎の太鼓の流れで曲が乗っかる部分も有ったので、数ヶ所合わない。今回の方もよい勘をお持ちなので、スグに合わせてきたが。
舞台稽古も終わり、宿に荷物を置き、街へ。一人で食べられる店は実に限られている。焼肉屋などは絶対に行かれない。結局デパートの中華を食べ、珈琲を歃り部屋に引き籠もる。

広忠舞台日記 9月20日

申し合わせを2件回ってからミッドタウン薪能二日目。
一噌幸弘氏・大倉源次郎先生・金春国和氏と自分で素囃子メドレーの初番。薪能で素囃子20分は初の試み。止〆に銕之丞先生の「葵上古式」の能。

傳左衛門日記 10月30日・名古屋

玉三郎舞踊公演初日。前夜何故か思索に耽けり、全く一睡も出来ず。早暁マリオットホテルで朝食。全国ツアーの愉しみの一つは各地の空気と宿、そして食に在る。此のホテルの朝食は種類も豊富で、天井も高く開放感に満ちている。快適な時間であった。
今回「鷺娘」が出ている。十五年前に玉三郎丈に抜擢していただき立鼓になったが、その同じ年に演奏して以来、既に三百数十回は演奏している。丈は五百回は越えた、と仰っているので、若輩の身乍ら半分以上は演奏させて頂いている事になる。
そもそも丈は決して二回公演をなさらない。以前坂田藤十郎丈に「曽根崎」の回数について伺ったら、”回数なんて二回公演を続ければ幾らでも稼げる。重要なのは如何に見物に支持をされているかだ”という金言を頂戴したが、演奏すればする程、洋の東西を問わず、何故玉三郎丈の「鷺娘」が斯様に愛されるのかが解る。完璧な照明、美術、不肖乍ら音楽、玉三郎丈そして後見、どのセクションのクオリティーが落ちてもあの世界観は成立しない。以前NYでMET(メトロポリタノペラハウス)の売店で、オペラやバレエに交じって玉三郎舞踊全集の英語版DVDが売られているのに驚き、誇りに思った。
一人を以て国興る。芸は一代。古来様々な言葉があるが、このような事か。
帰京後、家内と赤坂しゃぶ玄に。オーナーの息子が傳次郎と同級生という縁だが、偶々前日に両親、広忠、傳次郎家が来店したそうだ。食べたい物まで似るのか(笑)

2007年11月02日

広忠舞台日記 9月21日

午前中に申し合わせをしてからジムで走り、夜は取材。
丁度今発売されている「Esquire」杜いう雑誌に出ています。
BARを通じて人を紹介していく「BARリレー形式」のような企画。
先月号に自分は京都のシテ方・橋本光史さんに紹介して頂き、今月号は自分は松下美智子さんというネイルアートの社長さんを紹介させて頂きました。松下さんは「トゥーソレイユ」というネイルサロンを経営されていて、代官山・銀座・新丸ビルの三点を持たれていらっしゃいます。僕がまず読むことのない女性誌には常連さんで、東京ガールズコレクションなどのファッションショーのネイルを担当されていたり、TVのソロモン宮殿に登場されたりと、実業家とアーティスト両方で活躍されている才女です。皆様是非とも今月号のEsquireをご購入くださいネ!
ちなみに私が今回紹介させて頂いたこのBAR Le Peu(ルプー)六本木店は私の大親友である武田誠氏がオーナーをつとめる京都祇園BAR Le Peuの支店です。自分も週2回は六本木店に足を運んでおります。

2007年11月03日

広忠舞台日記 9月22日

東京観世会にて、菊慈童、遊舞之樂の小書付き。掛け持ちで宝生能楽堂へ。清水寛二氏と西村高夫氏の研鑽の場、「響の会」。清水さんの野宮を打たさせて頂いた。配役は地頭に山本順之氏、笛・藤田六郎兵衛氏、小鼓・成田達志氏、ワキ・宝生閑氏、アイ・野村萬斎氏という豪華さ。まるで広忠の会みたいなお金払ってでもお相手願いたいばかりのメンバーであった。
特に地謡が素晴らしかった!!則之先生を筆頭に若松健史さんに西村さんを中心に前列の谷本健吾君に至る迄観世寿夫・観世静夫が造り上げた「銕仙会の地謡」が今に尚伝え継がれている。自分も銕仙会で修行してきた身。則之・若松両氏の”イキの強さ”と謡の"位取り"(クライドリ)に恩師、先代銕之丞を思い出し、打ち乍ら思わず涙ぐんでしまった。
井筒・野宮は銕仙会では寝てても歌えなければならない、というくらい特に大切な教えの多い寿夫師の得意曲なのだ。所要時間2時間10分。やはり大曲だ。だが楽しかった。やはり大小序之舞は充実度が違う。囃子方の組み合わせも良かった

2007年11月04日

広忠舞台日記 9月23日

喜多流職分会自主公演にて、采女の小浪(サザナミ)之伝の小書付き。観世流の「美奈保(ミナホ)之伝」のような一曲の無駄な部分をカットして時間縮小と演出意図をより明確にさせる為の替の演出。あくまでも私個人の見解。普通の采女はそのまま演じると祝言曲のような奈良の都の春をテーマとした明るい曲。美奈保の伝だと帝に捨てられた悲しみから猿沢之池に入水自殺してしまう、終始水に濡れたイメージのまま出来る。ところがこの小浪、両方のいいとこ取りなので統一されたイメージが掴みにくく、どうも演出の整理がついていないな?という感想を持ちました。

2007年11月05日

広忠舞台日記 9月24日

女流能楽師の第一人者であり最高の実力を持つ、鵜澤久さんの会で、久さんの「江口・干之掛(カンノカカリ)」。大鼓の革を焙じる為に二時間半前に楽屋入りしたのですが、早くも女流能楽師チームが集合して手際良く動いて楽屋を作っている。久さんを中心としたガールズパワー。
さて江口。私は久さんに対して女流という見方は昔からしていない。下手な男よりも抜群に上手いからだ。銕仙会という強烈すぎる軍団の中でただひとり気を吐いて踏ん張ってこられた。その精神力と技術は並の男じゃあ太刀打ちできません。この日の久さんも燃えてらっしゃいました。孤高の光を放ってましたね!娘の光さんに喜多流の大島衣恵さんなど、久さんに追い付き追い越せと日々技術を上げられている才能にあふれた若手女流もいます。僕が久さんを尊敬できるのはやはり母親・佐太郎の影響が強いのでしょうね。男でも女でも上手い人は上手いし、やはり努力を積んでいる。芸はNO BORDERだと思います。
江口の曲そのものに関しては触れるとこれまたかなり長くなるのでまたの機会に。所要時間は2時間5分。野宮から采女、そして江口と大小序之舞3連続は肉体・精神ともにキツかった!!ですがこの序之舞こそが能役者にしか舞えない・囃せない能独自の表現方法。そして能役者の人生に合わせた曲目が豊富なのもこの序之舞物。毎回違う発見があります。
笛は昨日と同じく松田弘之氏。松田さんの序之舞は「哀愁」という言葉がぴったりの、役者の生き様や覚悟が非常によく出てる私が大好きな笛方のお一人です。常に命を削り乍ら舞台を演っている松田さんの姿勢は失礼乍ら自分と似た所有り、とても共感出来、尊敬する役者のお一人です。
我々役者は外に向かっての発散と同じベクトルでもって肉体の内側に向けて力の負担をかけていく呼吸法や発声、体の動きといったものを持っていなければなりません。体の中に内在する強い力、それを「イキの強さ」と呼んでいます。静かな序之舞を演る時ほど、そのイキの強さが無ければ何の意味もなさない、無感動のまま終わってしまうゆったりとしただけの演奏になってしまう。そして序之舞は笛が大変に重要な役割を担います。藤田大五郎先生を頂点に、イキの強い序之舞を吹かれる方々、「華麗」の一噌幸弘、「重厚」の藤田六郎兵衛、「妖艶」の杉市和、「哀愁」の松田弘之諸氏との舞物は常に緊張感を保ちながら、厳しく、楽しくお相手させて頂いております。

2007年11月06日

広忠舞台日記 9月28日

9:00より京都観世会館にて申し合わせ。10:45に終わり。11:20の新幹線で新神戸へ。タクシーに乗って12:45神戸空港発札幌へ!とかなりタイトなスケジュール。19:00本番で札幌のSPICAというホールで土蜘蛛を打つ。シテは観世喜之先生。何だか移動だけで大変な一日でした(泣)

2007年11月07日

広忠舞台日記 9月29日

札幌SPICAにて観世喜正氏の道成寺を勤める。
勿論舞会の舞台がそうだが、これぞ命懸け!の大曲たる所以、やはり緊張感が格別。笛・竹市学、小鼓・幸正昭、太鼓・金春国和、ワキ・森常好、アイ・野村萬斎の配役。
本日22回目の道成寺。様々な場所で演らせて頂いているが、今回のホールも円形劇場のような少し変わった造り。それでもさすがに喜正氏は舞台を使い慣れてらっしゃる!
最終便で東京へ戻る。

傳左衛門日記 11月1日・下関

今日は仕込のみで公演は無い。朝から電車を乗継ぎ、山口に向かう。東京生まれの身には一両の単線が新鮮である。
自体列車の旅は愉しい思い出に満ち溢れている。原点は幼稚園の年長の頃。父の会が福岡で催された時、一家で当時のブルートレインに乗った事である。三つのベッドの上段に父、もう片方の上段に母と弟、下段に兄と二人が枕を並べて寝た。考えられない。そんなに小さかったのか。あの時も下関に降り立ち電車を乗換えた。関門トンネルを通過したときはいたく感動したものだ。成長し、電車に乗ることが単なる"移動"になったとき"旅"の感動は止まった。
さて、山口へ行く唯一の目的は臨済宗の古刹・常栄寺を訪れる事である。祖父十一世傳左衛門は実に信心深く、様々な御寺の住職や老師と親交が有ったが、画聖雪舟作の庭園が名高い當山は特に懇意で小さいころ祖父宅に老師や雲水が泊まりに来ていた事を思い出す。私は別段面識もないので寺にも特に名乗らず、一人で雪舟の世界を堪能した。
下関に戻り、夜は私社中の皆と会食。河豚や関鰺等の海の幸に舌鼓を打つ。それにしても皆良く飲む。

2007年11月08日

広忠舞台日記 9月30日

7:30の新幹線で京都へ。味方玄氏の演能会「テアトル・ノウ」で彼の野宮を打ちに行く。札幌―東京―京都と、そろそろ体も限界!?朝御飯は京都駅で済ませた。
本日の主催者であられる味方氏とは私が15歳で彼が23歳の時からの付き合いになる。二人とも能が好きで好きで、玄ちゃんと能の話をしたい為に夏と冬と京都へ旅行に出掛けては彼の家に泊まらせて頂き、朝まで能談議に夢中になっていた。自分は当時高校生。よくもまあこんな生意気な小僧の相手をして頂いてたなぁと、彼には今でもこれからも感謝多謝!!刺激を求めてやまなかった高校時代。味方さんに教えて頂いた能の話は僕の血となり骨となり、自分の役者形成する上で大いに役立てたさせて頂いたと心の底から感謝している親友であり先輩の一人です。
そんな玄ちゃんの野宮。初演にも関わらず相変わらず見事!観世寿夫を崇拝する、彼の意図するところがよく伝わってきます。地頭は片山清司氏。この清司さん、私とは先代銕之丞門下で僕が兄弟子。細かく言うと私は3歳から銕先生に師事しており、僕が8~9歳の時に入ってこられたので、入門はこちらが先と言えば先ですが、向こうは道成寺までされてから銕先生門下となられているので、僕にとっては清司さんは兄弟子という思いが強いです。年は10歳上ですが、同じ時代に銕先生に教えをうけた者同志。芸系が同じというのは心強いものです。曲の位取りや考え方・向き合い方がお互いによく解るんですもの!そしてなんといっても片山清司最大の魅力は常に自己の限界を突き破れるところ。それこそ毎回の舞台で自分は死んでも構わない!という強い意思表示の表れであり明日に向けての役者の血肉を作る作業なんですよね。同じ時代に片山清司・味方玄・野村萬斎といった役者たちと生まれて本当に良かったな!と思っております。
夜、東京に日帰りし、ミッドタウンにある友人宅へご招待を受け食事に出かける。時間は23:00頃。明日も早いし、ホームパーティー形式なので1時間足らずでお先に失礼した。そこでバイオリンの高嶋ちさ子さんとピアニストの加羽沢美濃さんというお二方を紹介して頂いた。僕は普段メタルロックやバンドロック系のものしか聴かないので、その他のジャンルの音楽に関しては知識がほとんど無く、ましてやクラシックは遠い存在になるので、お二方のことは大変に失礼乍ら全く存じ上げなかった。
しかし後日人から伺った話によると、ご両人ともその世界ではかなりの方達らしいですね?!自分の不勉強を恥じております(泣)
後日加羽沢氏のCDを聴かせて頂きましたが、これがまた素晴らしかった!耽美的であり乍ら憂愁の感有り。一つ自分の芸道に役立ててみたいと思いました。様々なシチュエーションでヒントが頂けるものですネ!

傳左衛門日記 11月4日・下関、京都

下関公演最終日。新幹線の時間の関係で、終演後は相当急がねばらならい。普段大変にグズだが、こういう時に不思議と力を発揮する。せっかちな亀井家の血か。次の公演場所は金沢だが、スタッフさん達全員の乗継の問題が有るそうで、泊まりは途中の京都である。
日曜の夜の京都は暗く人通りもなく、食べる場所がない。本来はこういう姿であろうし、あるべきだ。大体京都はいつも人が多過ぎる。十一月は紅葉シーズンとやらで特に混む。熱狂的に全国から人が来、未だ蒼々とした紅葉を観、それでも感動して帰る。最近は温暖化で、顔見世が始まる月末から十二月に入らないと真の紅葉は愉しむ事は出来ない。今年は来られないが、顔見世に出演するもう一つの喜びでもある。広忠氏日記に登場する武田誠氏の居るルプーという祇園のバーに行き、晩飯を頼む。

2007年11月09日

傳左衛門日記 11月5日・京都、金沢

今月は玉三郎舞踊巡業と、市川段四郎、亀治郎両丈を中心とした松竹大歌舞伎という二つのグループが全国を廻っている。丁度京都でもう片方の連中が公演しているので、顔を出してくる。こちらは大変ハードな移動と公演スケジュールで、今日休演日なのが申し訳無く思う。亀治郎丈も梅枝君もうちの皆も殊の外元気で、活気に充ちている。いいチームだ。
夜は京都ブライトンホテルの鉄板焼きを愉しみ、サンダーバード号で金沢に移動。

広忠舞台日記 10月1日

やっと10月分迄やってきました!何せ舞台と稽古が続いているもので…。遅ればせ乍ら申し訳ないです。
今日は10:00から青山(銕仙会)で申し合わせと、夕方から国立の能楽研修で若い人達の稽古をし、それから青山へ行って出稽古。当代銕之丞氏の御子息、観世淳夫君の稽古だ。
自分は先代銕之丞氏に能楽師としての基本を、役者としての生き方を徹底的に叩き込まれた。その一生忘れる事のない御恩を師のお孫さんに返してゆきたい。思えば感慨深いことです。出稽古(玄人)は梅若六郎家の方にもお伺いしている。梅若晋矢氏の御子息・梅若慎太朗君や、書生の川口晃平君など、こちらも才気溢れる若手ばかりで、彼らとの稽古は実に刺激的で楽しい!伝統は受け継いだことを次の若い世代に伝え、返してゆくことだと思う。あと20~30年後には間違いなく彼らが能楽界の中心を担うわけですからね。共にいい舞台を作っていきましょう!

2007年11月10日

広忠舞台日記 10月2日

小田原城跡で薪能。銕之丞先生の「三山」と浅見真州氏の舞囃子「葛城・大和舞」小田原は銕仙会も長い歴史がある。

2007年11月11日

広忠舞台日記 10月3日

群馬県桐生市の新里町で下平克宏氏の「船弁慶」。
本来は野外の薪能であったが、空模様があやしい為に新里中学校の体育館での演能。

2007年11月12日

広忠舞台日記 10月4日

横浜にある久良岐能舞台で、成田達志氏の御社中の勉強会。そろそろ手が限界!?

傳左衛門日記 11月7日・札幌

移動日、小松から新千歳に飛ぶ。気温差約10℃、頭痛がする。札幌へのバス、車窓からの景色に市川弘太郎君が声を弾ませる。それにしても猿之助丈一門皆個性が強い。笑三郎丈は物静か、猿弥丈は話しだすと止まらない。段治郎、春猿両丈は混み合うことを考え二人席に並んで座り、他の連中に配慮。この両丈常に折り目正しく、スター特有の傲慢さは微塵もない。只々感心。
JRタワー日航ホテルは便利で快適。早くに着いたので館内の大浴場で汗を流す。夜はすすきの”菊鮨”。北海道にも父のお弟子さんが大勢いらっしゃるお蔭で小さい頃から度々札幌を訪れている。就中楽しみは、此処での食事だった。今では自分で来られるようになったが、食後の支払いの度に当時の父の苦労を思い感謝、無論自分で来られる様に”してくれた”事にも感謝。子を授かり、連れて来る時が有れば尚一層思うだろう。

2007年11月13日

広忠舞台日記 10月5日

申し合わせを二ヶ所掛け持ちし、午後は国立能楽堂の養成課の稽古。

2007年11月14日

広忠舞台日記 10月6日

本来は某シテ方の先生の御社中発表であったが延期になったため本日は舞台は無し。10何年振り、人生2度目のゴルフの練習に出掛ける。学習院初等科から高等科まで10年間の学友である和多田君(学習院大学ゴルフ部)に教えてもらい乍らいきなり500打を打った。なかなか当たらないものですネ~!!自分は剣道に柔道にボクシング・水泳・サッカー(GK)・マラソン等どちらかと言えば格闘技系ばかりやってきたので、テニスや野球・ゴルフみたいな小さな玉を扱うレジャー系スポーツは全くやってないのです。なのでせめてGOLFくらいは覚えていきたいものです。
練習の後は和多田君の経営する、表参道にある日本茶BARへ行きしばし談笑。夜は淳夫君の稽古をしに青山へ。家に戻って2時間以上自分の稽古。

2007年11月15日

広忠舞台日記 10月7日

観世会別会にて角寛次朗氏の「木曽・願書」。観世会別会は全国の能会の中で最高のステータスを持つ会。別段に格が違う。この願書という小書きは"三読物"(安宅の勧進帳、正尊の起請文)の中では最も至難な謡物。8年ほど前に打つ機会を頂いたのだが先約が有ってやりそびれてしまった。今度で三読物制覇!
何が難しいと言えば作曲(謡)と作調(大小鼓の手組)に尽きる。初番が自分で、二番目が父の「姨捨」。姨捨の後見を途中まで勤め、宝生能楽堂へ掛け持ち。前田晴啓氏の御社中発表会。囃子数番と「乱」の能。

2007年11月16日

広忠舞台日記 10月8日

矢来能楽堂にて幸信吾氏の御社中発表会。

2007年11月17日

広忠舞台日記 10月9日

群馬県桐生市へお弟子さんの出稽古。

2007年11月18日

広忠舞台日記 10月10日

父の代役で梅若万三郎氏の卒塔婆小町の申し合わせ。
終わってすぐに新幹線で京都へ。夕方より京都観世会館にて「乱」の申し合わせ。再び夜遅くに東京へ戻る。

2007年11月19日

広忠舞台日記 10月11日

東京のお弟子さんの稽古。

2007年11月20日

傳左衛門日記 11月8日・札幌

何の迷いもなく、札幌で必ず歌舞伎公演が催されるホールに向かう。普通に挨拶して楽屋に入るが、名札を見たら”クレージーケンバンド”、海上を間違えた。警備員「珍しく歌舞伎は斜向かいですよ」親切に教えられ、表に出る。すでにコートにマフラー、手袋が要る程で、たった一ブロックなのに耳が凍るようだ。
いつも乍ら丈の舞踊公演は他の巡業とは明らかに客層が違う。全ステージ必ずカーテンコールになって、”Bravo!!"と声がかかる歌舞伎役者など他にはいない。流石"世界の"玉三郎。

広忠舞台日記 10月12日

国立にて石橋の申し合わせ。夜京都入り。

2007年11月21日

広忠舞台日記 10月13日

片山九郎右衛門先生の喜寿のお祝いの会。主催は子息の清司さん。私は観世銕之丞(九郎右衛門先生の娘・当代井上八千代氏のご主人)・片山清司の「乱・双之舞」を打たせて頂く事に。父は九郎右衛門先生の「安宅・延年」を打ち、親子揃って大変に有難い思いをさせて頂いた。九郎右衛門先生の安宅、80歳近くとは思えぬ力強い肉体。日々の稽古に肉体の鍛錬を怠らない師の凄まじき生き様。ストイック度は自分の親父と同じです。さすがに看板役者は違います!止〆の能は観世清和家元の「小鍛冶・別習」と何とも豪華な番組でした。九郎右衛門先生については11月4日(日)の観世会「井筒」で触れさせて頂き度いと思います。
夜はウェスティン都ホテルにて600人近く参集し、お祝いのパーティー。2次会は…これが又大変でした!九郎右衛門一家に淳夫くん観世の家元、宝生閑夫妻に欣哉氏、中村富十郎丈、片岡仁左衛門丈の奥様、茂山千之丞先生に小生というメンバー。欣哉ちゃんは仲人が門前の先生(九郎右衛門先生の通称)だから何てことないでしょうが、小僧は僕だけ…。ずーっと松嶋屋さんの奥様とお話させて頂いておりました。最後は清司さんと欣ちゃんと三人で盃瀧流し状態!!かなり泥酔しました。そのあとは三次会に流れそうな勢いだったので、逃げるように他のお店へ!?

傳左衛門日記 11月11日・奈良

朝七時、朝焼けの京都から奈良の壺坂寺へ。予て親しくさせていただいている御縁で、新仏の開眼供養の奏納演奏をするのだが、この印度より渡来の新仏の巨大さに圧倒される。笛と小鼓のみで"獅子"。脇侍に計らずも巨大な文殊菩薩がおわし、曲目との合致に驚く。生憎の曇天どころか一ト村雨来そうな空、式典開始前に晴天となる。導師の東大寺の大老師が祖父十一世を御存じとの事承り、これも奇縁。

2007年11月22日

広忠舞台日記 10月14日

朝、東京に戻り国立へ。粟谷菊生師一周忌追善の会。粟谷能夫氏の「石橋」を勤める。しかし今年は一体何回三番叟と石橋を打ったんだろう?三番は9月の日記に書いたとおり。獅子も…数えきれないッス!!

傳左衛門日記 11月12日

ここ数年母校学習院大の"日本の伝統芸能"という講義に呼ばれている。年に一度の目白、来る度に駅の周囲や学内も綺麗になり、学生たちもより若く感じる。浅学の上準備不足で毎度申し訳なく思うが、学生諸君とコーディネーターの先生の反応に上手く乗せられる。百人超の大講義、一年を通して雅楽から歌舞伎、落語に至る迄、広く浅く伝統芸能に触れられる。今回は敢えて専門的な話でなく、ひたすら今年のパリ公演と、NY公演について話す。狭い日本の狭い伝芸が広い世界に出た時に向こう側とこちら側、双方向からどう見えるか考えてもらいたかった。講義後に数名の学生が寄ってきた。三響會を観てくれたそうだ。中に、家内の宝塚歌劇団の後輩だという嬢がいて驚く。彼女は退団後この大学に入り、この講義を選択した。向学心のある人は実に良い表情をしている。
講義後、少し構内を歩く。数年後取り壊すらしいピラミッド校舎の写メールを撮り、同級生に送信。学習院生にとってこのピラミッドの形をした妙な建築物は、東大の安田、早稲田の大隈に並ぶような象徴である。無くなるのは悲しい。

2007年11月23日

広忠舞台日記 10月16日

申し合わせが松濤であり、東中野の梅若能楽学院へ掛け持ち。女流の山村庸子さんの会。タイトルも「こころみの会」。年来稽古条々というサブタイトルのもと、女流能楽師の方々の修行段階を追っていくという、なかなかに興味深い催し。
舞囃子と仕舞のみの構成も潔くて良い。
梅若実和音ちゃん(六郎先生のお孫さん)の吉野夫人(以下舞囃子)。鵜澤光さんの経正、喜多流唯一の女流大島衣恵さんの龍田。山村さんの班女という世代劇の選曲もなかなか。
次に今村宮子さん・谷村育子さん・鵜澤久さん・ゲストの梅若晋矢さん方の仕舞が並び、最後に久さんや庸子さんが謡っての六郎先生の善知鳥の舞囃子で終演。なる程、世代ごとに見せていこうという山村さんの企画は面白かった!
鵜澤光も母君と同じく、下手な男よりは遥かに上手い。技も気力も男顔負けの逸材。大島衣恵は自分と芸大の同期の同い年。学生時代から時間が空いたらよく共に稽古を積んだ。そのうちに二年下の坂口貴信が入ってきてからは彼と、衣恵さんの弟の大島輝久を交えて、4人で謡って舞って囃して、夏合宿や寒稽古もやったりした。書生に入る前の光ちゃんもたまに参加したり。
とにかく衣さんや坂口君との稽古は、志を同じくした「戦友」との稽古。同期が少ない時分に誠に得難い稽古だったと思う。たまにはあのような、ただひたすらに、一心に向かっていく稽古もしなければ!衣さんも喜多流の中では唯一の女性。本当に苦労が多いと思う。だけれども我々仲間内のみならず、今回の山村さんのように光を当ててくれる人もいる訳だから、大いに奮起してもらいたいと思う。実力は、大学時代に「こいつには負けてる!」と思った唯一人の能楽師ですからね!そりゃあ久さんクラスですよ、彼女は。
とにかく衣ちゃんも光ちゃんも才能と技術と根性の3つ備わっている人達。「女流」という括りは失礼かも知れませんね!
このように「熱い」山村さんの会の後にもう一件掛け持ち。三ヶ所目です。21:30から三響會の「一角仙人」の稽古をしに、銀座松竹の稽古場へ。そろそろ三響會モードにはいらねば!!さすがにくたくたでしたが、終了後には兄弟で戦略会議。自分よりくたびれている(何せ傳左衛門氏・傳次郎氏は10月は新橋演舞場と歌舞伎座と25日間掛け持ちですからね!恐るべし…)はずなのにすべて段取りを組んでいる傳次郎にはやはり頭が上がりません!!
前日の15日も勘十郎氏・喜正氏・晋矢氏と五変化と獅子の打ち合わせをやった後、深夜(梅若さんではなく)まで戦略会議を傳次郎氏とやっておりましたからね。彼のスタミナとバイタリティは尋常ではありません!

2007年11月24日

広忠舞台日記 10月17日

観世能楽堂にて研究会。岡久広氏の「玄象」を打つ。
岡さん、やっぱり謡上手すぎ!

2007年11月25日

広忠舞台日記 10月18・19日

京都のお弟子さんの稽古日。夜は弟であり親友である茂山逸平ちゃんと食事+深夜に至るまで酒席をともに。何件回っただろうか?ちょうどTVの撮影で京都に来ていた盟友・萬斎氏も後から合流。友たちとの楽しいひととき。

2007年11月26日

広忠舞台日記 10月20・21日

朝・新幹線で博多へ。坂口貴信君のご尊父・坂口信男先生の御社中の発表会。申し合わせ&本番。夕食は一日目は河豚に、二日目は和食。すっかり坂口先生に御厄介になってしまた。普段ならば中州に飲みに出てしまうところだが、三響會が控えている為に自粛。ホテルの部屋で一角仙人の三味線の譜を叩き込む。

2007年11月27日

広忠舞台日記 10月23日

広島空港より羽田へ。いったん自宅に戻り、着物や道具を詰め替えて出発。申し合わせ1件やってから日比谷シティ薪能へ。宝生流田崎隆三・宝生和英氏の”石橋連獅子”。葛野流ではこの連獅子と宝生の延年之舞(安宅)が最も重い扱いとされている。終了後に新橋演舞場へ向かう。21:00頃より三響會の稽古。一角仙人と獅子の稽古をする。染五郎丈・亀治郎丈・七之助丈・梅若晋矢氏らが揃う。これだけのメンバーが集うとこちらも迎える側として体は疲労しているが気合が入る。もう三響會は目前に迫っている。田中傳次郎の演出・稽古進行の下、藤間勘十郎氏による役者さんたちへの振り付け指導、田中傳左衛門の音楽監修。三響會の舞台はこのようにして造られてゆく。先ず音楽(曲)ありき。そこから型(振り)を決め、ビデオに録って各自自主稽古。三響會はあくまでも古典の切り売りが第一モットー。400~600年続いた伝統ある日本の芸能、能と歌舞伎を囃子を通じた共有意識を演者同士、お客様同士で共有して頂きたいのです。古典芸能は様々な技法をある規則性を持った羅列によって様々な曲種を生み出してきた訳です。その古典技法の規則性を保ち乍ら羅列を替えていくのが三響會の演り方。"切り売り"とはそのような意味です。一曲の構成を傳左衛門が行い、離見の見(リケンノケン=世阿弥の言葉。舞台上の自分と客席から見た自分を常に客観視する目)をもって傳次郎が演出していくのが三響會流。多少手前味噌的ではありますが、能と歌舞伎双方を愛し、双方を客観できるのは、双方の芸能が同居したこの亀井・田中家の有難い利点であるといえます。両親に感謝!!
今回の一角仙人・獅子では能の型や位置取りに関して、ほんの少しだけお手伝いさせて頂きました。やはり双方の主張(能と歌舞伎・立方と囃子方)がぶつかり合わないと、三響會ならではの面白い曲が作れませんからね!コラボレーションとはそのようなものでしょう。下手すればお互いに好き勝手にそれぞれ”やっただけ”で終わってしまうコラボが多いからです。獅子の稽古でも七之助さんが晋矢さんに型の確認をされてたりと、三響會の目指す"交流"が見えてきたのでうれしかったです。
特に印象に残ったのが、染五郎さん。彼が稽古に入ってきただけで我々囃子はもとより、ほかの役者・スタッフまでも皆の空気がガラリと変わったのです。緊張感が一段階アップしたというか、成程、これが座頭役者の風格か!と思いました。能楽界の野村萬斎、歌舞伎界の市川染五郎。この二人が今から10年以上も前に伝統芸能という世界の面白さを世の中に知ろしめしてくれた。ムーブメントを起こしてくれた、我々世代の兄貴なのです。彼らがいてくれたから、動いてくれたからこそ、我々も後に続くことができた。リーダーの風格はやっぱり違いますねぇ~♪

2007年11月28日

広忠舞台日記 10月22日

博多より新幹線で広島へ。在来線に乗り換え宮島口で降りる。フェリーに乗って宮島へ。毎年4月16日にこの宮島に奉能に来ているが、秋口の宮島もなかなかいい。今日は友枝昭世先生の宮島観月能で「自然居士」を打たせて頂く。フェリーの中から海を見渡す。潮風を浴び乍ら心地良い緊張感。気合い・思い入れの強い舞台前はいつもこう。試合前と同じ感覚。20代までだったら「さぁ、演りにいくぜ!!」的気合いを前面に押し出したマインドコントロール(舞台前の気持の入れ方)であったが、30歳を越してからはなるべく平常心とクールマインドを心掛けている。少しは舞台の怖さも知ってきたのかもしれない。
何せ今日の相手は友枝昭世。梅若六郎・高橋章・観世清和と並ぶ現代能楽最高の役者だからだ。師の能を打たせて頂けるだけで有難いと思わせてくれる、孤高の達人。六郎先生の時は、梅若六郎という豊かな大きい“海”の中で泳がせて頂いている感覚。友枝先生とはの時は、真剣で斬り合いをしているような生と死とのギリギリの緊張感の中、一曲の間終始対峙しているようなものです。それだけ先生の能には神経が張り巡らされている。六郎先生の懐に抱かれているような感覚とは真逆の、いつでもすぐに崖から突き落とされそうな恐怖感を漂わす友枝先生の舞台。あの張り詰めた空気と完璧な技術が観る者・演る者双方を魅了するのでしょう。今日の自然居士も友枝先生らしく静かな佇まいの中に、あわよくば刺し違えてでも少女を救い出す!という決意・覚悟の程が見受けられました。ワキの森さんの激しいキャラと対称で面白かったです。六郎師匠と閑氏だったらもうちょっと演り方が違って、軽妙な会話劇、舞づくしな面白さに、いつの間にか子方の少女を救い出す、という、バリバリの現代劇能。友枝先生のクールだが腹の座った青年!というよりは二枚目半的な、最終的には何とかやってくれそうなHEROといった感じでしょうか?
宮島は海の上の海上能舞台。打っている方は海面に音が走ってなんとも言えず心地良いのです!但し水の上なので音もすぐに下がって来ますが…終わった後に友枝先生から「今日は楽しかったよ♪ありがとう!」というお言葉を掛けて頂きました。スターの一言は重みが違う。その一言で今日の舞台が報われました。帰路のフェリーでは小さな達成感からくる安堵感に包まれ、静かな高揚で乗り込んだ行きとは違って、夜の潮風が体に優しかった。
夜は友枝先生のお世話で広島市内で全員で食事。その後は三々五々だったが今宵も真っ直ぐホテルに直行。明日は東京で申し合わせ→本番→稽古の3つ掛け持ちだからだ!何せ5日間も東京を空けたから様々な不安要素もある。さぁ、もう三響會に向けてメンタルとフィジカルを整えないと!

2007年11月29日

広忠舞台日記 10月24日

日比谷シティ薪能2日目。六郎先生の松風を打つ。やっぱり美しい謡だ!終わって兄弟で集まり、三響會の会議。連日の舞台なので風邪の前兆。

2007年11月30日

広忠舞台日記 10月25日

朝申し合わせの後、風邪がひどくなる前に病院へ行って1時間ばかり点滴を打ってもらう。一発で治った。夕方、新橋にある料亭「新喜樂」にてサントリー・オールドパー30周年祝賀の催し。観世清和家元の「羽衣」を打つ。20:30より新橋演舞場にて三響會の稽古。月見座頭と獅子の稽古。獅子はさすがに交通整理(役者の型の)が難航するが、そこは傳次郎&勘十郎コンビ。見事な采配で上手くまとめ上げる。また梅若晋矢氏・観世喜正氏もお互いに知恵を出し合って頂き、いいコンビネーション振りを発揮して頂いた。お二方共、様々なシチュエーションでの演能や三響会版での親獅子を経験されていらっしゃる由縁か、場の使い方が実に巧みだ!六郎師匠の影響も多大!?



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