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2007年10月 アーカイブ

2007年10月09日

演目紹介「獅子」「一角仙人」

前回の更新に引き続き、第六回三響會の演目をご紹介します。

「獅子」
三響會の出世作ともいうべき「石橋」を今回は四人の獅子で挑戦いたします。
従来の「石橋」はシテ方が親獅子で一人と歌舞伎役者の仔獅子一人でしたが、今回の「獅子」ではシテ方のお二人が親獅子を、歌舞伎俳優のお二人がの仔獅子を舞われます。
古典とエンターテイメントの要素を融合させ、新たな三響會としての作品が残せればと思っております。

「一角仙人」
能の「一角仙人」歌舞伎の「鳴神」と、二つの演目がありますが、今回は能の「一角仙人」の本をもとにしております。長唄部分は古曲がないので新たに苫舟氏(勘十郎)に作曲・振り付けを依頼し、前半の一角仙人と旋陀夫人の場面は長唄と謡で、後半の一角仙人と竜神の場面は能の謡にあわせて表現させていただきます。染五郎氏の演ずる一角仙人と梅若晋矢氏・慎太朗氏の竜神が同じ舞台でどう繰り広げられるかが楽しみです。
構成は田中傳左衛門、補綴に今井豊茂、振り付・作曲に藤間勘十郎、演出は田中傳次郎です。

広忠舞台日記 9月9日

9月9日(日)

この日は大阪にて大槻文蔵先生の会。屋島の「大事」という小書(特殊演出)付き。
この「大事」、特に大鼓と小鼓にとっては複雑な手組み(=作調)のオンパレードで、後シテ(源義経の幽霊)の登場の音楽である「一声(イッセイ)」の替(カエ)ノ手組である「軍陣流シ(グンジンナガシ)」。シテが弓を落とす「弓流(ユミナガシ)」。海上に落とした弓を取りに行く「素働(シテハタラキ)」と、見せ場・聴かせ場がうまく入り組んでいる演出となっております。
屋島は勝修羅物と呼ばれる武将の勇ましさを強調した曲趣となっておりますが、私は修羅は悲劇であると思われます。死んでも尚戦い続けざるをえない修羅道の苦しみ。義経も梶原源太も頼朝も、皆悲劇的な最期を迎えています。
私が屋島で好きな場所は初同(ショドウ)(=地謡(ジウタイ)による一団の一番最初の合唱パート)之中の「旅人の故郷(フルサト)も。都と聞けば懐かしや。我らも元はとて。やがて涙にむせびけり」の部分。世阿弥が都にいるときの絶頂期に比べ、晩年の不遇な身の上を思うにつけ涙がこぼれる。という、まさに彼自身の境遇を曲に重ねている部分です。同じような方法を「鵺(ヌエ)」や「野守(ノモリ)」などの曲にも使っていますね。
この日の間(アイ)狂言には盟友の野村萬斎氏。
那須語(ナスガタリ)と呼ばれる、これも間狂言屈指の難易度の高い小書です。語りのメリハリがよくきいていて、自分も「お前に負けないぞ!後半は俺に任せとけ!」みたいな(笑)、曲の後半部分に向けて大いに奮い立たせられました。
それにしてもご自身の大切な発表の場であられる会にご指名頂いて「大事」なんて大変な曲を打たせて頂けた大槻文蔵先生に感謝いたしております。
大槻先生のすごいところは、その身体表現のバリエーションの豊富さ、曲に合わせた面装束の選定のセンスの良さがいつも伝わってまいります。
この日の先生の屋島はまさに悲劇の武将・義経でした!

傳左衛門日記 10月8日

三響會版「一角仙人」の作調ができた。
近頃進んでJ-POPなどすっかり聴かないが、それでもTV等から時折流れ来る曲は詩もメロディも意味不明で、とても口ずさむ事など出来ない。この潮流は我々の邦楽界でも同じである。
しかし、「一角仙人」作曲の苫舟(藤間勘十郎)氏は本当にオーソドックスな、江戸期の曲と言っても通用する作品に仕上げる。
彼は囃子との合奏、舞踊にしたときの兼ね合い等、総合芸術としての"法則"を知っている。
勘十郎氏の振り付けに傳次郎の演出で、この音楽がどんな風に仕上がるのか、実に楽しみである。

2007年10月12日

広忠舞台日記 9月10日

朝、9:30より申し合わせ(リハーサル)をやってから、東池袋に新しい芸術劇場がオープン、こけら落としに名誉区民であられる野村萬先生の三番叟を打たせて頂いた。御年78歳にもなられるのに、益々お元気な萬先生の三番叟。この三番叟についてはかなりの思い入れ有り、後々思いを書かせて頂き度く!
夜は弟の傳次郎と久々に食事を共に。我々兄弟の共通の親友である、京都の「Bar Le peu」のオーナーである武田誠氏と、やはり京都の老舗の手拭い屋「永楽屋」の十四代目・細辻伊兵衛氏を交えての食事となった。友人たちとの楽しいひととき。

凄いことに…(傳次郎日記)

10月10日の夜に藤間勘十郎さんと「獅子」の打ち合わせをしました。今回の「獅子」の演出テーマは“エンターテイメント”です。ネタを披露できないのが残念ですが四人の獅子がどうやって登場し舞うか楽しみにしてて下さい!以前の能と歌舞伎による「石橋」は1対1でしたが今回は2対2、舞台空間も狭く感じないように工夫はしていますが舞う方たち皆さん勢いが凄い方ばかりなのでどうなるか不安です…
晋矢さん・喜正さん・亀治郎さん・七之助さんの競演は自分も客席で観てみたい!本番は演奏しているので頭の中の想像だけで楽しみます、、、
この日は茂山逸平さんと広忠さんも合流して「月見座頭」と「能楽五変化」の打ち合わせを夜中までしました。月見座頭はオープニングから面白くしてあります。勘十郎さんの踊りに逸平さんと勘太郎さんがどう絡むかお楽しみに!能楽五変化はファッションショーの要素を取り入れて、能楽の舞・装束・面の美しさ音楽の重厚さをお楽しみください!
傳次郎

2007年10月13日

広忠舞台日記 9月11日

9:00より銕仙会の稽古能で野宮を打つ。シテは清水寛二氏。この銕仙会の稽古能は長い伝統がある。古くは私の祖父からの時代にさかのぼり、父(師匠)もこの稽古能にて観世寿夫師に鍛えられ、芸を磨いていった。私は小学生の頃からこの稽古能を見学に行き、その稽古のすさまじさ・厳しさを肌で感じ取る事が出来た。玄人同士が集まり、稽古を共に積む事によって曲に対する意識を共有していく。観世寿夫というカリスマを中心に銕仙会に所属するシテ方のみならず、我々三役(囃子方・ワキ方・狂言方)も交えての能そのものの意識と技芸の鍛錬の「場」。しかしシテ一人主義ではなく、三役の主張主張も取り入れた総合芸術としての能を追求する銕仙会の気風。自分は三歳の時に先代の観世銕之丞先生に入門。清水寛二さん・西村高夫さんは同じ年に銕仙会に入られた。年は離れてますが”同期の桜”です!
ちなみに銕仙会稽古能で初めて打たせて頂いたのは中3のときで、曲は確か「忠度」だったかと思いだされます。
夜は坂井同門会にて「芦刈」を打つ。シテは酒井音隆氏。

2007年10月14日

広忠舞台日記 9月12日

10:00より宝生能楽堂にて、鵜澤久氏の「江口 干之掛」の申し合わせ。夕方より国立能楽堂と青山(銕仙会)にて若手の玄人の子達を稽古(指導)する。

広忠舞台日記 9月13日

新百合ヶ丘に新しくできた神社にて櫻間右陣氏の「鞍馬天狗」を打つ。

広忠舞台日記 9月14日

梅若能楽学院にて「善知鳥」の申し合わせの後、14:20の飛行機にて博多へ。申し合わせ終了が13:15だったので羽田空港への移動(車を運転)はかなり厳しく、出発ギリギリ。朝・昼食をとる間もなく17:00から博多の大濠公園能楽堂にて申し合わせ。曲も「通小町」に「遊行柳」で空腹時にはかなりキツイものがあった(泣)
夜は観世清和家元に御馳走に預かった。自分のような若手にまで気を配れるところが家元の素晴らしいところであり、皆彼に付いていくのだろう。一日が報われた気がした。

2007年10月15日

広忠舞台日記 9月15日

福岡観世会にて「通小町」(シテ武田志房氏)と「遊行柳」(シテ坂口信男氏)を打つ。この2曲は今の自分の年齢や芸位を思うにつけ、手が届かない訳ではないが似つかわしくない曲。特に遊行柳などは藤田大五郎先生や師匠(親父)級の先生方が務められて成り立つ。老翁物と呼ばれる老女物に続く能役者が最後のほうに目標とする曲趣。「手が届かない訳ではない」と言ったのは技術的な面、息遣いや声色・間・音色などをそれらしく見せる・聴かせる、ある程度の技術の工夫はできても、それはあくまでも物真似であって、世阿弥の言う「木造の物真似」とは程遠いものである。私は立ち方(シテ)のみならず、地謡や囃子方、舞台上に上がっているすべての存在は「役者」と呼ぶのが相応しいと思っている。役者が役者として生きられるのは所詮舞台の上だけである。真摯に稽古と舞台を積み重ねて生きていけば、なんとか遊行や姨捨といった曲を「それらしく」見えるのではないか?自分の役者としての将来に対する甘い期待!
けれども信ずるところはそれしかない!役者というのはそういうもんでいいんじゃないっすかねぇ!?

速報!

速報!スペシャルゲストのお知らせです!
27日・第六回三響會の「月見座頭」昼の部に
片岡愛之助さんの出演が決定いたしました!
十周年のお祝いに出演していただける事となりました。
夜の部にもゲストを考えておりますので、近日中に発表させていただきます!

2007年10月16日

広忠舞台日記 9月16日

梅若会で「善知鳥」(シテ松山隆雄氏)を打つ。地頭は梅若六郎師で小鼓は観世新九郎氏。真摯な舞台姿勢と言えば私は新九郎氏の鼓は高く評価できます。地頭の六郎先生、喜多流の友枝昭世先生と並んで、間違いなく能楽界NO.1の役者でしょう!
僕には師と呼べる人が4人います。両親・先代八世観世銕之丞先生・そして梅若六郎先生の四方です。
両親には囃子方としての基礎技術と生き方を、銕之丞先生には能の謡と型(舞)と演劇としての能の存在のあり方を、そして六郎先生には能の面白さや楽しさ・明るさと言った能の可能性といったものを教わってきました。銕先生も六郎先生も私が高校生の頃から早々と抜擢していただき、次々に大曲を与えて下さり鍛え上げて下すった!自分の能楽師人生に欠かせない大恩人の先生二人です。難しさに厳しさに楽しさ、技術、全てを叩き込んで頂きました。
自分の舞台の基本理念・構築の仕方はこの4人の師匠の教えが土台です。
さてこの日の六郎師匠、抜群に"面白い"地謡を謡われてらっしゃいました。舞台では苦しんでばかりの自分が久々に"楽しい~♪"って終始思い乍ら打てた。全ては先生の吸引力です。また申し合わせと全然位取り(ペース)も息の詰め方も緊張感がガラリと変わっていた。このような舞台にはなかなか出会えません。実は能を動かすのはシテよりも、地謡のリーダーである地頭と囃子方のリーダーである大鼓の二人のコンサートマスターが、曲のタクトを振っているのが能の劇進行になるのです。もちろん、主役のシテという直接言葉で指示しない指揮者の意向を受けて!
梅若会の善知鳥の後は、車で急いで玉川高島屋へ向かう。当然自分の運転!移動及びスタンバイ含め1時間しかない!!だがなんとか間に合った。一息つく暇もなく、玉川高島屋の屋上で、現・銕之丞先生の薪能で「融」。新九郎氏もご一緒。やはり掛け持ちはキツイ(泣)

夜の部、ゲスト決定しました!

昨日に引き続き、夜の部のゲストのお知らせです。
夜の部「月見座頭」には、
野村萬斎さんの出演が決定しました!
昼の部に愛之助さん、夜の部に萬斎さんと十周年に華をそえていただきます!
皆さま是非お越しください。

チケットのご購入に関しましてはチケットホン松竹さんまでご連絡ください。

2007年10月19日

今月は…(傳次郎日記)

今月(10月)は演舞場の昼の部の連獅子の太鼓、歌舞伎座の昼の部の「羽衣」の太鼓と夜の部の「牡丹燈籠」の陰囃子を勤めてます。月末に三響會があるので午前中に演舞場やスタッフさんと打ち合わせがあり夜の八時以降は出演者の方たちと打ち合わせという生活です!もともと腰痛なので(中学生から…)移動や舞台が今月は辛いです。。。
傳次郎

2007年10月23日

広忠舞台日記 9月18日

朝、矢来能楽堂にて観世喜正氏の道成寺の申し合わせ。
昼はジムにて10km程走る。
夜は宝生能楽堂にて一噌幸弘氏の笛の会。父君・一噌幸政先生追善の会。幸政先生には中学三年の時から20歳迄笛を教わり、最後は宝生の延年や、姨捨といった奥伝の曲まで教えて頂いた。笛を打楽器として吹く、宇宙空間を廻るが如く音が周り続ける師の笛、今でも鮮明に耳に残っております。笛を吹く楽しさを教えて頂いた恩師へのおたむけの会。タイトルは幸政先生追善、”一噌幸弘笛づくし”だが、僕の印象では”幸弘吹きまくり"であった(笑)その方が幸ちゃんらしいよね!?
何せ初番から、「三番叟」。立方に野村萬斎氏、笛はもちろん幸ちゃん、大鼓は小生、丁度我々3人のユニット"能楽現在形"のメンバーによるオープニングとなった。ユキちゃんとプロデューサー土屋恵一郎氏によるイキな計らい。
ここで「三番叟」についてふれておきたい。
思いは語りつくせず、文章にしたら数ページかかってしまうのでなるべく簡潔に、単純に言ってしまうと、この三番叟という曲が私にとって一番大切な、大好きな曲の頂点に有る。祖父・俊雄、父・忠雄が最も得意とし、多大な評価を受けてきた、言わば「お家芸」のようなものであると思う。
明治の頃まで、三番叟は「狂言アシライ」の一部のように扱われ、型も手組みもほとんど整理されてこなかった。能であれば完璧な処理が施されていたであろうに。当時は、こんなことを言って大変に申し訳ない事だが、役者内も観客も狂言は能の添え物のような見方をしていたと聞く。だから、囃子の作調もさほど気合を入れて作っていなかった。
その三番叟を祖父の俊雄が自分の当たり役ということもあり、今一度見直してみようと、大親友である野村万蔵氏(萬歳さんの祖父)と相談の上、型と手組の整理を完璧に行った。なので野村家と亀井家の三番叟は最もお互いに具合の良い、所作と掛け声とリズムがぴったりはまる組み合わせになっているのである。世間にあまり知られていない事実。万蔵先生とじいさまの三番叟は見る由もないが、父親と万之丞時代の現・萬先生、万作先生の三番叟は随分と見てきた。自分が幼稚園の頃からである。
笛は藤田大五郎先生、小鼓頭取は鵜澤寿先生に北村治先生の超人的なスケール、そして親父の「揉み出し」の天性のリズム感に、掛け声の鋭さにシビレっ放しだった!!!
この「揉み出し」(三番叟の始めに打つ手組み)こそが、亀井家のお家芸であり、命そのもの。大鼓方の芸術性が一番問われる楽器。僕は道成寺以上に早くこの三番叟が打ちたくて打ちたくて仕方がなかった!好きが高じて小学校二年のときには型と手組と笛を全て覚えた。立方は何といっても万之丞先生に万作先生。萬先生の豊かで大きいスケール抜群な三番叟、万作先生の完璧な身体技術から来る、鋭利な刃物のような三番叟。両先生ともタイプは違われますが、一番大事な「躍動感」という意味では共通してらっしゃるかと思われます。
それに大倉流に比べて和泉流は「揉之段(モミノダン)」の中の立方の掛け声が多いので、こちらの囃子の掛け声との連帯感と相乗効果が生まれてきます。
お互いに苦しいけど負けるか!お前も頑張れ!俺も頑張るぞ!!みたいな感情になってきます。僕だけかもしれないけど…。
祖父達、父親達、そして萬斎氏と自分の孫世代、伝承とは伝え、承れてゆくものでしょう。但し、その時代での構築の仕方があるのでしょうね!能役者も時代によって芸が変革してゆくのと同様、お客様の好みも変わってくるのと同様、父親達の30~40代の頃のあの燃えたぎった三番叟に限らずどの曲でもやっていきたい、自然に角が取れてくれれば、自然に贅肉がとれた芸に変革していければいいと思う。

この日の三番叟、現在系のメンバーに加え、小鼓に曽和尚靖氏と成田達志氏を迎えての舞台。気合も体力も有り余っている面々、バトルロイヤルの如き全員乱れ飛んでの殴り合い・どつき合いの試合のような舞台であった!誰が最初に倒れるか最後迄残っているか…。大人の仲間入りのような舞台も有り難い!でこのような”ガチンコ勝負”の舞台は、三響會以外ではお目に掛かった事がないので、正直嬉しかった!!
幸いに全員倒れることなく終曲。
今年は随分萬斎さんと三番(僕ら玄人ではこう呼ぶことが多い)を演った!僕は明日のミッドタウンの三番で、今年合計19回打ったことになる。今年は多かった。彼とはそのうち8~9回はご一緒させて頂いたであろうか!?やはりお互いに一番呼吸が合うし、承がれた芸が共通意識として自然に肉体から出るというのがいいのでしょうね!バッテリーのようなもの。萬斎の舞(投手)に広忠の大鼓(保守)、そう呼ばれる時代を築いて行けたら嬉しいです。万作先生も父もまだまだ至芸を見せ続けて頂けてる。親の30代~70代の芸の移り変わりをしっかりと自分の目に焼き付けて、やがて自分もその年輪を自己の考えと共に追ってゆく。親世代と比べられる辛さはありますが、見所でご覧頂いている以上に我々二世はその重みを知っている訳なんですよ。誰よりも。
止メの曲は「融 十三段」。銕之丞先生のシテに一噌幸弘・成田達志・亀井忠雄・金春惣右衛門の面々。ある意味、三番よりも体力的に大変な曲。マラソンしているようなものなのです。これまた「凄まじい」十三段。80歳過ぎの金春先生と70歳近くの父親、二人の人間国宝の、ユキちゃん・タッちゃんという技術・体力が最も勢いの盛んな中堅2人に対する意地とプライドがさく裂していた。ダテに国宝の看板背負ってません!このように世代をちりばめた配役はいいものなんです。同世代というところに安心しない。絶えず舞台に緊張感を保たせられ、いい舞台に出会えた日は幸福感で満たされます。
幸政先生も喜んでくださっていることでしょう。いつまでもユキちゃんを見守ってくださって欲しいものです。

2007年10月31日

感謝(傳次郎日記)

十周年の三響會が無事に終わりました!
出演者・関係者・スタッフはもちろん、台風の中お越しくださったお客さまに本当に感謝です!!!
幕が開いてガラガラだったらどうしよう…って正直不安でした!
また数日前の依頼にもかかわらずご出演いただいた萬斎さん・愛之助さんにも感謝です!(本番の萬斎さんのアドリブは…)
傳次郎

広忠舞台日記 9月19日

東京の新名所、東京ミッドタウン内の庭園でミッドタウン初の薪能。曲目は昨日と同じく三番三(サンバソウ)。
大倉流狂言では「叟」の表記ではなく「三」になる。シテは茂山正邦氏。囃子方は昨日と全く同じメンバー。正邦さんは京都茂山家の次期当主。私は東京で彼は京都だが、十代前半からの付き合いになる、年も近い親友の一人。茂山家の方々とも三番は多くさせて頂いているが彼とは初めて。昨日の萬斎氏の鋭く華麗な三番と180度方向転換させた剛直で力強い三番。野外での三番はなかなかに心地よかった。



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